about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

ウィントン・マルサリス「Moving to Higher Ground」を読む 第3回

第1章 スウィングの喜びを見出す 

   

<写真脚注> 

観客との距離が狭まるほど、喜んでいただけます。コンサートのエンディングで、プレーヤー達が観客に囲まれて、手拍子・足踏み・歓声を受けていると、このスウィングたっぷりのひと時が、いつまでも続くように、との観客の皆さんの思いを感じ取れます。 

 

 

幼い頃、僕の実家では、子供達は奥の部屋に居なければならない、というルールがありました。しかしある時、僕はフラフラっとリビングへと入ってしまったのです。ルイジアナ州リトルファームズ、木造の小さな家のそのリビングは、中が暗く、赤だか青だかの柔らかな明かり一つが灯っているだけでした。当時4歳か5歳だった僕は、その部屋で大勢の大人達が、男の人も女の人も、R&Bの曲を、バックビートでフィンガーティップしてグルーブしているところに出くわしたのです。歌詞をつけて歌っている人もいましたが、その大人達は皆、いい汗かいて踊っていたのです。当時の僕には、何事か知る由もなく、でも少なくとも、これは大人達にとっては楽しいことなだけに、子供である僕はリビングをうろついてはいけないんだな、ということは感じ取れました。 

 

でも、そこにあった音楽は、僕だって実際楽しんでいるものでした。R&Bはラジオの定番でしたからね。「ナントカだぜベイビー」とか「カントカだぜベイビー」「ヘイ、彼女ぉ、君が欲しいぜ」「どうして私を捨てようとするの?戻ってきて」そういった曲は、人の生き様を描くものでした。皆に知られ、愛好された楽曲の数々です。「悲しいうわさ」「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」「僕を頼って」「パパのニューバッグ」 

 

さて、ジャズは、というと、こういった曲とは異なっていました。それは父が演奏した「モダン・ジャズ」です。これに合わせて踊る、などということはありません。リズムと関係があったのです。R&Bのバックビートと言えば、一定で、変化はありません。これに対し、僕のお父さんと友人達が演奏していた曲のリズムは、常に変化し、それと同時に、演奏にほとばしる多くの工夫が、とても心地よかったのです。そのリズムが「スウィング」だ、ということを、僕は後に知ることとなります。兄のブランフォードと一緒に行った記憶がある、人生最初のジャズの本番は、ソロリサイタルのような感じでした。観客は、年配の方達がチラホラいただけ。その中には、僕達に🍬キャンディーを振る舞って下さる人達もいました。本番中、ウロウロしていてもOK。僕は気付いていたのです。黒人の人達でこの種の音楽を好む人なんて、ほとんどいなかったということを。実際、あまりにも理解されていないので、僕は疑問に思ったほどです。どうして父も、その友人達も、わざわざジャズを演奏するのだろうか、と。 

 

その後、8歳か9歳になった頃、僕はある妙なことに気付き始めたのです。町の人達の大半が、ジャズのコンサート(その他、およそ「芸術的」なもののイベントは何でも)なんて足を運ぶことなど、ないにもかかわらず、ましてや、「音楽を演奏するのはちゃんとした仕事だ」、と思う人もいなかったにもかかわらず、父は町の人達の多くから、ある種尊敬の念を持たれていたことを、僕なりに理由を考えました。きっと、ジャズという音楽が何かしら関係があるのだろう、なぜなら、父は経済的に成功などしていないし、それを示すモノも何も持っていなかったからです。 

 

それから僕は、今までより更に観察力を上げて、家に来る、あるいは父と一緒にニューオーリンズ中のクラブで演奏するジャズメン達を見るようになりました。彼らは興味深い集団でした。もっともそう感じるには、彼らが他の人達とはどう違うのか、が理解できることが必要でしたけれど。それは、まず第一に、彼らは隠語を持っていました。お互いのことは「cats」(ガクタイ:楽隊)、仕事は「gig」(ホンバン:本番)、楽器は「axes」(ラッパ)、会話のスパイスに、色々な派手で痛烈な言葉や、いけしゃあしゃあとした決まり文句をちりばめていたのです。 

 

例え相手が子供であっても、きちんと向かい合って話しかけ、相手の言いたいことにも、しっかりと耳を傾けてくれました。 

 

男女のことや、政治・人種問題や、スポーツのことは勿論ですが、とりわけ彼らが好んで話題にしたのが、ジャズ音楽、それも、今のことも昔のことも一緒くたに話すのでした。「コルトレーンとバンドの演奏聴いたけど、あまりにすごくて身動きできなくなったよ。みんながその週の間ずっと言っていたのが、奴ら全部出し切っていた、って話だ。いやぁ、俺なんかドアの処で固まっちゃったからね。」 

 

彼らは、様々なミュージシャン達が、演奏したこと、しでかしたこと、言ったことについて、話が尽きることはありませんでした。「フロッグ」(蛙)、「ラビット」(兎)、「スゥィーツ」(菓子)といった、煌びやかな名前の付いた、偉大なミュージシャン達と彼らは、知り合いか、少なくとも何かしらの関係があったのか、僕にはそんな風に思えました。その熱心で気取らない会話から、彼らのお互いに対する独特の優しさを見出すことができました。いつだって挨拶するときはハグ - それは大御所と言われる人達でさえも - 時にはチーク・キスも。常軌を逸しかけている人達に対しても、自然な気楽さで接しているのです。ドラッグ中毒者かもしれない人達に対しても、穏やかに諌めて、でも疎外はしません。いつも心に抱く思いは、僕達の国も、文化も、そして精神も、きっと良くなっていくだろう、そして何よりも、この謎めいた音楽(=ジャズ)が、いつの日か人々にとって、世の中の様々なことがしっかりと調和する方法を見出すのに役に立つだろう ― 隔離と統合、男と女、政治の在り様、株価の上げ下げだって - そんな思いでした。 

