about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

「Moving to Higher Ground」を読む 第8回の7:マーカス・ロバーツ

マーカスロバーツ 

 

マーカス・ロバーツは現代を代表する天才です確たる独自性とソウルを備えたミュージシャンであり注目すべき人物なのです。ロックが台頭した時代の後、ジャズミュージシャンの名手がどれ程のアーティストとしての腕前を持っているか、マーカスをチェックしていただければわかります。 

 

僕が初めて彼と会ったのは、1983年のジャクソンビル・ジャズフェスティバルです。彼のことは、それ以前に聞いたことはありました。というのも、当時ジャズを演奏しようという目の不自由な器楽プレーヤーは彼ぐらいでしたからね。その1・2年後、僕がフロリダ州立大学で開催したマスタークラスで、僕は彼のピアノを聞くこととなります。彼は「星影のステラ」を弾いて、かなりいい音で聞かせてくれました。でもその演奏は、あまりにも使い古されたフュージョンポップミュージック満載、といった感じで、目の前で誰が演奏しているのか、というのが印象に残らなかったのです。 

 

1980年代初頭、僕は意欲的な若手ミュージシャンなら、誰に対しても興味を持っていました。マーカスには電話番号を教えてあげました。彼から電話がかかり始め、あれこれ質問が来るようになります。彼の真面目さには、僕も惚れ込んでいたのですが、何せ僕自身が電話でキチンと話をするタイプではなかったものですから、彼とのやり取りは、いつも手短に済ませてしまっていました。いつも言っていたのが「まぁ、これ憶えな、あれやりな」くらいでした。あるいは、僕がピアノでモンクの曲を一節(8小節)弾いて見せて、いかにもこの先全曲最後まで弾けるぞ、みたいなフリをして、こう言ったのです「僕はトランペット奏者だけどこの曲を知っている。君が知らないっていうのはどういうワケ?」それでも彼は、こういった失礼な態度にもめげず、僕に電話をかけ続けました。 

 

やがげ僕は、彼のズバ抜けた知性に気付きます。彼が興味を持つ対象の幅広さと、今の時代にジャズを演奏することの様々な問題点を理解できる能力は、本当に際立っていました。同時に気付いたのが、彼の頑固さと、しっかり意志を持って自分の物の見方を表明できることです。彼をイジメ倒すことは無理だと感じました。僕の気難しい態度に耐えるのは大変だったと思います。しかし彼は、それに耐えました。なぜなら、彼は実際に本心から、演奏に意欲的だったからです。それだけではなく、彼は既に、自分なりの演奏というものを確立していて、それに対して信念を持って取り組んでいました。自分と意見が合わない相手には、臆することなくそれを伝えることが出来たのです。 

 

彼がニューヨークに出てきて僕のクインテットに参加したのが1983年か84年の初頭だったのですが、当時はケニー・カークランドがバリバリピアノを弾いていたので、彼の演奏を耳にすることは全くありませんでした。1985年、ケニーとブランフォードが僕のクインテットを退団します。この時僕は、どうしたらいいか、あるいは次に誰に声をかけるか、途方に暮れた状態だったのです。僕の心が折れたのは、この2人の仲間達がロックを演奏する為、ということで僕から去って行ってしまったことです。僕自身もこれからジャズを演奏し続けるかどうか、分からなくなっていました。クラシック一本に絞ろうか、と思ったほどです。ジャズというものは、支えとなる基盤が無いと、取り組むこと自体が困難な代物です。音楽ライター達は、僕がいろいろ投資なってしまったことについて、囃し立てて書きました。僕は、というと、昔ながらの「合点ですぜぃ、ダンナぁ」的な演奏スタイルで、ライター達に甘んじて屈する気は全くありませんでした。そして僕は、ポピュラー音楽という、彼らが好み記事が売れて儲かるものに対しては、ズケズケと批評を展開していたのです。多くのジャズファンや関係者たちは、注目せずにはいられなかったことでしょう。 

 

