Moving to Higher Ground - How Jazz can Change your Life を読む

Random House Trade Paperback "Moving to Higher Ground" を読んでゆきます(語句・文法解説付き)

「Moving to Higher Ground」を読む 第6回

第4章 何を懸けるか - そしてどう感じるか - :演奏すること 

   

<写真脚注> 

「君の体の大きさで、こんなに大きな音を鳴らす子は、聞いたことがないよ」 

- 青少年のためのジャズコンサートにて(リンカーンセンター ジャズプログラム)。 

 

ジャズは、人の気持ちに思いをはせることを教えてくれます。他の人と共に、人の感情を音にして作り上げ、それを大切に育て上げてゆくのです。同時に、自分がすべきことはちゃんとこなすことも教えてくれます。ジャズには、自分自身を表現する方法が非常に多くあります。万能に当てはまるルールなど、無いと言えるでしょう。 

 

ジャズミュージシャン達というものは、あらゆる種類の、「変わり者」として色々他の場面で「つまはじき」にされてしまう人々が本当に大好きなんだ、ということを、僕は大人になる過程で気付きました。人間誰にでも居場所があり、演奏の腕があれば更にその居場所は広くなる、と言わんばかりに思えます。僕が魅力を感じたのは、様々なタイプの人々が、考え抜いた挙句に自分だけの方法を編み出してインプロバイズしてゆく、そんな様子でした。時には、音程感が完璧だったり、その場に当てはまる音を演奏してゆく方法を直感的に知ることが出来たり、そういう人がいるかと思えば、曲のハーモニーにどの音階を使えばいいかを科学的な方法を使わないと分からない人々もいます。他にも、技術的な器用さは何もないけれど、何かしらの深みのある感情表現が出来て、それをブルースにしたものを自分の演奏にあてはめる人々もいました。彼らは、いわゆる「自分自身のサウンド」を持っていたのです。 

 

あるミュージシャンは、和声を聞く力はそれほど無いものの、メロディを演奏するセンスが良かったりします。別のミュージシャンはリズムのセンスが良いものの、メロディを演奏する力がなく、2・3個の音符にしがみついて、それで何とかその場その場を切り抜けてきた、という具合。いずれにせよ、皆がよく分かっていたこと、それは、誰も完ぺきに能力を全て持ち合わせてなどいないんだ、ということ。だから、自分ができることを大事にして、出来ないことがあるという現実には、きちんと向き合うことが大切なんだ、ということでした。 

 

しかし時には、天性のミュージシャンというものがいて、こういう人は努力しなくても何でも理解し、いつだってキチンと演奏することが出来るのです。そしてジャズでは、「演奏することが出来る」とは、自分だけの何かを持っていて、それを他の人達にも分け与えてゆかねばならない、ということを意味します。この「分け与え」は、子供のうちにはちょっと難しいことです。演奏する能力はあっても、その子が自信をもって「こう思います、いいか悪いかは、自分で決めてください」なんて、まず言えないでしょうからね。 

 

でも、いたのです。言えた子が。ニューオーリンズジャズの、シドニー・ベシェです。ベシェは自分の早熟さを自覚していました。9歳で大人と肩を並べて演奏し、14歳で自分のバンドを結成、楽譜の読み方を習う必要がなかったとのこと(一度耳にした曲は完璧に頭に入れた人ですので、もっともです)。そして彼は、人生の詩的な美しさを理解するアーティストでした。僕がフランスで年配の方々から聞いた話ですが(フランスと言えば、ベシェが晩年を過ごし、スターとしての地位を得た国です)、大変女性達に愛されていたとのこと。でも僕には、写真を見る限り、女性を魅了するような風貌には、特段思えなかったので、理由がわかりませんでした。しかし、彼の自叙伝「Treat It Gentle(優しくして)」を読んで、彼が女性達から愛されていた理由がわかりました。彼は人生の神秘を知る、偉大な語り部だったのです。 

 

彼の自叙伝からの引用です。 

 

「ミュージシャンが演奏するには、マリファナ入りの巻タバコをふかして気分を盛り上げないと、などという話を聞いた人もいるだろう。」 

「女や酒を傍に置いて自分を慰めたり・・・あらゆることに対して自分の気持ちが酔いしれるよう自分を仕向ける・・・色々なものに頼って、気持ちを酔いしれさせる、自分を女としてめかしこむ、あるいは気持ちを高揚させる。それはその人の勝手だ。世の中には、そのように自分を仕向ける「べきだ」と考える人も多い。でもミュージシャンが演奏する本当の理由は、ただ一つ。演奏は、ミュージシャンが否応なしに、成すべき仕事だからなのだ。」 

 

ベシェは続けます。 

 

「もう一つはインスピレーションだ。」 

 

「インスピレーションは誰にでも与えられるべきものだ。それは人が生きる道であり、人はそれを日々の暮らしの中に見出す。インスピレーションは、それを受ける準備が出来ている人に与えられる。でも、ただ与えられるのではない。それはその人の血肉とならねばならない。よって準備が必要だ。あなたの身の上に起こることを通し、それが素材となって「あなたの思い」というものが作られる。その「思い」を、あなたは演奏するのだ。しかしそれだけではない。音楽にも「思い」がある。さぁ、いよいよあなたの「思い」と音楽の「思い」が一つになるあらましだ。あなたの方の「思い」は何でも結構だ・・・ある曲を恋愛の思いから演奏し始めたとしても、終わるまでには、もっと別のものに昇華していなければならない。あなたの恋愛の思いは、音楽の方にある「思い」と出会うことで、音楽は一本立ちできるようになるのだ。」 

 

これは、ある種ミュージシャンにとっては、本質的な話です。二つの重要な考えが語られましたね。まずは、音楽を演奏するには才能がないといけない、ということです。これは自分ではどうしようもないことではあります。物事に取り組む上で、何かしら才能があれば、たとえどんなに小さい才能であったとしても、大きく伸ばすことも可能です。でも才能がないとなると、フラストレーションに苦しむ覚悟が必要です。大学生や求職者が、彼らの才能に対する率直な評価に基づいた就職先しか与えられないのは、このためです。 

 

次にベシェが求めたことは、人は何らかのインスピレーションを与えられる、ということでした。ところで、一卵性双生児で、一緒に育てられた二人でも、全く同じ人生を辿るということは、有り得ません。思いは人それぞれであり、人と音楽の思いを一つにする方法も、その人が自分で見出さなければなりません。そして多くの場合、ミュージシャン自身の思いと、音楽の思い、この二つの「思い」は、全く関連性がなかったりするのです。 

 

言葉を話すことも、これと同じようなことが言えます。皆さんの身の上に起こることを通し、それが素材となって皆さんの思いというものが作られる。それを伝えるために言葉を話そうと思うなら、意図(皆さんがどう思っているか)と発言(皆さんが選ぶ語彙)が一致していなくてはいけません。他人を介さず自分自身で話す時でさえ、自分の意図することを間違えて伝えてしまうことは、ざらにあります。しかしミュージシャンにとっては、この「一致」のためには、大変な時間を要し、そして、のほほんと過ごすことも許されません。あらゆる時を逃さずに、腕を磨かねばなりません。そして、自分の思いを偽りなく公にすることは、場合によっては不快なものです。そうやってステージ上を一変させるのは、力の要ることです。それを経験するためには、全てを犠牲にすることにすら、なりかねません。 

 