 

彼らの自信と前向きさは、ここにその理由があったのです。お金がない、真価を評価されない、時に人格に問題を抱え、時に精神障害を起こす薬物にどっぷりはまり、プロとしての技も表現も無用だとする音楽文化や、それを含めた文化全般に足を引っ張られ、そんな状況にあっても、彼らは自分達が演奏するジャズの価値を信じ、自分達の仕事は音楽創りとその意義の確認を仲間とすることだ、と思っていたのです。 

 

彼らはインプロバイズしました。 

<訳注> 

“Improvisation means spontaneous musical invention. It's like when we talk.(中略)Then - and this is an important part of New Orleans jazz - the jazz musicians want to converse with each other in the language of music. This means the musicians have to learn, interact, and play at the same time. 

(from “Marsalis on Music:1995) 

 

ところで、インプロバイズできる、ということは窮屈な場所から自分を解放させてくれるものを作ることができる、ということです。たまたまタイミングよくネタが浮かんでくるだけのことではありますが、ジャズプレーヤーなら誰でも出来なくてはいけません。僕はこのインプロバイズされた音楽(=ジャズ)には、きっと何か秘密がある、と当時考えました。それを、より深く知らなくてはいけない、と思ったのです。そして、当時9歳から10歳の子供だった僕にとっては、父やその仲間達のような、ジャズミュージシャン達とつるんでいたことで多くを学べたのです。なぜなら、彼らは貴重な話を聞かせてくれただけでなく、子供の僕に耳を傾けることも心得ていたからです。語っては聴いて、聴いては語る。それが彼らのやり方。父は、何時間でも話ができましたし、今でもそうです。しかし彼は同時に、人の話を集中して聴くこともして、そして決して、大人がよくやるところの、子供達を怒らせるような、あのいい加減な反応の仕方をしませんでした。僕はよく覚えています。フットボールやバスケットボールの試合での出来事を、ちょっと話を盛って父に言う。父はそこにじっと居て、話の一つ一つ細かなところまでじっくり聞き、「うん、そうか」と相槌を打つ。ところで彼は、他のミュージシャン達とレコードだのラジオだのを聴いている時は、僕なんかが気付かないようなことまで、すべて聞き取ることができていました。テナーサックスの最初の3つの音を聴いただけで誰だかすぐに分かってしまう。「これはジーン・アモスだ。」「そうだね、ジャグだ。」あるいは「わかった、テロニアス・モンクだ」僕には理解できない、魔法のような能力。それを目の当たりにして分かってしまったのです。多分父は、僕が話を盛っていたことにも気づいていたんだろうな、と。 

 

父も仲間達も、演奏内容の一つ一つを全て把握しているように見えました。ここで思い出してください。僕達が聴いていたのは、片面3分間のシングル盤レコードで、曲は全て歌詞付き、それも覚えてしまうのは30秒1区切りで繰り返されるバックミュージックと同じ位に簡単。でも父やその仲間達が聴いていたのは、7・8分間は続く代物で、例えばソニー・ロリンズの「アルフィーのテーマ」、サックスか何かが、最 

低音から最高音まで音域全てを使って演奏し、そのあと、アポロ神殿の神官が「申せ、云々」と言っているような演奏が続いてゆく。この曲にはいくつかポイントがあって、そこで「ふーん」と淡々としていたものが、「おぉ!」とどよめいたり、「うわー!」と驚いたりするのです。神官の話を聞いている礼拝中の僕達を圧倒するような、熱狂的な爆発的表現です。父と仲間達は、まるでソニー・ロリンズが目の前で吹いているかのような反応をするわけです。僕にしてみれば、その7・8分間の演奏中、「歌詞が一つも出てこない・・・」という思いです。そしてじっと座って、父やその仲間達が話し合っている、僕にはほとんど外国語のような内容を、何とか理解しようとしつつ、僕も聞けるようになりたい、と思うのでした。 

 

12歳になると、僕はジョン・コルトレーンクリフォード・ブラウンマイルス・デイビス、そしてフレディ・ハバートを聴き始めました。来る日も来る日もこういったミュージシャン達の演奏に精神を研ぎ澄ませて聴いているうちに、僕が気付くようになったのは、どのミュージシャンも彼らの命のど真ん中の部屋を開いて、それを自分だけのサウンドで表現して見せている、ということでした。達人のサウンドというものは、人の声と同じように、人格を持ち、それが明瞭に感じ取れます。そんな基本的なことに気付いてから、僕は、次に、彼らが音楽を通して何を伝えようとしてるのか、聴き取ってみようとしました。そこにあったものは、純粋な真実。その伝え方は、親しい友達が、自分達のことについて秘密にしておいた繊細なことを、細かく打ち明けてくれているようでした。人間にとって、自分の思いを他人にも共有してもらうことは、勇気が要ることです。多くの場合、心を打ち明ければ、人は自分に寄り添って来てくれるものです。人を知ろうと思うなら、世の中のことと自分自身のことを知ること、そして、そこで知ったことを適切に扱うことができるなら、人とうんと親しくなれる、というものです。 

 

父の周りで、いつも喧々諤々しているジャズメン達が、どうしてあんな風に自信に満ち溢れていたのか、その理由が僕には分かってきました。彼等は自分達が何者かを、人に知られることを厭いませんでした。コルトレーンを例にとってみます。勿論僕も、まず感銘を受けるのは、彼の名人芸、つまり、音域を上から下まで駆け巡るあのテクニックです。彼の演奏を聞く人は、皆そうだと思います。でも僕が気付いたのは、最も意味のあるフレーズは、ほとんどの場合、技術的にスゴイというものは、ほとんどないということです。むしろシンプルで、心に満ち溢れるようなものです。それは例えて言うと、シェイクスピアの劇に出てくる重要な名セリフが、観衆の心を駆け抜け、同時に永く心に残るような感じです。「ハムレット」に出てくる例のセリフ、皆さんも覚えているかと思います。「生きるべきか、死ぬべきか」あるいは「眠ればまた、夢を見るというもの」こういう類の言葉の数々は、世界中の人々に共通する真実というものを明らかにしてくれます。 