僕は必死で次のメンバー達となる人を探しました。といっても、僕の年齢でジャズを演奏したいと考える人すら、そんなに多くはいません。加えて、僕自身も今後、本当に上手だ、といわれるまでになれるのか疑問でした。以前から僕は注目を集めており、それは僕なんかよりも上手で、そして僕なんかよりも長くこの世界で頑張ってきた人々の妬みを買っていたのです。なので、罪の意識もあったのです。僕自身、今より腕を上げる自身はありましたが、そういった人達を上回る処まで行けるのか?僕が求める、ある種の独自性や発想力を持って演奏できる人がいるだろうか?そういった信念の持ち主を見つけることができるだろうか? 

 

ほとんど最後の手段として、僕はマーカスに電話を掛けたのです。それは、彼の演奏、というよりも、彼の誠実さを買ってのことでした。彼が来て演奏するようになってから、僕は新しい発見をします。それまで僕の身の回りには、目の不自由な人というのはいませんでした。彼から最初に教わったことは、人は一人では何もできない、ということ。僕は他人をあまり信頼しない人間でした。自分のバンドを失ってしまい、何でも一人でやらなくては、と思っていたところです。マーカスは「それは無理だ」とハッキリ教えてくれました。「この音楽は、一つとして、自分が一人でやれるものなどない。常に他人との関わりがそこにはある。そのことをしっかり分かっていなくてはいけない。」 

 

僕達のツアーマネージャーである、バーノン・ハモンドが、前もって彼に、僕達の本番の録音テープを送ってありました。その中のいくつか、例えば「ブラックコード」(「ブロム・ジ・アンダーグラウンド」より)などは、かなり複雑な楽曲です。マーカスは録音テープにあった楽曲を、全て理解した上でやってきました。彼の本気度は十分伝わってきたのです。それでも彼は、最初のツアーでは大変な苦労をしました。僕達はケニー・カークランドのパワフルな演奏に慣れていて、マーカスのサウンドには、まだそれ程の大きな響きはありません。1か月半のツアーの後、2・3週間の休みを取ります。その休みの後に戻ってきたマーカスは、まるで別人がピアノに座っているようでした。 

 

この時から僕達は彼を「Jマスター」と呼ぶようになります(僕が子供の頃、ミュージシャンが良い演奏をすると「He put some Johnson on it(あいつのホンバンはビンビンだった)」と良く評されていました。ということで、マーカスは「Jした」というわけで、僕達は最高の賛辞として「Jマスター」という名誉の称号を贈ったのです)。 

 

マーカスは教会の中で子供の頃を過ごしました。そこで彼は、ブルースや人間性の表現といったものに対する、自然な感性を吸収してゆくことになります。彼は目が不自由であったため、特別なカリキュラムを持つ学校へ通いましたが、おかげで彼は、下世話な社会環境からは隔離されることになります。彼の高校とカレッジでの成績は素晴らしく、平均3.7を維持しました。しかも彼は、昼間授業中取った録音を、夜になって点字でノートを作らねばならなかったのです。 

 

バンドに加入後、彼は学生時代に身につけた「物事に取り組む心構え」を忘れず、ビアノの歴史、ジェリー・ロール、デューク、モンク、そしてバド・パウエルといったところを系統的に学び始めます。ところで、彼はジャズの伝統である「自分を探す」という経験をしていません。何かしようと思うなら、何でも自分で経験してみろ、といわれることがあります。でも彼の場合、自分らしさを保っているかどうか、と問われれば、彼は常に自分らしさを保っていました。彼の独自性は、ピアノのタッチに表れています。軽快でありながら適度な重みがある、エレガントでありながら物悲しい。これらは「優しいとっつぁん」ヴェス・アンダーソン(アルトサックス奏者)の言葉です。彼はこういう表現が上手いのでね。先日もヴェスと話したのですが、Jの音楽は、こんなに変化に富み楽しいのに、もっともっと知られていい、残念でならない、とのこと。僕から読者の皆さんに、彼の演奏を語る上で参考になる作品を挙げておきますので、是非チェックしてみてください。 

 