芸術とは、あらゆる分野における、あらゆる種類の創造性のことであり、これを育むための栄養の素、すなわち人生の経験というものが必要です。これは演奏する側にも、聴く側にも求められることです。 

 

僕が子供の頃ケナーに住んでいた時、同じ町内にジェラルディーンという名前の知的障害を持つ女性が住んでいました。彼女は年を取っていて、噛む歯が全て無く、深く刻まれたシワの奥に目がある姿でありながら、小さな女の子の様な服を着て、髪を二本お下げにしていたのです。彼女が知的障害を持っていたことは、町内のみんなが知っていました。彼女は何をしでかすが予想がつきません。突然スカートをたくし上げる、人の後をついてきて小枝でひっぱたく。子供だった僕達は、彼女をからかって遊びました。しかし僕のお母さんは、よくこう言うのでした「そんな風に言うもんじゃない。彼女には自分が送ってきた人生があるのよ。」母が言いたかったことは、彼女をただの知的障碍者として見るな、彼女は一人の人間であり、これまで歩んできた人生があり、そこには僕達も関わってきているのだ、ということです。 

 

音楽をする上でも、そして人として生きてゆく上でも、きちんとした聴く力をつけようと思うなら、自分以外の人達の存在をしっかりと意識する必要があります。相手の気持ちに寄り添って話を聴ける人達の方が、大抵いつも、そうでない人達よりも多くの友達に恵まれます。だからこそ、そういう人達の忠告というものは、一目置かれるのです。相手の話を辛抱強く理解しようとする聴き方をする人は、幅広く自分の居場所を得ることが出来ます。一見、どんなに人を惹きつける魅力がありそうでも、相手に耳を貸さず自分は何でも分かっているという姿勢では、自らの居場所を狭めてしまいます。ジャズは人の耳を鍛えてくれます。プレーヤー達の考えていることに、ついてゆきつつ、彼らのサウンドの中から人間の奥深が聞こえてくるよう努力すること、を続けるからです。ジャズクラブのテーブルにいる聴き手でも、逆に吹き手として楽器を手にしても、サウンドに込められている人間性とは、人生の酸いも甘いも噛み分ける処から生まれ出るものなのです。 

 

その「酸い」が、僕のいた町内ひとつとっても、色々あったことを覚えています。女も男も皆、人間関係をキチンと作れない人ばかりでした。ある女性は彼女の夫を復活祭の日に殺し、、別の男性は実の娘を妊娠させてしまい、隣人のジョイス(「喜び」という意味)という女性は夫のアルテミス(女性の守護神)を、はっきりとした理由もなく射殺してしまったり、皆がそれぞれ問題を抱えていました。通りの向かい側に住んでいた僕の友人の兄は、よく人前で自分の奥さんに手を上げていました。僕達が路上でサッカーをして遊んでいると、彼はそこへ出てきては、奥さんを殴り、そしてふざけた振る舞いをするのです。僕達は冗談めかしくこう言ったものでした「ウィリアムも家族の連中も頭がおかしいよ」そうは言っても、心底愉快な話というわけでは全くありません。更には彼の奥さんは、気丈でとても優しい人であったのです。もしもウィリアムに非がないというなら、彼は知り合いの中では最も幸せな人の一人、ということも言えることになります。彼らの奇行を、人々が普通に送る生活の中に置いてみて、その上で理解しようとしても、混乱するだけとしか言えないかもしれません。彼らの奇行が際立ってしまい、どうしてもそちらに目が行ってしまうからです。 

 

ある家族の息子達は、皆とことん乱暴者でした。一人、アールという、僕にバスケットボールを教えてくれた男以外は、全員、殺されて命を落としてしまいます。ところで、その息子達の中で最も狂暴だったのがジャックで、多分僕より4歳年上だったと思いました。12歳で大人を打ち負かしてしまうほどで、それが彼の専門だったのか、外で僕達とサッカーや野球、バスケットボールをして遊ぶことが出来ませんでした。 

 

そんな彼が、ある日突然こう言ったのです「おい、お前のキチガイ弟はどこ行った?」 

 

僕の弟のムボヤは、自閉症でした。 

 

僕は「ムボヤはキチガイなんかじゃない。自閉症っていう病気にかかっているだけだ」と答えます。 

 

するとジャックは「良く分からないけど、だったら外に連れ出してやればいいじゃないか?」 

 

この口が達者なヤクザ者は続けて「俺だったらムボヤを自転車の後ろに乗せて、町中連れ回してやるさ。ケナーはクソクラエな街なんかじゃない。お前だって、ずっとここにいるんだから、連れてってやるところなんて、いくらでも知っているだろう。」 

 

このやり取りがあった以前は、僕のジャックに対するイメージは、バイオレンス映画に出てくるようなことに四六時中関わっている男、というものでした。子供の頃からの付き合いで、彼のことは良く分かっているつもりでした。でも、このやり取りがあって「何てことだ。そういえば近所の誰もムボヤのことに触れたことなかったな」と思ったのです。 

 

ケナーでもこう言った教訓から、僕は教えられたのです。物事は見た目と中身を一緒だと思うな。諺に例えるなら、「本は読んでみなければ中身は分からない」というやつです。人生は決して通り一遍などではありません。なぜなら僕がいた町内の、あらゆる混乱のその中には、実に多くの物語が存在していたのです。必死に家族の面倒を見る人々、仕事を頑張る人々、恋に落ちる人々、失恋に苦しむ人々。全ては、この、ガイドレール付きの線路とアメリカ最大のミシシッピ川に挟まれて、中心都市ニューオーリンズから35分離れたこの町で、1966年から1973年にかけて起きていたことでした。 

 

ここでの生活が教えてくれたこと、それは、世の中を見る時は、自分とその周りで起きていることを、それらの持つ背景やいきさつと一緒に考える、ということでした。物事の皮肉な有様や不条理さ、社会の序列の中での黒人の人々の置かれている地位、全てのことについて、その大切さや表に現れない「含み」といったものを、必ず頭に置いて、目の前で、見聞きし感じている物事を捉える。この時正しいとか間違えているとかいう尺度では、不十分なのです。 

 

ジャズについても同じことが言えます。物事は全体を捉えて見るべきだ、ということであり、正しいとか間違えているとかいう見方ではいけないのです。ブルースがその極意で語るように、ジャズは、物事の有りのままを表現する、ということなのです。 

 

そういった理由から、僕が後進の指導に当たる時、真っ先に問うのが「この子たちは人生に対する幅広い理解が出来ているか?」(こういう「理解」の力は、聴く力を伸ばします)。次の「その『理解』を楽器のサウンドに乗せて表現できるか?」なのです。サウンドは、その「理解」という情報が流れるための水路です。知性、共感、あるいは無知、その他何でもサウンドに乗せて伝えることが出来ます。若い人達にとってサウンドを磨いてゆくことは、殊の外難しいかもしれません。というのも、「サウンドに乗せて伝える」という行為に欠かせないのが、伝える相手、すなわち聴き手です。彼らは伝える内容をちゃんと聴きとってゆきます。ジャズは人間の本音を聴き取ってしまう能力を研ぎ澄ましてくれます。ミュージシャン達が言う処の「ウソ発見器」であり、伝えることが本当かウソかを知ることが出来ます。 

 