 

この話を、二人の人間の間に発生する感情、というものを例にして比べてみましょう。言葉や仕草が発信される前に、まず感情が芽生えます。そしてその「熱さ」や「純粋さ」は、言葉や仕草に置き換えられるときに失われるものです。ある人がキスして「愛しているよ」と言う時、その行為と発言によって感情は萎んでしまう。でも、もしその感情を大きなまま伝える方法がわかったなら、つまり、魂を見せつける瞬間を熟知したなら、その人は、まっすぐな気持ちと誠意と愛を心に抱いてじっと見つめてくる。目だけで人は全身熱くなるものです。僕達は、よくこの一点の曇りのない感情というものを、子供達から感じ取ることがあります。しかし大人達にだって、それはあります。ジャズミュージシャン達というものは、時間の流れを止められないという制約の下にインプロバイズするわけですから、心の内側にあるものは、ありのままに出てきます。これは、ウソでごまかす余裕を与えられず、質問に答えるようせかされる時に似ています。パッと頭に浮かぶことは、大抵ごまかしのないことですからね。 

 

この、感情の純粋さというものを、僕はコルトレーンサウンドの中で耳にしたのです。彼のサウンドは、彼の感情そのものでした。同様に、トミー・フラナガンがインプロバイズで聴かせるピアノ、ポール・チェンバースのベース、そして、アート・テイラーのドラムス。一つのパフォーマンスは、まさにインプロバイズによる交響曲で、それを組み上げるものは、時間の水圧によって曇りなく洗い流された、人の感情なのです。 

 

ジャズミュージシャン達が伝える、人の心の様子。。これに名前を付けるのは、たやすいことではありません。例えば、子供の頃、寝室のカーテンに透けて光っていた明かりから感じ取った気持ちに、名前など付けられないでしょう。あるいは、クラスメートのからかいによって、心がどう傷ついたか、父親と深夜ドライブしたときの静けさを感じた時の気持ち、奥さんにちょっかい出した時に彼女から返ってきた笑顔を見た時の気持ちに、名前はつかないでしょう。でも、それらの気持ちというものは、実在するものですし、字面で表現できないからこそ、その存在が確かなものになってゆくのです。ジャズはミュージシャンに、己の経験を感じたままに伝えさせてくれます。そして、その曇りのなさに、聴き手は心を揺さぶられ、思いを共にするのです。 

 

謡曲の中には、郷愁を誘うものがあります。皆さんの心の記憶は、そういった数々の曲に意味を満たしてくれます。「ほら、この曲覚えているだろう。僕が昔、おんボロのオールズモビルに君を乗せて、高校3年生の時のプロムに行った時、ダンスでかかっていた曲さ」しかしジャズは、今この瞬間の持つ、心を動かす力を奏でてゆくのです。前もって用意された台本などありません。その場の言葉のやり取りなのです。ミュージシャン達は、その場の空気を読んで瞬時にそれを満たし、皆さんに人の心の様子を伝えるのです。理屈は複雑かもしれませんが、音楽はストレートで無駄がありません。コルトレーンは物事に対する鋭い感性を持っていたため、彼のサウンドは、いつまでも力強く色あせないのです。コルトレーンルイ・アームストロング、テロニアス・モンクといったレジェンド達は皆、皆さんに彼らのありのままを感じさせてくれるのです。そして他の多くのミュージシャン達についても、皆さんが自分の心の内の、ほんの片隅でもいいので、彼らのサウンドを流し込むことで、彼らのありのままを共にできるのです。 

 

自分の感情を素材として、それを伝える手段を作り出す。その「手段」は自分らしさがくっきりとしていて、だからこそ、自分が世の中をどう感じているかを、ストレートに伝えるのに使える。ジャズはそれを可能にしてくれるのです。録音したものは、ミュージシャン達のサウンドを冷凍保存します。皆さんはそれを手元で解凍することで、いつでも彼らの世界へと入ってゆく喜びが味わえるのです。ちなみに僕はレスター・ヤングの世界には、何度でも出はいりしてみたいと思っています。 

 

当時の僕にとって最高のジャズは、レコードではなく、いつもライブ演奏でした。父やジェームス・ブラック、クラーク・テリーソニー・スティットといった面々が、ライブ会場を熱くさせるのを聴くのが、僕は大好きでした。ライブ、それは皆さんの目の前で音楽が繰り広げられ、皆さんを覆い尽くすのです。 

 

レコードに話を戻せば、当初僕は「あ、これはコルトレーンサウンドだ。」と聞けば分かったものの、演奏の中身については、必ずしも理解はできていませんでした。ついてゆくのがまず大変。一つのソロに込められている音楽の内容は、当時僕がラジオで馴染んでいた歌謡曲の、40曲分くらいのものでしたからね。それでも僕は、ひたすら聞いてついてゆこうと頑張りました。これって、子供が大人の会話を聞き取ってやろうとするときのテンションと同じようなものです。 

 