まず彼は、比類なき伴奏者だ、ということ。素晴らしいリフ、創造性あふれるコールアンドレスポンス、機知に富んだリズムの洗練さ(「トゥルース」の「アライバル」をチェック)。素材の展開方法は完璧かつ革新的(「ザ・ジョイ・オブ・ジョプリン」の「イージーウィナーズ」をチェック)。独自のブルース演奏の仕方(「イン・オーナー・オブ・デューク」の「ナッシング・ライクイット」をチェック)。アメリカの歌謡曲への取り組み(「コール・アフター・ミッドナイト」の「モナ・リサ」をチェック)。グルーヴ、それから世界各地の民俗音楽へも、自らのコンセプトを発揮して取り組んでいます(「ディープ・イン・ザ・シェド」の「ネプチャドネザール」をチェック)。彼の「スピリチュアル・アウェイクニング」も「ディープ・イン・ザ・シェド」の収録曲の一つですが、ここ40年間に発表された最もディープなメロディがいくつも使われている楽曲です。 

 

彼の知性が沢山詰め込まれているのが「ブルース・フォー・ザ・ニュー・ミレニアム」。ありとあらゆる楽曲形式やオーケストレーションや色彩感、そして、独特な方法でカントリーブルースに染まっている今風のリズムコンセプト、という組み合わせ(「ア・サーバント・オブ・ザ・ピープル」と「ホエールズ・フロム・ジ・オリエント」を聞くと、それがビシビシ伝わります)。彼はビーバップ以降のピアニストには数少ない、両手でキチンと弾きこなすプレーヤーの一人で、僕達の世代ではNo.1です。彼が駆使するリズム感は「チェロキー」の数多いバリエーションに見られるように、他の追随を許しません。彼はピアノ演奏にかけては、何をやらせても名人級です。伴奏、大編成の中でのソロ、独奏、トリオの中でのソロ(「タイム・アンド・サーカムスタンス」の「ハーベストタイム」をチェック)。 

 

彼は、僕が作曲する演奏時間の長い曲、例えば「ブルー・インタールード」や「シティ・ムーヴメント」のようなものを、他のメンバーよりも早く理解してしまいます。彼らが譜読みをしている間、僕は彼のためにピアノのパートを弾いてやります。彼はすぐに自分のパートをモノにすると、今度は他のパートの間違え探しを始めます。「うーん、これはGですね」などと彼は言うのです。ハーリン・ライリーという、ジェフ・ワッツの後任に入ったドラム奏者が言うには、Jが他のパートをあれほど素早く、しかも完璧に覚えてしまうなんて、今思い返しても頭がおかしくなる、とのこと。 

 

そして彼には、自分の身の回りで起きていることについて、観察する力とその結果を分析する能力があります。マジでスゲー!と言いたくなるほどですよ。例えば僕達が楽屋に居て、そこへ4人の女性が入ってくるとします。彼は会話をじっと聴いて、彼女たちが立ち去ると、一人一人がどんな子だったかを説明できるのです。「3番目の子が才色兼備ってとこかな。2番目の子はポッチャリ系。3番目の子は、眼鏡をかけていたんじゃないかな」。僕達はビックリです。「何でわかるの?目が不自由なのに、眼鏡をかけていた、なんて?」。彼はどうやって推理したかを説明してくれます「うん、才色兼備な子は、2・3言しか話していないのに、みんな彼女との会話を膨らまそうと躍起になっていた。そして彼女の言っていたことが結構知的だったことからすると、彼女が才色兼備だったんじゃないかなってね」。 

 

彼の真面目さが余計に引き立てて、マーカスの可笑しさは世界No.1クラスです。可笑しい、でも的確。彼は情報の蓄積がいかに大切か、という信念を持っています。彼と話す時、自分が情報発信元だ、と彼に伝えるなら、彼はこう言うでしょう「僕達は経済問題についての話から始まったけれど、そしたら今から君についても話をしておかないといけないね。」 

 