ルイ・アームストロングチャーリー・パーカー、あるいはリー・モーガンの様なミュージシャン達の、人目を引くようなサウンドは、一見に派手に思われるかもしれません。しかし彼らのサウンドは、離婚、恐怖、裏切りや死といった、物事の冷たく辛い現実を含むこともあることから、派手さだけではなく奥ゆかしさもあるのです。彼らのサウンドの核心にあるものは、孤独でさみしい「人生なんてそんなもんさ」的な感覚です。それは人間の在り様についての、誰もが逃れられない、基盤となる現実なのです。年配の方達が教会で言う、沢山の神の祝福の言葉に続く、重く、的を射た、まとめの一言「告白します、牧師様、告白します」。優れたミュージシャンの持つ、物事を見通す力というものは、皆さんの魂を高揚させ、心の視野を広げてくれます。丁度それは、すぐれた牧師が、神様の知恵を詩的に言い表すことで人々に希望を与えるやり方と同じです。 

 

音楽で成功するかどうかは、多くの分野でもそうですが、自分の才能の至らないところをキチンと表明する意思があるかどうかにかかっています。あのチャーリー・パーカーでさえ、練習に多くの時間を費やしました。例えば皆さんが、リズム感の全くない人だとしましょう。リズムを演奏するということは、周りとの調和を保てるかどうかに尽きます。なので、時間を見ては自分で体を動かして踊ってみて、リズムを刻み続けるようになることが、一番の練習方法です。聴音がダメ、という人もいるでしょう。「自分は音痴だ」と言う人が沢山いますが、そんな人達でも言葉を話す時には、メロディのようにちゃんと抑揚がついているものです。本当に音痴な人なら、話し方も一本調子になるはずです。他にも、自分は歌や楽器が出来ません、とさけている人というものは、- そういった意味では、歌も楽器も聴かない、という人も同じですが - 心に表現したいものが浮かばないと思い込んでいるようです。理論的には考えられるのでしょうが、本当にそのようなことが有り得るのでしょうか。人は誰でも、他人と分かちあえる、その人ならではの大切なことを何かしら持っているものです。少なくとも僕が出会った人は皆そうです。 

 

ジャズの音楽ライターの人達というものは、彼ら自身の複雑な事情であったり、悪評ネタの方が、より面白おかしくなることもあったりして、昔はよくミュージシャンの生きざまに関して否定的なことばかりを書き続けていたものでした。ミュージシャン達の方も、それに乗せられてしまい、自らを超人的にタフだと思わせたくて仕方がなかったのです。本当にそういう人達もいましたが、大半は弱い存在でした。ライターの人達はとんでもないことをしてくれたもので、様々な型にはめてしまうことで、黒人の本当の生き様を分からなくしてしまったのです。「ジェリー・スプリンガー」のようなテレビのワイドショーのおかげで、ようやく世間一般に明らかになったことは、無知無学だの、狂った行為だの、というものは、何も黒人に限ったことではない、ということでした。ジャズと黒人は病気を表す言葉、として定義され、その実態を描く唯一のものがブルースの歌詞であるかのように思われてしまっています。酷い仕打ちを受けた、治安の悪い街角で育った、アル中、ドラッグ中毒、何かにつけてもろい存在。実際、辛さ苦しさというものは重要です。殊、キチンと取り組む姿勢を示すのなら尚更です。しかし楽器を通して伝える人の世の出来事には、他にももっと沢山価値あるものが存在するのです。例えば、人間なら誰しもが同じであろう、今までの記憶の奥深い所にある、自分にとっての「生きること」の意味だとか、身の回りの人達が愛おしむ音楽やその他芸術活動のことだとか、そういったものがあるのです。 

 

アメリカの音楽やダンスに関する知識がほとんどなくて、苦労している若手ミュージシャンが沢山います。教育体制が良くないことも原因の一部ですが、大半は関心のなさが原因です。音楽に関する知識が無かったり、他の人と一緒に演奏した経験が無かったり、他の人の演奏を耳にしたことが無かったり、あるいは自分の身の回りにいる人達が、誰も演奏を聴くなど考えもしない(自分が演奏するなど論外)ようなところの真っ只中に居たりするわけです。でもそのような環境にいたとしても、録音された音楽ならいつで手に入りますパソコンを使えばいいわけですし、パソコンが無ければ友人や先生など持っている人がいるはずです。自分とその周囲がどんな状態であったとしても、文化や芸術、そして自分自身を知りたいと本当に思うなら、情報の扉へはいつでもアクセスできるのです。 

 

こういう話をしていると、先祖のルーツを探している人達のようですが、アメリカの音楽やダンスと言った誰もが知っているこの芸術の遺産は、探すまでもなく人目の付くところにあるものです。その存在に気付かないだけのことです。自分のことを理解し学ぶことから身を遠ざけたくせに、自国の外に目を向けてしまい、聴いてもほとんどわからないような音楽の中に自分のことを理解し学ぶ鍵を見出そうとするなど、面白おかしいでしょうが、上手く行くやり方ではありません。 

 

アメリカは、様々な民族・宗教・文化が一つになった所ですが、スウィングは「みんなのリズム」であり、ブルースは「みんなの歌」といえます。これらを学ぶことは、すなわち自分のことを理解し学ぶことにつながるのです。 

 

自分のことをキチンと理解していないおかげで、まともな演奏が出来ていないでいるミュージシャンが実に多くいます。自分以外の人や物事のせいで、自分はまともに演奏できないと思い込んでいるのです。当然のことながら、自分が何をやっても出来ない時には、数え切れない程の理由がそこにはあるのが常です。十分な教育を受けてこなかったからかもしれない。白だの茶色だの肌の色のせいかもしれない。信仰している宗教のせいかもしれない。職場の同僚からのプレッシャーのせいかもしれない。親のせいかもしれない。演奏し始めたときに誰かに笑われたからかもしれない。 

 

人間誰しもが戦うべき相手がいます。根も葉もない噂と、押し付けられたイメージです。例えばの話、自分が家族の中で成長してゆくにつれて、誰かがその人の叔父のロバートのことを思い出すなどと、自分に言出だし始めたとします。つまり「このガキ、俺の叔父さんのロバートに本当によく似ているよ。遅刻ばっかりするし、成績はヒドイし。」自分が生まれるずっと前に、ロバートがやらかしたことを論ってゆくわけです。実際は自分とロバートは別個の人間なのに、似ている人だと信じ始めてしまうのです。他にも、自分の顔立ちや能力のことを悪く言ってくる人がいます。あるいは、お前は立派な人間にならなくてはいけないんだ、と言って、自分がどんなに成果を挙げても更に要求を上乗せしてくる人がいます。自分に向かって腹を立てている人がいるから理由を聞いてみたら、自分の父親のことをその人は嫌っていて、顔を見ると思い出すから、などと言う人がいます。その人の言っていることは、自分とは全く関係がないのに、だんだんそれを気にして生きていかなければならないと思い始めてしまうのです。勇気をもって自分を見つめ直しましょう。「ちょっと待てよ。自分はそのクソのロバートとは何の関係もないだろうが!」とね。 

 