そして、ある日のこと。僕は実際に理解できるようになったのです。といっても、頭で理解したのではなく、心で理解したのです。それは突然の事でした。彼の演奏が、完璧に意味を成しているように聞こえ出したのです。実際は、人智を超えたものでしたけれどね。こういったミュージシャン達は、物語を語っていて、その甘くほろ苦い内容は、予測不能な方法で、繰り広げられてゆくのです。彼らは、自分が発信した演奏に自分で驚くこともしばしばですが、そこは、ロデオの騎手のように乗りこなしてゆきます。先程「伝える手段」と書きましたが、それは「演奏」という「言語」であり、言語としての楽曲を理解できるようになれば、音声や文字をそろえる必要は、もはやありません。楽曲それ自体が言語である、ということを、当時僕は理解できるようになったのです。 

 

ジャズについて学び始めた頃、僕はいかなる芸術分野にも関心が持てませんでした。実用的な目的など持ち得るのか、疑問を抱いていたからです。それが30年以上たった今となっては、芸術の持つ力、とりわけ、ジャズが皆さんの人生をより良い方向へ、向かわせ、そして向上させ続ける力を持っている、ということを、僕は証明して見せようと言うわけです。 

 

今となって分かったことですが、父とそのミュージシャンの仲間達の、自信に満ち溢れたあの生き様は、芸術とのかかわりを持っていたからこそ、なのです。勿論、日々の生活の中には、苦しさばかりでした - 人種差別、あらゆるチマチマとした不正、波乱万丈の不遇、人との争い ― それでも自分達の在り様を楽しんだのです。 

 

僕の認識としては、宗教とは、人によっては現実逃避の手段となってしまったと考えています。「死ねばよくなる」、死ぬほど働きづめだった僕のおばあさんの世代の人々は、良くこういっていました。それから中にはこんなことを言って、自分が我慢した虐待に対抗できない辱めを、気にするなと言わんばかりの人もいます。「神はあなたに、自分の敵を許し、そして愛しなさい、と言っている。」自分だけ良ければいい、という人達は、「私達は生き残るが、あなた方は皆死ぬ。なぜなら、あなた方は神との関係ができていないからだ - 神は私達と共にあるからだ。」と、信じることに安心感を見出したようです。しかし芸術は、世の中の人を懐へと引き込んでゆきます。「世の中」とは、単に近しい人ではなく、広い範囲で。「広い」とは、単に我が国だけでなくそれを超えた外国の街 - 東京だの、シドニーだの、ヨハネスブルクだの、とうのではなく、もっと大きな意味で。具体的に思い描くものの相違を越えて、それと抽象的な概念の相違を越えて、更に、歴史に対する見方や人間性に対する見方の相違を越えて、全ての人を一つの懐に引き込んでしまうのが、芸術というものなのです。 

 

ジャズは、誰に対しても、それに少しでも関わってみたいと思いさえすれば、力となってくれる。僕はそんなことを学びました。世の中には、音楽は歌詞があって初めて伝わるものがある、と考える人達がいます。そんな訳で、歌謡曲は大概歌詞がついているのです。しかし芸術全般をご覧いただければ分かるように、演劇でも、詩でも、絵画でも、素晴らしい作品を見れば、作者達は見る人を一つの懐へと引き込んでしまうのです。彼らが泣き、胸躍らせるところで、見る人も泣き、胸躍らせるのです。そしてジャズ音楽は、大概歌詞がない故に、より深く、より多彩で、常に変化し続けるという、人間の生きざまというものを表現する力を、ミュージシャン達に与えてくれます。この発見の連続の道が導く先にあるものは、円熟した人間性、責任感、世界中の文化に対する深い敬意の念、それから、人を元気づける茶目っ気、変化に心躍らせる気持ち、予測不能なことでもしっかり受け止める心、こういったものなのです。ジャズは、歴史を踏まえた総合的な物の見方、自分と敵対しなければならないものでも心で受け入れる態度、ブルースから生まれた楽観主義という物の考え方のベース、そして人の言葉・話・心に耳を傾け続ける姿勢、そんなものを与えてくれます。 

 

僕は10代の頃、あらゆるジャンルの音楽を吹きこなしてきましたが、心底惚れ込むようになったのは、ジャズでした。僕はジャズと共に成長し、ジャズを吹きこなせるようになることを目標にしてきました。時は1970年代。当時ジャズ音楽だと思われていたものの多くは、実は、管楽器がメロディを演奏するファンクか何かでした。しかし僕は、小さい頃から本物のジャズミュージシャン達に囲まれて育ったおかげで、当時僕達が好きで演奏した歌謡曲とは異なる機能が、このジャズという音楽にはあることに気づくことができたのです。当時さんざん流行していた歌謡曲は、上っ面のごまかしや感傷的な言葉や演出でウケ狙いをし、中身の音楽はというと、ウケ狙いの一つにすぎませんでした。これに対しジャズミュージシャン達は、「中身」である音楽で勝負してきます。自らのインプロバイゼーションで、聴き手を、自らのウソのない心と自らの世界へと、奥深くいざなおうとするのです。 

 

僕が10代の頃と、かのレジェンドプレーヤーであるビックス・バイダーベックとは、恐れ多くも皮肉なことに、同じような状況にあったのです。アイオワ州ダベンポート出身の彼は、1917年、まだ10代の頃、初めてジャズを耳にしました。彼の周囲にいた人々の大半が持っていた、ジャズに対する認識と言えば、駄作、ウケ狙いの一時的流行、しかも彼らが「役立たず」とさげすんだ黒人が創ったということが、更に不当な評価を与えていたのです。それでもビックスは、ジャズを徹底的に聴きまくったことにより、周囲の人々の無知と人種差別には耳を貸さず、黒人のグループ、白人のインチキグループ、そして同じ白人のグループでも「ニューオーリンズ・リズムキングス」のような正統派のグループ、そういった中から「違いの分かる耳」を鍛え上げてゆきました。同時に、自分がそれを演奏する上で成すべきことを自力で発見し、そしてプレーヤーとなるべく行動を起こしたのです。でもその結果、自分が育った厳格な白人社会から遠ざかってゆくこととなりました。 

 

バイダーベックと同じように、僕も、本物のジャズと、ジャズと「呼ばれているもの」とを区別するものは何なのか、を解明したかったのです。 

 

ジャズは、本当の処、何を言おうとしているのか? 

