about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

ウィントン・マルサリス「Moving to Higher Ground」を読む 第1回

ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)の話題作「Moving to Higher Ground - How Jazz Can Change Your Life」を読んでゆきます。

 

この本は、次のような構成になっています。

序章 "Now, That's Jazz"

第1章 Discovering the Joy of Swinging

第2章 Speaking the Language of Jazz

第3章 Everyone's Music: The Blues

第4章 What It Takes - and How It Feels - to Play

第5章 The Great Coming-Together

第6章 Lessons from the Masters

第7章 That Thing with No Name

後書き:ウィントン・マルサリスと米国司法長官サンドラ・オコーナー(当時)との対談より

 

お手元に原書をご用意いただき、ご覧下さい

2009 Random House Trade Paperback Edition

 

「ジャズはあなたの人生を変える」という副題のこの本は、ジャズのみならず、音楽を通して、個の尊重と人同士の調和の創造という、一見相反することを実現するにはどうしたらいいか、が、ウィントンらしい温かくも筋の通った言葉で書かれていいます。

 

序文に代わる写真の下には、こんな文章があります。

 

 レコーディングセッションの途中での余興:僕、ビクター・ゴインズ、ハーリン・ライリー、ウィクリフ・ゴードン、そしてエリック・ルイス「大先生」。ベース奏者のレジナルド・ビールが好んで言う「音楽がない、は、いらない!」を絵にかいたような光景です。

 

今回は序章の前半をご覧ください。

 

序章「そう、それがジャズってもんだ」   

<写真脚注> 

受け継いでゆくこと:ピアノの天才少年、ウィントン・ケリー君が、ピアノの手ほどきを、クウェーム・コールマン(柱の向こう)とエリック・ルイス から受けているところです。名ドラマーのハーリン・ライリー(右から2番目)は、僕の兄貴分です。 僕達二人は、ニューオーリンズのダニー・バーカー の処で演奏活動をしていました。エリック・ルイス と、テナーサックス奏者のウォルター・ブランディング(左から2番目)とは、10代の頃からの付き合いです。その他、見守っているのは、ケリー君が 自慢のパパ、アンドレ・ゲス(左)そして、僕達 のツアーマネージャーのレイモンド・マーフィー 大親分」。彼は20年以上に亘り、全米で公演を行い続ける切り盛りをしてくれています。 

  

 

1970年代初頭と言えば、公民権運動の直後でした。アフリカ系アメリカ人のポピュラーミュージシャンと言えば、その王座に君臨していたのは、ジェームス・ブラウン、マー 

ビン・ゲイ、それからスティービー・ワンダー。人々は8インチ(約20センチ)のアフロヘアにポリエステルのレジャースーツでビシッと決めていた頃です。社会変革の余 

韻が未だ残っていた頃、流行の先端を行く人々なら考えもしないことといえば、ディキシーランド音楽、ヘアスタイルをキープするハンカチの頬かむり、白人に媚びを売る「アンクル・トム」、シャッフルリズムとひっかくようなサウンド、そして、観光客に歯をむき出しにして笑ってみせるスマイル。「ディキシーランド」と聞いただけで嫌悪感を覚えたものです。そんな中、僕の父は、僕と兄のブランフォードを連れ出し、子供達だけのバンドで演奏させようとしました。指導者はダニー・バーカー。バンジョーとギターのレジェンド的プレーヤーでした。といっても子供の僕達にとっては、テレビ漫画のBGMとか古臭い、何かこびへつらった曲を演奏する人?位しかイメージが描けませんでした。大体、バンジョーって何?って話です。歴史の授業で習ったフレデリック・ダグラスの為に弾く楽器か何か?やれやれ、折角の土曜日に駆けずり回って、奴隷制の歴史を振り返ってみましょうってか?ウレシイねぇ(笑) 

 

 確かにダニー・バーカーといえば、バンジョーとギターの共演者として名を連ねるのは、ルイ・アームストロングシドニー・ベシェ、それからジェームス・P・ジョンソンにキャブ・キャロウェイと、そうそうたる面々。でも当時僕達には全然わからない人達でした。僕は当時、ルイジアナ州のケナーという街に住んでいました。兄のブランフォードは9歳。僕は8歳でした。僕の父は1時間半車を 飛ばし、ニューオーリンズにある、とある空家へとやってきたのです。そこでは、バーカー先生が指導するフェアビューバプテスト教会のブラスバンドが練習中でした。

 

会った瞬間、あ、この人がバーカー先生だな、と分かりました。彼は派手な性格の人で、熱意にあふれ、そして話好きででもありました。ニューオーリンズ音楽を愛し、そして子供好きでもあったのです。この日彼は、僕にとって生涯で最も心に残る教えを、ジャズの演奏、そして人生に起こりうるであろう自己表現と人間同士の尊重の念について示しててくれることとなるのです

 

 

次回は、この続きから。