学校では、いじめに遭っていると、ひたすら蔑まれて苦しい思いをすることになります。逆にチヤホヤされていると、周りからのプレッシャーから、本来なら控え目な性格なのに目立たないといけなくなってしまう。こうなると役者さんのようになってきます。上手く演じ切っていると、そのうち本当の自分の姿を忘れていってしまうわけですが、やがては悲惨な、あるいは極端な状況が起きた時に、本当の自分の姿と向き合わねばならなくなるのです。ありのままの自分を好きでいいんだ、ということを、ジャズは教えてくれます。自分らしさを保って上手くやってゆく方法を、ジャズは沢山教えてくれます。皆素晴らしく、そしてそれぞれスタイルの異なるピアノ奏者達をここに紹介しましょう。これをっ見て頂ければ、音楽には全ての人々のために何かしら用意されている、ということがお分かりいただけると思います。デューク・エリントン(ロマンチック)、カウント・ベイシー(スリム)、アート・テイタム(完璧)、ファッツ・ウォーラー(楽しい)、テロニアス・モンク(異次元)、ホレイス・シルバー(ソウルフル)、ビル・エヴァンス(内向き)、ビル・チャーラップ(明快)、サイラス・チェスナット(喜び満載)。自分を結び付けるものがあるスタイルの音楽との出会いは、友人が出来たような気分になれるのです。家族がなくなったしまったり、あるいは辛い別れがあったりすると、年配の人達などはよくこう言ったものです「彼らの傍にいてやるんだ」それは、言葉は要らない、寄り添うのみ、という意味です。皆さんもテロニアス・モンクに寄り添ってみてください。 

 

演奏は、人の本当の姿をさらけ出すものです。辛抱の効かない人は音にそれが出ます。待つことが出来ないのです。のんびりしていてテキパキと考えを巡らせない人の音は、誰もが聞いてそれと分かります。シャイで自分を表現するのが苦手だという人は、折角の良い考えが音になって出てこなかったり、それを埋め合わせようと力んだ演奏になってしまったりします。自己中心的な人は、他の人と息を合わせて演奏はできません。皆に合わせてもらうか、皆にねじ伏せられてしまうか、どちらかです。確かにそうやって演奏活動を続けてゆくこともできるでしょうが、そんな人と演奏するのは楽しくない - 特にドラム奏者がそのような人では - ものです。 

 

ジャズでは、プレーヤーの弱点を逆手にとって新たにモノを創り出したりします。ドラム奏者のトニー・ウィリアムスは、スウィングが浮ついてしまうのを補おうと、いくつかのテクニックを掘り起こしてゆきました。サクソフォン奏者のジョー・ヘンダーソンは、音量が出ない分、サウンドのテンションを高めてゆきました。ベース奏者のチャールス・ミンガスは、合奏用の編曲法を知らなかったこともあり、バンド全体で一斉に行うインプロバイゼーションを前面に押し出す方法を編み出してゆきました。 

 

勿論、優れたミュージシャンと呼ばれる人達の中には、このように問題対処をしない人達もいます。でも対処する人達は、聴き手のインスピレーションをかき立て、自らの欠点が固定化してしまうのを克服するクリエイティブな方法を、次々と生み出すことが出来ているのです。「必要は発明の母」とは、ジャズのことです。ジャズは、瞬間対応力を求めてきます。気のゆるみは禁物です。ジョン・コルトレーンの「レゾルーション」の録音を聴いてみましょう。演奏の冒頭、リズムセクションがつまずいてしまい、バンド全体が空中分解しそうになります。でも演奏を止めずアンサンブルを立て直し、録音を続けた結果、ジャズの歴史上最もスウィングの効いた作品の一つとなったのです。物事はくじけずやり通せ、と教えてくれる一枚です。 

 

ジャズミュージシャンにとって最優先の課題は、自分自身のサウンドを創り。自分のモノにすること。しかし人間の自然な性は、既に知られているモノや流行のモノを真似することに在ります。誰にも似ていない、として非難された最初の人は、レスター・ヤングではないかと思われます。彼がキャリアをスタートしたのが1920年代の終わり頃。当時テナーサックスを吹く人が皆こぞってモノにしようとした、音量も態度もデカい音の持ち主はコールマン・ホーキンスでした。レスターが自分の音を手にする、ということではなかったのです。我が道を行くレスターは、コテコテの、それでいて羽のように軽やかなスウィングを効かせ、その後の非難を切り抜けてゆきました。事実、自分らしさを表現することは彼のもっとも大切にしている所です。「自分だけの歌を歌えるようになってからアンサンブルに加わろう」です。 

 

レスターと同じ頃、ロイ・エルドリッジが頭角を現してきます。当時トランペットを吹く人は、皆こぞってサッチモの吹き方をモノにしようとしていました。そこでエルドリッジが作り上げた演奏スタイルに採り入れられたのが、サクソフォンのようにメロディックな旋律、熱のこもった唸るような音、そして熱く激しくとてつもない高い音域の音、これらによって「ロイ・エルドリッジは、ずっとこれで行きます」と宣言したのです。トニー・ウィリアムスから僕が聞いた話によれば、彼は自分自身のドラムスのスタイルを創り上げるために、他のドラム奏者達の特徴的なフレーズや奏法テクニックを身につけていったそうです。そうすることによって、それらを自分の演奏スタイルに、「採り入れないで済む」ようにした、とのこと。 

 

僕達は仕事でもプライベートでも、自分の関わっていることについて、常に何らかの競争だの比較だのを、実際に存在する人や仮想の相手と繰り広げています。意識している場合もあれば、自分では気付かないでいる場合もあります。ジャズの世界では、基準となるものが非常に高いので、多くの人が過去の演奏のことは頭から外してしまうことが、どちらかというと見受けられます。テイタム、バード、プレス、ポップス・・・「コラ!私の名前が無いぞ!」なんて、天から声がしてきそうですが・・・ 

 

楽器を演奏する上での技術的な克服課題を列挙する、和声と和声進行を聴く力をつける、他のプレーヤーの演奏に支障なく反応できるようになる、シンコペーションリズムを身に付けるある程度の量のメロディを覚える、そして音楽という言葉で会話をどんどん広げてゆく、つまり、インプロバイゼーションが出来るようになる - こういったことは全て多くの時間を費やすものです。そしてひとたびこれらを身に付けたら、成功への次のステップとして、これらの自分だけのスタイルを手に入れなければいけません。そして、まさにこれこそ、長い道のりとなるものです。それは時間がかかるというだけではなく、良く深く考える、といったことも同時に自覚すべきです。 

 

そして、この「ちょっとばっかり」長い道のりを終えたら、強い気持ちを自分の心の中に見出し、その気持ちで打ち込むことにより、皆が理解できるとはいかないかもしれない「音の言葉」を発信する、自分だけの方法を創り続けるのです。自分の我慢と本気が試されます。これは子育てと似ているところがあります。うんと楽しくしようと思えば、小学生になったら、パソコンの前に座らせておく、高校生になったら、友達と外で夜遅くまで遊ばせておく、そして大学生になったら、子供達の都合に合わせて時々顔を合わせる、これで済んでしまいますよね。でも、子育てをもっと楽しくしようと変化をつけようとするなら、時間を割いて彼らに新しいモノを紹介する。彼らの成長に合わせて継続的かつ変化のある会話を持つ。必要な時は目の上のたん瘤になる。「お前たちの為なんだよ」的な、しかし本当は自分こそに必要な矯正を加える。こういった辛いことも楽しいことも全て、長く素晴らしい経験の一部になるのです。ジャズとの旅も、演奏するにせよ聴くにせよ、多くの場面へと皆さんを誘ってくれます。もとより音楽の持つ「伝える力」は、誰とでも、どんな事でも、発信する手助けになるものです。「誰とでも」 - そこには皆さんの子供達も含まれます。 

 