 

それがわかったとして、ちゃんと価値のあるものであってくれるのか? 

 

そんなことも理解できたところです。 

 

ジャズの真価は、一人一人が自分だけのサウンドを持つことにあります。ジャズはプレーヤーの手を取り、サウンドというトンネルを通って、そのプレーヤーの心の核心へといざない、そこへたどり着くと、プレーヤーに向かってこう言うのです。「さあ、ここにあるものを表現してみろ」と。ジャズを通じて、僕達は、人間は全員同じ方向を向いているなどということは、ありえない、ということを学ぶのです。ミュージシャンはそれぞれ、得手不得手を抱えています。彼らが自分に与えられた譜面や役割と格闘するのを聞くのも、ジャズの楽しみの一つです。そこから一歩進んで、もし僕達が、周りの人達、そして自分自身の長所も短所も受け入れてあげることができるようになるなら、人生は今より肩の張らないものになることでしょう。人の世は、白黒はっきりつける考え方ばかりでは、苦しいですからね。 

 

例えばマイルス・デイビスは、ルイ・アームストロングのように大きく響くサウンドを持っていませんでした。しかし彼は、独自のやり方で、サッチモより小ぢんまりとした響きで、独自の強烈なテンションを表現する方法を編み出したのです。彼がリリースしたレコードの中には、演奏上のミスをそのままにしているものもありますが、それでもなお、素晴らしい演奏です。その不完全さ故に、音楽により深い味わいと、マイルスらしさが感じられる、ということなのです。今の時代、若い人達は、広告業界やテレビ業界の類がまき散らす、薄っぺらでありながら傷一つないものにつられているようですが、「今自分が持っているもので」という発想の方が、彼らにとっては役に立つと思います。 

 

ジャズはまた、他の人達と物事に取り組むということは、困難ではあるけれどやれることなんだ、ということを教えてくれます。皆で一つのことを創り上げる時には、多くの葛藤がつきまとうものです。他人の決定を受け入れる寛容さを、皆さんに求めてきます。ある時は人をリードし、ある時は人に従う。しかし何があっても、途中で投げ出してはいけない。それを可能にするのは、変化に際してのスマートな対応力、というやつです。演奏とは、いついかなる時も、その場その場で発生することを素材にして、一つのものを作ってゆく、そのためには、皆が共に一体となることが欠かせません。 

 

「自分独自のホンネを表現する大切さ」と「共同作業に対する前向きな気持ち」。当時この二つの発見は、僕にとって願った以上の収穫となり、その後普通の10代の人間には耐え難い、益々複雑化する人間関係に対応できるようになったのです。まず、ジャズのおかげで、自分をもっと大事にしようという気になれました。何か意味のあるものをインプロバイズしようと思うなら、他人とシェアする価値のあるものを、何でもいいから自分の内面から見つけ出して表現しなくてはなりません。しかし同時にそれは、他人というものに対する新たな意識の持ち方を教えてくれたのです。というのも、僕の表現の自由は、同じステージ上にいる他のプレーヤー達のそれと、直接リンクしているからです。僕に言いたいことがあるように、彼らにも言い分がある。彼らが自由になるほど、僕の自由度が増すし、その逆も然り。自分の音を他のプレーヤー達に聞いてほしいと思うなら、お互いしっかり聴き合わなくてはいけない。そして、良い演奏をしたいなら、お互い信頼し合うことが必要だ。そんなことを学んだのです。 

 

ここまで書いてきたことは、勿論、ジャズを演奏する側のことを特に取り上げたものですが、同じことが、ジャズを聴く側にも言えるのです。ジャズの素晴らしさは、聴き手にとっても、弾き手にとっても、同じこと。なぜなら、この音楽は、人々の様々な感情、個性、皆で行うインプロバイゼーション、これらが結びつくことによって、人生の根幹にある様々な問題の解決策を僕達に与えてくれるからです。より深いレベルでジャズを聴くことにより、より多くのものがもたらされます。人同士の会話にも見受けられることですが、ミュージシャンは、聴衆がちゃんと耳を傾けてくれているかどうかを、把握しています。そして、より良い聴き方が、良い演奏を生み出すのです。 

 

ジャズの音楽のことを知ることにより、今まで自分が持っていなかった歴史に対する見方が身に付きます。僕は1929年の世界大恐慌のことについては、本で読んだことがありましたし、その時代を生き抜いた人々と演奏を共にしたこともあります。しかし、ミルドレッド・ベーリー、ビリー・ホリデー、ベニー・グッドマン楽団、あるいはエラ・フィッツジェラルドとチック・ウェブ楽団の演奏を聴くと、彼らの時代を垣間見ることができるのです。彼らが読み書き話した言葉、民族間の違いを橋渡しするために使ったユーモアや様々な概念、彼らが心躍らせた、お互いのやり取りの中から生まれたグルーブ感によく表れている、男女が愛し合うということの概念(それは甘美で心を熱くするものです)、更には、同じ時代に、やはり人を甘美で熱い世界へと導くラテン音楽も台頭してきたのでした。辛い時代にもかかわらず、というよりも、辛い時代だからこそ、生きてゆくことを、まずは祝福し、そしてその意義をはっきりさせる。そんなことを楽しくやる方法を見出そうとしている様子が、聴いて取れるのです。それも、単に楽しげなメロディを使うのではなく、そこに活気があって、ストレートな奏法であるスウィングをかけてゆくわけです。スウィングと言えば、楽しげで、プレーヤー同士のやり取りの中で生まれてくるリズムです。ジャズミュージシャン達は、このリズムを、あらゆる種類のメロディに - 例えそれが悲しい気持ちや何かを失ったことへの思いを歌った曲でも - 駆使してきます。 