それから僕達は、およそあらゆることについて、熱い議論をよくしました。ベートーベンとバッハと、どちらが優れているか?まずはお互い、自分の意見の裏付けとなる資料集めです。僕はベートーベン派なので、交響曲第6番を用意します。彼はバッハ派なので、平均律クラヴィーア全集を用意し、これで議論開始です。僕はすぐに、ジョン・コルトレーンカルテットと、ベートーベンの晩年の弦楽四重奏曲のいくつかの、それぞれテープを作り、二人してこれを繰り返し聴きました。「さあ、それぞれ4人編成のアンサンブルだな」実に色々な話題が飛び出します。インプロバイゼーションにおける教会音楽の効果、ニューオーリンズスタイルのポリフォニー、ジャズの形式でフーガを作曲できるか、独奏曲と比べた時の合奏用アレジの価値、曲中テンポ感に変化を加えることについて、「現代的」ということの意味、フットボールのこと(僕達は二人とも、オークランド・レイダースの大ファンなのです)、色々なメロディのクオリティ、民俗音楽。一度、シアトルで、滅多にない夜がオフになった日があって、その夜は9~10時間ぶっ通しで話し続けた、と記憶しています。23年前の話ですが、いまだに二人で会うと、「シアトルでの長話、思い出すなぁ」と言います。何について話したかは、覚えていないのですが、とにかく楽しかったことは、よく覚えています。 

 

マーカスは信念の塊のような人です。彼がよく言っていたのは「信念は偉大さの基盤であり、しかしそれは、いざという時に発揮して、自分の伝えたいことを明快に、そして力強く相手に届けて、人を動かしてゆかないといけない」。 

 

彼が1991年に僕のバンドを退団してしまった時は、言葉では言い尽くせないくらい残念な思いをしました。Jは僕の世代を代表するミュージシャンです。僕に言わせれば、彼は現代の真のイノベーターです。ジャズ・アット・ザ・リンカーンセンターオーケストラのメンバー達に、これまで共演した自分達より若い世代のミュージシャンの中で、天才といえば?と訊けば、マーカスだ、と皆これからも答えるでしょう。それから彼がメンバーに対して死ぬ程リハーサルで絞ったことや、「こんなの演奏できるのかよ?!」という音楽的な要求をしてきたことを、面白おかしく話すことでしょう。彼はメンバー達から一目置かれ、そして愛されているのです。 

 

彼は偉大なジャズミュージシャンたる要件を、全て兼ね備えています。洞察力のある知性、社会生活という視点で身の回りで起きていることに対する理解力、物事を改善してゆきたいという願望、ブルースの知識、音楽の伝統に対する敬愛の念、毅然と振る舞う勇気、底知れぬ潜在能力、規律を守る態度、不動の自信、そして我慢強さ。彼は自分の物の見方というものを、決して犠牲にはしません。様々な異なる種類の音楽を演奏することも厭わない彼ですが、演奏方法は自分なりのやり方で常にこれに臨みます。 

 

彼は自分の信念を貫くために、金儲けをし損ねたことがあります。その時彼は折れなかったので、一部のミュージシャン達が手を出している「売れればイイ」主義の大口仕事の一つに、彼はありつけなかったのです。彼は今でも旺盛な演奏活動、そしてスウィングで活躍中です。彼がローランド・ゲリン、そして僕の弟のジェイソンがドラムで参加しているトリオは、独特な今風のサウンドを持っています。数か月前にはある楽曲のレコーディングもしましたし、本番を一緒にやったり、マスタークラスを開催したりもしています。ここ数年来の彼の活動ぶりは、益々旺盛になってきています。彼は根っからの演奏家であり、彼自身が音楽そのものであり、そして根っからの教育者でもあります。Jマスターが提唱するのは、今この社会に在るものや起きていることの多くを、ありのままに表現してゆくこと。彼はもっと高い評価を受けるべき人物です。今こそ、彼は、本当に。 

 

おススメの銘盤 

 

ディープ・イン・ザ・シェド 

 

ザ・ジョイ・オブ・ジョプリン 

 

ブルース・フォー・ザ・ニュー・ミレニアム