今日、ジャズミュージシャンには、これまでなかった問題が発生しています。厳しいことに、今の時代は、ジャズに詳しい、ジャズにこだわりを持つ、あるいはミュージシャンへのチェックが厳しい、そういう人が多数派ではなくなってしまったのです。それには理由があって、クラシック以外で耳にする機会がある音楽の大半を演奏しているのは、アマチュアであったり、あるいは、それこそミュージシャンでは全くない人達 - 人間的なカリスマ性はあるかもしれないけれど演奏はほとんどできない人達なのです。本物のジャズミュージシャンなら、14,15歳で十分力をつけて、最も売れっ子の、音楽をかじった役者達がやれることはこなしてしまうでしょう。僕は文句を言っているのではなく、現象を説明しているだけですからね。今の時代大半の人が、音楽の聴き方というものを教わってきていません。そして、僕達が日々耳にする音楽に押し付けられた役割と言えば、壁紙となって、その前には「ステキ」と思わせる位のことしかしないような、売れっ子歌手や人気タレントや、「超」がつくほどの美男美女を立たせる、というものです。つまり、ミュージシャンと聴衆との関係は、変わってしまったのです。ミュージシャンが求めるのは、聴く耳を欹ててくれることで、目の前で繰り広げられる演奏の中に、心と技を感じ取ってくれる聴衆です。深い感情を表現するフレーズが、ブルースをしっかりと効かせて、人間の根っこの部分を心の中に描き出し、それが聴き手の「そうそう!」「そこまで言うか!」あるいは「もっとやれやれ!」と出会う時、それは聴衆とミュージシャンの両方にとって心が晴れる瞬間なのです。音楽の聴き手のレベルが落ちて、聴衆の頭に残るのが、短く簡単な歌詞だの、「ちょっと懐かしいな」くらいのメロディなどしかなくなってしまう時、聴衆とミュージシャンとの間のコミュニケーションに本来備わっている活発なやり取りもなくなってしまうのです。ジャズミュージシャン達は新しいモノを創り出すのが仕事であり、自分達が創り出したものによって聴き手がどう感化されたかを見て、また更に新しいモノを創り出してゆくことを望んでいます。「聴き手の感化」がない、となると、良い循環は望めません。「皆さんが演奏についてこない、となると、演奏するこちらも皆さんのことがわからない」というわけです。 

 

若手のミュージシャンの中には、コード進行に合わせて音を並べることが出来るようになることがジャズなんだ、と思い込んでいるのが、最近あまりに多いのです。彼らを教えている人達が、物事の名前を覚えれば、それを経験したのと同じだ、、と言って聞かせているのです。遥か昔のアメリカ独立戦争の時代まで遡り、そこから始まり公民権運動からベトナム戦争、そしてデジタル革命まで次々と経験し歩んできた我が国(アメリカ)の音楽が持つ意味や形式といったものは、今日の破壊されてしまったジャズや芸術の教育活動、音楽に対する批評の在り方、「ワールドミュージック」なるものを良く考えずに大事にしようとする態度、こういった風潮に対して何一つ響いておらず、そして結局のところ、世界中の演奏の場においても、影をひそめてしまっているのです。実に恥ずべきことです。なぜならアメリカ人というものは、自分達にとって最も大切な音楽を、耳にするよう促されれば、それを愛することができる国民だからです。これまでも世界中の人々が、その同じ音楽を好きになってくれて、我が国(アメリカ)の最新流行を追いかけ続けてくれているのです。例えそれが異常な物であったとしてもね。 

 

今日のジャズミュージシャンは、自分自身に対し、どこまでも誠実さを求めてゆかなければなりません。なぜなら、プロ意識や音楽家魂、洗練さや感受性といったものは、多くが求められることは決してなく、「少なくていい」とされてしまっているからです。あるいは、売れるものや何かしらウケるものが求められています。聴き手に伝わりにくい演奏表現は、演奏する側は楽しいかもしれませんが、聴き手との意思疎通を損ねてしまうものです。自分が読んでいる本の中に、訳の分からない文が長々と出てきたときの気持ちに、少し似ています。ジャズでは、最も洗練されたミュージシャンであると自負するならば、聴き手が初心者である場合、彼等のとコミュニケーションは大いに腕が試されることだと自覚すべきなのです。 

 

「頭のいい人にはついてゆけない」と思われてしまっては、何にもなりません。自分の演奏する音楽に慣れ親しんでいない聴衆と心を通わせようと思わないなら、芸術性を磨く上で不可欠な「謙虚さ」から遠ざかってゆくことになるでしょう。 

 

音楽は目に見えないものを扱う芸術ですから、何が人の心を動かすのかを知ろうとしても、それは不可能というものです。人はお互いの外見を確認し合うことは容易にできます。しかし人生の大半は、人の内面こそが重要です。それは目に見えないものであり、だからこそ、他人がどのように人生の経験を受けとめてきかたは、分かる人などいないのです。あまりに根深く、あまりに多岐に亘るものです。こういった人それぞれの、常に変化し続ける生き様を表現することは、文字や言葉では不可能です。音楽ならば、人の意識の奥深くて見えない所も、そして人の意識を超越したところも、遥かに明快に表現できます。音楽は人の内面に在るものを表に出す、つまり、、皆さんの心の中が現れてくるのです。 

 

男女がいて、それを見ている皆さんが「あの娘、あの男をどう思っている?」と理解に苦しむことがありますよね。確かに理解に苦しみますし、一生解らないでしょう。その2人の間に芽生え通じ合う思いなど、知る由もありませんからね。 

 

人の心はとてつもなく奥深いものです。ディジー・ガレスピーが僕にかつて言った言葉です「あのな、チャーリー・パーカーってのはな、時々深い音を吹く。深ーい音をな。」僕にはディジーの言いたいことが理解できました。「深い」というのは、生きている人間の性質に対して、チャーリー・パーカーが知っていることや気付いていることに対するものです。彼が吹き鳴らすのは単なる音符ではない、とディジーは続けます。「録音じゃ聞こえないよ。そこに居合わせなとな。チャーリーが音を吹き鳴らして、それが君の体の中を駆け抜けるのさ。」 

 

こういった音は、人の心と共鳴するものです。その音が運ぶ、人に対して共感的なバイブレーション(振動)が、聴く人をこう言わせるのです「あぁ、私もそんな気分だ」「そうか?そうだよな・・・」これこそが、僕達大人が子供達に対し、ジャズにしろ何にしろ彼らが努力する上で教えなければならないことであり、僕達自身も取り組むべきことなのです。 

 

こういった人の心と共鳴する音というものは、滅多に「聞ける」ものではありません。故に、「聴く」価値があるのです。僕はベティ・カーターのこういった歌声をある晩耳にしたことが有ります。素晴らしかったですよ。まだ他にもあります。偉大なアルトサック奏者のヴェス・アンダーソン、通称「優しいお父さん」は、こういった演奏で世界中のクラブで聴衆から狂喜の歓声を受けているのです。マーカス・ロバーツがピアノで一発音を鳴らせば、「キターっ」となりますし、オーネット・コールマンもそうです。僕がある晩彼の家に立ち寄ると、皆で朝の4時までずっとセッションをし続けました。彼の弾いていた音は、それ自体が云々というよりも、その音によって運ばれる彼の感じていることや理解していることそのものであり、聴く人にも同じ感覚や理解を心に抱かせてしまうのです。 

 