 

ジャズ音楽に込められているのは、アメリカの歴史、そして秘めたる力。それらは積み重ねられ、神聖なものとなり、ジャズを聴いて感じて理解できるようになれば、誰もが触れることができます。ジャズは、過去の自分に、そしてより良い未来の自分に、今の自分を結び付けてくれます。人間が発達してゆく時の流れの、どこに自分を当てはめるか、ジャズはそんなことを僕達に気づかせてくれます。これはまさに、芸術の持つ究極の真価なのです。 

 

どんな分野でも、一流のアーティストというものは、時代を越えて、人間の普遍的なテーマについて僕達に語りかけてきます - 死、愛、嫉妬、復讐、欲望、若さ、老い - いつの時代も実際には大して変わらない、人生の中で経験してゆく基本的なことです。まったく、アート/アーティストというものは、僕達を「人類皆兄弟」にしてしまう、本当に大したものです。そして、一流のジャズミュージシャン達は、聴き手にそれを体感させてくれるのです。ジャズの世界へと入ってゆくことによって、素晴らしい創造性に富んだ人達と、心を通わせる機会を持つことができます - マックス・ローチ、ジル・エバンス、パパ・ジョー・ジョーンズ、マリー・ルー・ウィリアムス、等々、枚挙にいとまがありません - そして、多くの様々な発想が生み出した作品を通して、インプロバイズする、すなわち、僕達に共通する問題について考え抜き対処してゆく上で、やれることは無数にあるんだ、ということを、ジャズは教えてくれます。コールマン・ホーキンスのようなミュージシャン達は、物事を分解し、再び一つ一つ組み立てなおしてゆきます。アルトサックス奏者のポール・デズモンドのような人達は、分かりやすくてさりげないウィットを用いて演奏します。「ウィット?ミュージシャンが?」と思うかもしれません。ウィットのある人というのは、誰もが知っているものの言い方を、鋭くユーモアのあるやり方で、ひねりを加えてきます。ミュージシャンはこれをメロディで行うわけです。「次はこういくかな?」と思うところを、良いオチの持つ、間と魅力で、思わぬ方向へと持ってゆくのです。 

 

ジャズには、プレーヤーの数だけアプローチの方法が存在します。ビックス・バイダーベックマイルス・デイビスブッカー・リトルといったミュージシャン達は、深みがあって、悲哀に満ち、傷心に沈むサウンドを創り上げることに、知性と感性をつぎ込んでゆきます。チャーリー・パーカーは、すさまじい速さのテンポで、頭の回転の速さと物事を組み立てる上手さを駆使して、僕達が持つ者の感じ方というものの概念を広げてくれます。 

 

ルイ・アームストロングが編み出した、ブルースによるリアリズム手法は、他のミュージシャンと比べても傑出していて、それまで感傷的で薄っぺらで洗練されていなかったアメリカの歌謡曲を、骨太なものに変えた苦心作です。彼はそのために、アフリカ系アメリカ人が得意としたリズムを取り入れ、芸術的完成度の向上を図ったのです。これらはインプロバイゼーションの技法により可能となりました。こうしてジャズは、きっちり作りこまれたメロディと、洗練されたハーモニーを得たのです。 

 

ヨーロッパの、クラシック音楽を中心とする作曲家達が、素材として頻繁に使ったのが、民謡の主題です。民謡は、彼らの時代の歌謡曲でした。これがきっかけとなり、ファンタジア形式や、それまでの音楽形式にとらわれない自由なスタイルの作曲形式が生まれ、フーガから12音音楽まで、あらゆる種類の複雑な作曲技法が取り入れられるようになったのです。 

 

一方、ジャズミュージシャンは、インプロバイズをする時は、メロディのリズムとハーモニーの構造は、大体いつも変化させません。アメリカ音楽におけるインプロバイズの大半は、変奏曲、つまり一つの主題を元に様々なバリエーションを展開する形式です。伝統的なバイオリン弾き達が奏でたリール、そして教会音楽といったものから、ブルース、そして19世紀のコルネット吹き達が腕前で魅せた「ヴェニスの謝肉祭」のような有名処の主題を元にした変奏曲まで、皆そうです。 

 

これらの伝統を全て受け継いだのが、ルイ・アームストロングです。彼がインプロバイズしたのは、歌謡曲の、メロディやハーモニーだけではありません。失恋であったり、「好き」が行き過ぎて相手を困らせてやろうという気分だったり、恋愛感情に対しては人間は実に様々な反応を示しますが、そういった自然と湧き上がる色々な思いへと案内するかのように、「色々な思い」をインプロバイズして見せたりもしたのです。「世界一のデュエットは、愛し合う男女」と、デューク・エリントンは言いましたが、人類にとって普遍的なこのテーマをインプロバイズする方法を、世界中のジャズミュージシャン達に教えたのが、ルイ・アームストロングだったのです。 

 

1920年代、30年代、そして40年代の人気歌謡曲の数々は、アメリカのスタンダードミュージックとなり、ジャズミュージシャンは、これらを枠組みとして音楽を作りこんでゆきました。この豊富な音楽素材の数々は、若者の揺れる思いから、中年男女の体にガタが来た切なさまで、およそあらゆることを網羅しています。これらはジャズミュージシャン達にとってリスペクトすべき曲の数々であり、テナーサックスの名手ベン・ウェブスターなどは、かつて「歌詞を忘れてしまっては吹き続けるわけにはいかない」と言って、楽器でインプロバイズをしている最中に吹くのをストップしたほどです。 

 

ジャズは、人の感情表現については、多くの解釈を良しとする、懐の深さを持っています。ジャズミュージシャン達が、それまでのあらゆるミュージシャン達よりも、リアルな恋愛感情を色々と表現してゆくことにおいてリードしているのは、いくつかの理由があるのです。ジャズは、楽器の弾き方と、ハーモニーを幾つかマスターすればいい、ビブラートや効果音は独自の流儀を作ってもいい、形式だの前例だのよりも、寄り添う気持ちや、偽りのない心の方が役に立つ、時間の流れを止めずに演奏することを通して、無意識に発信し続けることができるようになる、作曲法も管弦楽法オーケストレーション)もいらない、そして、ジャズには徹底したリアリズムと、辛い歴史を乗り越えて人が手に入れたブルースの喜びがあるから、なのです。ジョニー・ホッジズの卓越した官能的表現、マイルス・デイビスの「超」がつくほどの繊細な表現をする秘技、デューク・エリントンの異端でありながらも卓越した優雅さ、スタン・ゲッツの凛とした優しさ、ハリー・スゥイーツ・エジソンのお茶目な色っぽさ、ビリー・ホリデーの失恋の嘆き。まだまだありますが、彼ら一人一人が、皆さんを心地よい恋の浮き沈みの旅へと誘ってくれるのです。すると皆さんは、自信を持って、自分の本当の気持ちに踏み込み、愛する人の心がいかに大切かに気づいて、それを解き放ち、心穏やかな時を楽しみ、言葉がなくともそれがまた一層、二人の時間を穏やかにすることに気づくのです。 

 

ジャズはタイミングがカギとなる芸術です。皆さんは「いつ?」という感覚を磨いてゆくことになります。いつ始めるか、いつ待つか、いつ加速するのか、いつ一息つくか、これらは人を幸せにする上で欠かせないツールなのです。 

 

ジャズにとって欠くことのできないもの、それは time です。と言っても、時計が示す「時刻 time 」でもなければ、楽譜に書いてある「拍子記号 time signature」でもありません。スウィングのリズム「 time 」のことです。低い音のベースと高い音のシンバルによって演奏される四分音符(♩)が、シャッフルリズムを奏でてゆく、あのリズム感覚のことです(フランス民謡「朝の鐘を鳴らしなさい」が良い例です。この曲は四分音符を中心に作曲されていますが、「しずかな かねの声」という歌詞を「ボンボンボンボン ボンボンボンボン」と言い換えてみてください。これがスウィングでベースが奏でているものです)。3連符をベースにしたシャッフルリズムに、ピアノや管楽器が奏でる全ての音型が収まってゆきます(3連符とは、アイルランドのジグというダンス音楽を思い出していただけれると、すぐにお分かりになると思います)。様々な楽器が舞い、それらをベースとドラムスが一つにまとめ上げるのです。ベースとドラムスは、家庭における男性と女性の様なもので、音の高い/低い、大きい/小さい、について、この2つの楽器が、最高/最低、最大/最小、を決めます。そして、個のベースとドラムスの協力体制が、リズムの出来のカギとなるのです。仲良くやれればスムーズにリズムは流れてゆきます。うまくいかないとどうなるか、については、面白い話がたくさんあります。 

 

僕の父と、その仲間のミュージシャン達は、新しいミュージシャンとの出会いがあると、二つだけ、そのミュージシャンについて見極めようとしました。それは「この人は弾ける/吹ける人か?」(良い音楽性と独自のサウンドを持ち合わせているか)と、「タイムはどうか?」(良いテンポ感のグルーブを生み出せるリズム感を持ち合わせているか)でした。ジャズは「 time 」との付き合い方を教えてくれます。バンドと共にステージ上で演奏に臨む時、3つの「 time 」が常に付きまといます。一つは、日常生活における「時間」(time:機械的に過ぎてゆく時間)、もう一つは自分の「テンポ感」(time: 

「時間」(time)をどう感じるか)、3つ目はスウィングのの「リズム」(time:メンバー全員が自分の「テンポ感」(time)を修正・調整して、決められた「時間」(time)の流れ方を元に「バンド全員の」リズム(time)を作り出す方法)です。 

 

日常生活における「時間」(time)は、一定で変化のないものです。自分の「テンポ感」(time)は、自分なりの解釈や感じ方のことです。スウィングの「リズム」(time)は、集団行動、ということになります。ジャズミュージシャン一人一人が日々創り出そうとするのは、日常生活における「時間」(time)のかわりとなる、もっと順応性のあるものです。ベースとドラムスはスウィングの「リズム」(tiime)の土台となり、そしてバンドの他の奏者達は、彼らに与えられた役割から見て、土台のリズムを読み解いてゆきます。突込み気味に演奏する者もいれば、ゆっくり遅れ気味に演奏する者もいますし、拍にピッタリと合わせてくる者もあるのです。それでも全員が調整し、そして合わせ所を見出してそれをキープしてゆきます。「テンポが合っている」ということは、自分の演奏が他のプレーヤー達の耳と意識にしっかり届いて、かつ柔軟性も十分あることで、「究極の一定不変」である「スウィング」の中へ、スルリと入ってゆくことができている、ということなのです。 

 