ジャズミュージシャン達の演奏で、皆んさんの人生に変化が起こることもあるでしょう。彼らの織り成す音の数々は、自分自身や他人を理解し受け入れる後押しとなるでしょう。また好き勝手に叫んだり、悲鳴を上げたり、泣いたりもします。そしてこれが楽しいのです。小さい子供達が可愛らしく見えるのに、何となく共通するものがあります。彼らはギャーギャーわめいたり泣いたりして、こちらも頭がおかしくなりそうになりますが、あまりにも気ままに、そして大抵は芝居っ気など全くなく、本気で感情をむき出しにしてくる分、かえって可愛らしく思えてしまうものです。演奏は、セックスよりも楽しいかもしれませんよ、真面目な話。上手な人とセッションすると、いつまでも続けたくなります。長くて下手なソロがやたらと多いのは、このためです。スッキリ吐き出した、と言わんばかりの行為です。率直で本能の赴くままのコミュニケーションであり、自分も相手も、やりたいようにやり、言いたいように言うことができるのです。 

 

この時、あらゆるものが一気に押し寄せてくることがあります。ジャズとは、列車の様なもので、この列車は常に自分に向かって遠い未来から走り寄ってきます。遠くから何か聞こえたな、と思った次の瞬間、だんだんと近づいてきて、こちらも準備を整えます。列車が到着すると、今度は自分が、その遠くで聞こえていたものを受けて演奏するのです。自分が演奏し始めると、その機をちゃんと見て取った共演者が傍にいてくれたなら、それはもう・・・最高ですよ。 

 

皆さんが話をしている時、一つの考えに向かってキチンと進んでいくにはどうしたらいいか、ということを考えたことはありますか?音楽の場合、時間の区切りが明確に幾つも引かれていますから、その中で一つの考えに向かってキチンと進んでゆくことが強いられます。スポーツで記録を達成する過程とよく似ています。目標に辿りつこうとして、目の前のあらゆる障害がある中で、圏内に入っていなければならないので、時間内に辿りつこうと、あの手この手でパフォーマンスを見事に決めるのです。「もう間に合わないぞ」がいつも続いているという、時間はプレッシャーとなる存在です。 

 

更に、リズムに従いハーモニーの壁を乗り越えて、時には狙った時間ピッタリに、時には決められた時間内に、演奏をやり切って行くという、音楽面での競技能力に加えて、表現する考えやサウンドについては、心の根底と表面に出てくる感情の両方に於いて、包括的な成熟さが必要です。そしてその境地に辿りついた時こそ「やったぜ、これだ!」という被服の時間なのです。そうなったら後は、手にした音やフレーズを然るべき方法で存分に使いまくって行くという、他では味わえない幸福感に浸ってください。そのうち誰かが自分と一緒にそれを耳にすると、その人が更にその表現を発展させて、居合わせた人全員がそれを耳にしてシンクロしてゆきます。結果、せかせかと演奏するのがもったいなくなって、ひたすらそこで繰り広げられる、織りなされた音とそれが響かすサウンド、そこに表現される思い、その瞬間・・・それがひたすら膨らみ、そして歓喜に至るのです。 

 

聴く人達も歓喜の笑顔に包まれてゆきます。僕はこれまでこう言った光景を、何度も繰り返し、国内(アメリカ)で、そして世界中で見てきました。 

 

深夜2時15分、街頭に人々が並んでいます。終日小雨が降った日があったため、何とか曇り空で踏みとどまったこの夜に、本番が開催されることになったのです。3回目の公演開始が遅れています。並んでいる人達は夜露で服が湿っぽくなり、少し苛立っていますが、まだ我慢できています。もうすぐ大好きなジャズグループのサウンドに浸って、待ちに待った心の満足が得られる、と思えばこそです。 

 

彼らが開場を待ち並んでいるのは、地元のクラブ。アメリカ全土にある数多くの小さな音楽のメッカの一つです。近所の常連客と一緒に混じって並んでいるのは、近くの大学に通う学生達。彼らは友達にカッコいい所を見せて、ドヤ顔できるチャンスを、今夜やっと得たのです。ジャズを楽しもうと企画された日本人ツアーの客の一団もいます。英語でドリンクをオーダーするのは大変ですが、開演時刻はちゃんと心得ています。 

 

このクラブは出来て25年が経ちます。オーナーは筋金入りのジャズ愛好家で、奥さんの熱意に賛同し、私財をつぎ込み、酒の販売許可に際しての様々な面倒に耐え、音楽がうるさいだのドラムはもっとうるさいだのと近所の苦情に対応し、ホームレスが関係者を装って店の外でせっせと客からお金をめぐんでもらうのに悩まされてきました。 

 

ようやく開場となり、人々は中へと吸い込まれてゆきます。中は明るく、座席は大体135人収容位、壁に飾られている肖像は名プレーヤー達、それも様々なキャリアステージのもの(駆け出しの頃、全盛期のもの、晩年の姿など)、もう亡くなっている人達もいれば、多くは随分昔に流行った髪型のモノばかり。今晩聞けるであろう演奏よりは、多分はるかに上手な演奏のテープが、これでもかという音量でかかっています。 

 

常連客達の何人かは、後方のカウンターへと向かい、リキュールの量が極端に薄く作ってあるカクテルを注文し、出来るだけ長時間かけてチビチビやろうという処。残りの客達は込み入ったテーブルをかき分けて、なるべくステージに近い席を取ろうとしています。テーブル同士の距離は、お互い殆どくっつきそうなくらいで、座ってみると、知らない人同士で夕食の卓を囲んでいるようです - それも間近で。日本人観光客達は、どうやら壁際の長椅子を陣取ったようです。演奏開始が遅れているうちに、時差ボケで眠くなりそうになったら、寄りかかってくつろごうというのでしょう。 

 

出演メンバーがやきもきしながら待機しています。彼らのお気に入りのこのクラブは、確実に本番を組んでくれるので、メンバー全員昼間の堅気の仕事をしなくて済んでいるのです。彼らはこの小さな空間の距離の近さが大好きで、店のスタッフさん達全員と、そして常連客達の多くと、仲良く親しくしています。ところで今夜は、まだ演奏開始とはいかないのです。ベース奏者の姿が見えません。彼はこの直前のステージが終わると、電話をかけに行ってしまい、いまだ戻ってきていませんでした(おかしなことに、ベース奏者かドラム奏者のどちらかが、決まっていつも遅れるのです。演奏中はタイム(テンポ)キープの最高責任者の二人も、一旦演奏から離れると「タイムキープ」とはいかないようです)。 

 

メンバー達はクラブのスタッフとタニマチ連中へのサプライズにと、新作を練ってきていたのです。ミュージシャンにとって最高の褒め言葉、それは普段から演奏を聞いてくれている人にこう言われることです「皆今夜はノリノリだったね!あの新曲が良かった。どこから持ってきたの、あの曲?皆かなり入れ込んでいるようだったけど?」。メンバー達は、これを聞いた店のバーテンさんやスタッフさん達が、店の外で演奏のことを宣伝して欲しいな、と思っているのです「ねえ、うちのクラブに来てあいつらの演奏聴いてごらんよ」とね。 

 

宣伝する相手が、若い女子大生達で、フラッとジャズクラブだと知らずにやって来たりなんかすると、スタッフ達も一層熱が入ります。 

 

それはそうでしょう、メンバー達にとっても演奏の気合いの入り方が違います。 

 

ベース奏者がノロノロと戻ってきたようです。メンバー全員の登場です。スピーカーの音楽は止み、照明が落されます。 

 

他にも色々手頃な娯楽がある中で、人々はなぜここへやって来るのでしょうか? 