「テンポが合っている」ということは、ジャズ以外の実生活で大いに役に立つものです。スウィングとは、要はマナーの問題なのです。周囲と「テンポが合っている」人というのは、自分の言いたいことを抑えるタイミング、逆に押し通すタイミング、これらを心得ていますし、周囲に対する反応の仕方についても、空気を読んだものだったり、あるいは、とんでもなく創造性のあるものだったり、といったことを、機を見て発揮する方法を知っているのです。頭の回転が速いコメディアン達は、これをステージ上でやれているわけです。それからアスリート達。時計が刻むプレッシャーのせいで、独りよがりな、そして大抵は失敗するようなプレーに走るリスクを乗り越えて、チームワークを要する知的な判断を次々と行ってゆくのです。いずれにしてもそのためには、チームあるいは相方との一体感を保つために(ジャズで言うところのグルーブ)、最大限巧妙な適応力と相方に対する譲り合いができなければなりません。そして皆さんのチームメイトや相方も、逆に皆さんに対して同じことができなくてはいけないのです。大抵のバンドでは、このことでいつも激しい言い争いになるのです。 

 

「おい君、テンポが引きずり気味だぞ」 

「君が突込み気味なんだろ、ラスプーチン 

「どんなテンポ感で演奏しているんだよ?頼むから合わせられるテンポ感でやってくれたらいいんだよ」 

「そういうことはスウィングができるようになってからいえよ」 

「君ねぇ、周りが聞こえてないのか!たのむから引きずってないで合わせろよ」 

 

ベース奏者達VSドラム奏者達の、リズムやテンポについてのせめぎ合いは、絶えることがありません。多くの場合、ベースは走り気味で、ドラムは遅れ気味。なので、いつも水面下で争いが発生するのです。かつてはリズムギター奏者が間に立ち、審判の役割を果たしていたのですが、残念ながらビッグバンドというものがビジネス上成功しなくなるにつれて、リズムセクションから消えてしまったのでした。とは言え、そういったリズムギター奏者は、ミュージシャンの中でも最もすすんで自己犠牲をするタイプなのです。音量は桁外れに最も小さく、しかし同時に彼は、バンドの中心的存在なのです。全ての拍に音を入れてリズムを刻むその様子は、まるで「ほらみんな、ここへ集まっておいで」と言っているかのよう。演奏がうまくいっている時というのは、リズムセクションがトランポリンの様な機能を果たしている状態なのです。気の抜けない状態ではあるけれど、軽快さが保たれているので、バンドのメンバーは存分に演奏し切れる。これが気が張りすぎても、逆にぬけすぎても、ロクなことになりません。 

 

科学者達は、この世の中で変化しないことは唯一つ、それは「物事は常に変化し続ける」という事実だけだ、とよく言います。スウィングができるようになると、こうした変化に向き合う方法を変えてゆくことにつながります。ここまで見てきましたミュージシャンの「time」との関わり合い方というものは、皆さんにとっては次の5つのことについて、大いに参考にしていただけると思います。 

 

1.平静さを失うことなく、変化に適応すること 

2.危機に際しても、明確な思考を働かせること 

3.自分をゴリ押ししようとせずに、一瞬一瞬を生き、現実を受け入れること 

4.自分の考えと異なっていても、チームとしての目標に集中すること 

5.自分自身の力を注ぎ込む方法とタイミングを知ること 

 

周りとペースが合ってくると、逆に思い切った行動を取る自信が、同時に持てるようになります。ミュージシャンは周りと息が合ってくると、自信に満ちた演奏がしっかりとできるようになり、素晴らしいリズムを次々と発信し始めます。そういうミュージシャンとして、僕が真っ先に思い浮かべるのが、ソニー・ロリンズです。素材としてのビートに徹底的に手を入れて、素晴らしい作品に仕上げると、一流のジャグラーやアクロバット、あるいは勇敢な冒険家のような思い切りの良さを発揮します。「これ、何かあるよ。見てみよう」「これとあれを組み合わせてみたら、きっと上手く行くんじゃないかな」彼は、いつもこう言っては、本当に言うとおりに実現させる、ということがよくありました。彼の奏でる、とびっきりのリズムのひねりや工夫は、まさに奇想天外。テロニアス・モンクもそうです。この二人の、それぞれの演奏を聴いていると、「time」から抜け出してみることで、逆にしっかりと深く根を張った「time」を表現したり、姿が見えなくなったかと思った途端、ポンッと再び現れる。といったことをしているかのようです。 

 

「変化が降りかかってきたら、こうやって切り抜けたらいい。でもそれだけじゃなくて、逆に自分から変化を起こし、皆にも勧めて、そして楽しんだらいい。その方法はこれだよ」彼らはそう教えてくれます。よく、時の流れには逆らえない、などと言われます。「光陰矢の如しっていう諺を知らないの?!」「時間を無駄にするな!」「若いうちにやらないと!」とね。今時の、若者中心の文化にあっては、年を取ることが、あたかも犯罪行為のように扱われてしまっています。年配者は若い頃の写真を他人に見せて、当時の自分を自慢する。若者達は、両親の時代の価値観は「昔のもの」として、振り回されたくない。ましてや祖父母の時代なんて、「大昔のもの」だから論外だ、と拒否する。 

 

ところがジャズの演奏は、15歳かそこらのプレーヤーが、80歳だかのプレーヤーの隣に座ってもいいのです。70代の頃のスウィーツ・エジソン、60代の頃のローランド・ハンナ、20代の頃のレジナルド・ヴィール、彼らは年齢は違っても、僕が見た限り、全く同じ情熱と気迫で、スウィングの高みを追い求めていました。そして多くの場合、年配者が若手を導いていたのは、間違いありません。 

 

ジャズの世界では、時の流れには、逆らうものでも従うものでもありません。時の流れは僕達の味方です。自分自身のスウィングを身に付ける、あるいは音楽以外のことでも、周りとペースを合わせることができるようになる頃には、「光陰矢」の如く時は流れて行ってしまうものです。でもその結果に対しては、「あぁ、やってよかった!」と、きっと思えるはずです。そしてその時、そこに至る過程こそが大切なんだ、と気付くでしょう。それこそが、スウィングのもたらす喜びなのです。

 

 次回は、第2章を見てゆきます。