 

彼らは知っているのです。一旦バンドの演奏が幕を開ければ、そこからの1時間15分は、一人残らず皆が、ミュージシャン達もウェイトレス達も、これに染まってハマった連中が一つになり、そう、最も可能な限りピュアな言い方をすれば「仲間」となって、「私」ではなく「私達」になることを選んだことになるのです。ここからは、演奏する側と聴く側との両方に、難しい課題が待ち受けています。会話をしていて話題に対するお互いの興味がかみ合わないことが有りますが、それと同じレベルで、自分の視点とは全くかみ合わないものが演奏に込められています。そんな時は、頭を柔らかくして対応し、お互いイーブンなギブアンドテイクを心掛けることです。スウィングはこれを人々に求めてきます。だからこそジャズは素晴らしく、それだけに、素晴らしいジャズほど理解するのが難しいのです。 

 

今日は1年で最後の、学校での大きなダンスパーティーの日です。皆ここまで何週間も前から、自分の彼氏/彼女と予定を調整してきています。卒業生も在校生も、チケットの応募があまりにすごくて、これを収容すべくキャンパス内に大きな臨時のテントが建てられました。この日は、若い世代の経験に、と、新企画が用意されています。いつもと違い、大音量過ぎて音楽がわけわからんだの、真っ暗すぎて連れの顔が見えないだの、酔っ払い過ぎて覚えていない(思い出せない)だの、といった学生の土曜の晩のイベントとはならないようです。ビッグバンドが来ていて、今夜が初お披露目みたいな顔をしてスウィング 

の定番曲を次々と演奏することになっています。おじいさん・おばあさんは、今夜は思い出辿るぞ!と準備万端。お父さん・お母さんは、今日は面倒くさくなくて良い!とご機嫌。そしてジョニーとジェーンは、今アメリカ全土の高校で大流行のレトロイベントに備えて、スウィングダンスの特訓を続けてきました。ベテラン組は「粋」を心得ていますので、今更、かつて自分達の時代に流行ったズートスーツだの幅広ネクタイ(スキー板並の!)だので決めていこうなんて考えはしません。今宵は自分達がノスタルジアもどきに浸る日ではないのです。最高のアメリカの音楽に乗って、ダンスをする素晴らしい機会であり、若い連中にとっては、その大切な初体験の日なのです。 

 

さて、バンドがミディアムテンポの曲、次々とスウィングを効かせて演奏し始めました。優雅でロマンチックな二人の連係プレーは、スウィングの神髄、成熟した大人のテリトリーであり、若い世代にはかなり見慣れない世界です。若い世代にとってお馴染みなのは、クラブで行われている自己陶酔するようなエアロビクスみたいなダンススタイルだったり、かつてダンスフロアで主役だったちーくみたいなものに取って代わってしまった、エロく下半身をくねらすダンススタイル(ジュビナイルの「Back That Ass Up」のような)だったりするのです。 

 

ここでガラッと、バンドが優しいバラードを演奏し始めました。丁度その時を示し合わせたかのように、若い子達は脇によけて、代わりに円を描いて囲んだのが、おじいさん・おばあさん達。彼らが頑固に守り抜くロマンスの表現は、どこまでもエレガントでソウルフルで愛に満ち溢れていて、若い子達の心を釘付けにしてしまいます。年寄が若者に、男/女の扱い方を教えるなんて、アメリカのどこにも見られないでしょう。またしても、ジャズの力が見せつけられたのです。昔から受け継がれる、導く力がこの音楽にはあって、それがあらゆる世代の人々をジャズが表現する感情の世界へと誘うのです。ジャズには「対象者」などなく、「高齢者限定」なんてレーベルもありません。現在地球上で最も年齢差別が激しい国において、ジャズは、誰もが年齢に関係なくスウィングを楽しめることを示しています。その神秘的な力によって、自分の過去・現在・そしてなりたい未来の姿を思い描かせてくれます。今の時代、この音楽のサクセスストーリーが埋もれて日の目を見ない、となると、今のアメリカの日常生活は、何とも貧弱な姿になってしまいます。 

 

僕が高校を卒業する年のプロムの夜(ダンスパーティー)の話です。その夜はニューオーリンズにある、フェアモントホテルのブルールームで、ライオネルハンプトンオーケストラと一緒に演奏しました。後から分かったのですが、その時トランペットセクションの中で僕の隣の席に座っていたのが、ジミー・マックスウェルだったのです。1932年、彼が高校の卒業年次生だった時に、彼はカリフォルニア州ストックトンでギル・エバンスが最初に結成したバンドで吹き、その後ベニー・グッドマン」の楽団でリードトランペットを務めています。僕が彼と一緒に吹かせてもらったその夜、彼は僕に楽器スタンドをくれて、様々な助言や励まし、そして幸運を祈るとの言葉までもらったのです。彼が、あのジミー・マックスウェルとも知らずにね。 

 

ここで少し、ジャズを通して繋がってゆく、アメリカ人が大事にすべきだと僕が考える、世代間の結びつきについて、踏み込んで話をしようと思います。僕はニューオーリンズセンターという芸術学校でジャズとクラシックの両方を学びました。当時、ミルト・ヒントンという偉大なベース奏者が、僕達の学校で授業を持っていました。彼は10代の頃、シカゴの北側にあるハルハウスコミュニティーセンターで、バイオリンの授業を受けていたのです。当時ベニー・グッドマンが同じ学校絵クラリネットのレッスンを受けていたのが、シカゴ交響楽団の首席奏者。その人は肌の色に関係なく弟子に取ることで有名で、丁度同じく僕のトランペットの先生であるジョージ・ジャンセンも、ニューオーリンズで唯一、1950年代や60年代というあの時代に、黒人も白人も分け隔てなく弟子に取ることで有名でした。さて、こうしてベニー・グッドマンも僕も同じような修行の道を辿り、二人ともクラシックとジャズの両方を演奏するわけですが、1980年代初頭、モートン・グールドの記念式典で僕が彼と会った時、僕は人種や世代について何もわかっていなかったことが原因で、彼が何者なのか、そして彼の与えた現代の音楽への足跡について、全く理解していなかったのです。 

 

今日は春らしい素晴らしい天気です。もっとも日差しが強くて、春というよりは夏の陽気になっています。ピクニック広場には何千人もの人々が、帽子をかぶってサングラスをかけ、クーラーボックスには飲み物が満載、もっともアルコールがその内どの位かは、それぞれあるようです。子供達は、そこかしこで走り回ったりボールを蹴ってみたり、彼らはとにかく外へお出かけの度に、どうでもいいことでテンションを上げてくるものです。フライドチキンやハムサンド、ただこの場に花柄付きで短めのコットンドレスなんか着ているのを見ると、ちょっとイラッとします。ここに広まっている雑多な騒音は、これからここで演奏することになっているミュージシャン達とは、ほとんど関係がないように見えます。これは「ジャズフェスティバル」と銘打ってあるのですが、大半のバンドが演奏するのはジャズではありません。ファンク、サルサ、延々即興演奏をするインドのタブラドラムのグループ、でも彼らの中に、かつてこのフェスティバルが主役にと意図した、ジャズを演奏する団体もいるはずです。 

 

このフェスティバルを支えているのは、複雑な活動組織となっている複数の企業によるスポンサー達です。彼らはジャズには関心が無いのかもしれません。そういった意味では、どんな芸術活動にも関心がないのかもしれません。彼らが関心を寄せているのは、どれだけ多くの人々がやってきて、ステージの上に大きく掲げてある横帯幕に書かれた会社のロゴをみてくれるだろう、ということでした。このフェスティバルのディレクターは、本当のジャズ愛好家ですが、まずは集まった人達を楽しませるのが仕事です。過去30年間このフェスティバルをプロデュースしてきた彼は、今日ジャズに対しての人々の好みが減退してしまったり、ジャズにはスタート呼ぶべき人達が足りない、ということを悲哀を帯びて語ったかと思えば、今度は熱を帯びて語るのが、フェスティバルが財政面では右肩上がりだ、それも自分が大好きな音楽を外してから(ジャズ)、というものでした。 

 

こんなことでは、お客さん達がスウィングの効いた音楽で盛り上がると想像し難い、と思いました。何せ、ラジオが一日中広告塔のように流すのは、バックビート系の音楽、テレビを独占してしまっているのは、グロテスクで、目が回る早口で、今風のミンストレル(コントショー)を行う、ラップのグループや、女の子達のグループ(美人で歌はやらないけれどヘソ出しは完璧)ですからね。自称「専門家」達が、ジャズ雑誌で次々記事にするのは、今は亡くなった「本物」のジャズの細かな描写、それからカン高くキーキーいうようなテナーサクソフォンや、ベースによる無限のオスティナート(リフ)、1920年代のヨーロッパアバンギャルドを他の追随を許さないとか言うインプロバイズを加えたインチキまがいのモノなのです。 

 

ところがです。5時になると、あるバンドがブルースを演奏し始め、お客さん達はジワジワとスウィングの力によって盛り上がり始めたののです。皆が熱狂し、歓声を上げ、手拍子をし、それがソリスト達のインスピレーションを更に高いレベルにまで掻き立てます。残念ながらこの出来事は、翌日の新聞・ラジオ・テレビどこにも扱っていません。しかし僕達は、目の当たりにしたのです。あの場に居合わせた人達は、この夕べのことをきっと思い出すことでしょう。そしてこれは、また起きるでしょう。僕はそう確信しています。 

 

8月、ニューオーリンズ。現職の市長さんが亡くなりました。生前彼は、ジャズ葬を望んでいました。といっても「昔ながらのやり方にこだわって」ではなく、「普通に月並みにやってくれればいい」というものでした。ミュージシャン達が集まります。彼らの年齢は15歳から70歳。中心部の雑踏から離れた閑静な地区。まずは、ゆっくりとした葬送音楽と聖歌。そして普段通り様々な追悼曲が演奏されてゆきます。人々が街頭に並びます。彼らはそこに流れる聖歌を知っていますし、演奏しているミュージシャン達の何人かとも面識があります。そして誰もが市長のことを知っています。 

 

演奏するミュージシャン達の意識としては、いつも通り事が運んでいる、というところです。気温は高くて暑く、音楽はゆったりと流れます。時折彼らの中から、誰に対してというわけでもなく、「ニューヨークじゃ、こんなのやらないよ」。この「ニューヨーク」が、声が上がる度に別の都市になります。例えば「サンフランシスコじゃ、こんなのやらないよ」みたいにね。 

 

市長のお別れのミサが行われる大聖堂では、独創トランペットによる、昔から伝わる聖歌「追憶」が流れます。すすり泣く人達もいれば、そこに居るだけ、という人達もいます。色々な理由で出席しなくてはいけない、という人達もそこには居ます。ミサが終わりました。ここまで演奏に携わってきたミュージシャン達が、同じ通りへと集まってくると、天高く弾むドラムやテューバの海から飛び出してきた数々の管楽器群が歌い上げる、果てなきシンコペーション、そして亡き人の御霊に捧げるボリフォニー、これらによって路上はさらにヒートアップします。 

 

人々が通りに繰り出します。そして踊り、歌うのは、彼らが生まれた時から耳にしている曲のメロディーの数々「あぁ奴は極貧者」「川辺で君と」「彼方の栄光の地に」、ジョー・エイヴリーの「セカンドライン」。皆の汗がほとばしります。皆が居る通りそのものも、汗をほとばしらせているように見えます。ミュージシャン達にとって、閉鎖された空間で聴衆を沸かせることは、たとえ天井の高い講堂のような場所でも難しいことではありません。ところが難しいのは、天井や壁のない屋外です。音は返ってこない。折角創ったエネルギーもすぐ散ってしまう。しかしこのニューオーリンズの儀式は違います。皆が、生まれた時から身に付いているお馴染のグルーヴ感を織り成して、バンドの周りで踊り、颯爽と歩き、スキップし、歌うのです。蒸し暑い空気それ自体がこういったエネルギー全てを散らさず、ずっと抱えて、圧縮し、そして沸かしてゆくことを、ひたすら続けることで屋外に居るということで更にエネルギーは熱のこもったものになってゆくのです。 

 

こういったパレードを見に、世界中から人々がニューオーリンズにやってきます。となると、こんな憶測が出たりします。市がパレードの補助をしている。こういう儀式が人々の生活の中心となると様々な学会の専門家達の特別な注目を受けている。学校で教育活動に取り入れられている、子供達が参加するバンドのコンクールが地元で開催される。アマチュアバンドが何十団体もあって、トリニダード・トバコで盛んに行われているスチールドラムバンドやブラジルのサンバを教える教育機関のように、企業や地域社会と密接な連携を取っている。ところが違うのです。扱う音楽がジャズなだけに、わずか一握りのミュージシャン達がこの音楽を維持している、それも、教育体制も行政の支援も何もない状態で、なのです。ミュージシャン達でさえ、中には、ニューオーリンズらしさであるとか、そこに息づく街の人々の幸福といったものについて、このジャズという音楽が真に洗練された姿とその重要性を、分かっていない方もいるのです。 

 

それでもなお、ジャズには頑強な部分もあり、あらゆる撲滅の試みを失敗に追いやっています。だからこそ、この土曜日の午後、市の長老達や意識の低い学校がいくつか関心を示さなかったにも拘らず、多くの若手ミュージシャン達の中で、この儀式に対する知識の無さがあったにも拘らず、葬儀はいつも通り終日行われました。そしてこの最高潮に達した盛り上がりは、人々の暮らしを潤し、死の辛さを和らげ続けるのです。 

 

僕が思うに、これこそが、この音楽を愛する人々によって受け継がれてきている最も深い秘密なのかもしれません。この音楽を演奏し苦難の月日をもがき続け、依然としてこれに人生を懸けるジャズミュージシャンである親達を見てきた彼らの子供達全員、ジャズクラブのオーナー達、ジャズのレコードコレクター達、そしてジャズを教える教師達全員、お色気たっぷりなサックスのまろやかなサウンドや、明るく澄んだトランペットの華々しい声高なサウンド、ズシズシと響くベースのサウンド、打楽器のドンガラチャカチキといったサウンド、こういったものに何らかの理由で心を囚われた若者達全員、生徒達が6時に朝練に集まってきたかと思えば夜遅くまで地元のクラブでミュージシャン達の演奏を聴いて勉強しているというバンド指導者達全員、こういった人達こそ、今も、そしてこれからもずっと、この音楽に精気を与え続けるのです。 

 

次回は、第5章を見てゆきます。