Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)序曲(pp.5-8)

ジャレットの思いと才能は底無しだ。それが彼の人となりを形成し、音楽を形作って凡百のピアニストから抜きん出る原動力なのである。こういったものは、必ずしも簡単には耳に届くものではない。本当に優れたジャズミュージシャン達とは、それぞれが自分のスタイルを磨き上げることで、自分だけのやり方で不可能と思われることに挑む術をマスターしなければならない。そして、自分らしさを保ちつつも、いつでもサプライズを起こせる状態であることを求められる。キース・ジャレットの最も注目すべき点は、どんなことにも意欲的に取り掛かる旺盛な行動力と、人を魅了する演奏力だ。彼の演奏にはやりすぎ感が全く無い。彼のタッチは、溢れんばかりの音の彩りを生み出す。彼の共演者にとって、彼は耳が肥えた仲間であり、だからこそ彼は刺激を受け、彼も共演者たちに刺激を与える。打楽器奏者のようにピアノを叩いたかと思えば、クロード・ドビュッシーのような音をも紡ぎ出す。セロニアス・モンクのように、鍵盤楽器はおろかどんな楽器でも予想もつかないような音色を、ピアノから聞かせる。彼が演奏をどう始めて展開してゆくのか、そして更に加速してゆくのか、はたまた建築物の基礎石のように聴き手の記憶にスドンと打ち込んで終わらせるか、こういったサプライズには、常に彼のそうした演奏の要素が存在する。 

 

 

キース・ジャレットの人となりを描こうと思うなら、どんな場合でも音楽のこと一本でゆくべし。彼は現役バリバリのミュージシャンであり、理屈をこねず、弟子を引き連れることもせず、うんちくを溜め込むでもなく、煽動家でもエッセイストでもない。彼は完全に事の本質、すなわち、音楽にのめり込んでいるのだ。 

 

これは彼のプライベートエリアが限られていることと結び付きがある。誰もが認めるであろう彼の世界的な知名度とはかけ離れている。キース・ジャレットは地元にしっかりと根を張っている。入居時に築100年だった家屋に、彼は1972年以降ずっと住んでいる。そこは、彼が生まれてから子供時代を過ごしたアレンタウンから5キロと離れていない。ニューヨークは確かに彼の気を惹いたであろう。だが想像に難くない、ガードが固く内気なキース・ジャレットなら熟知していたであろう、ジョン・スタイベックがニューヨークを印象的に描いてみせた言葉がある。「ニューヨーカーが出来るまで」(ニューヨーク・タイムズマガジン掲載記事)によれば、ニューヨークという街は、人の肌の上にとどまらない。毛穴から人の体内に潜り込んでくる。一度ニューヨークに居を構え、そこを住まいとしてしまったら、もう他の街では満足できなくなる。ニューヨークに、自らの一部を吸い取られてしまうようなものだ。 

 

 

ジャレットの頑ななまでの自制心と、音楽への没頭、これらが見て取れるもう一つの要素がある。彼がこれまで舞台や録音スタジオで共にしたミュージシャン達は錚々たるもので、彼自身が50年以上に亘る音楽家としてのキャリアを改めておさらいして、他にもっといないか確認する必要など全く無いほどだ。自身のグループでレコードを出す前に、彼が所属したバンドはたった3つしか無い。アート・ブレイキーの「ジャズ・メッセンジャーズ」、チャールズ・ロイド・カルテット、そしてマイルス・デイヴィスのオープンアンサンブル。「たった3つ」とはいえ、音楽家として自己開拓をする道に並んでいた一里塚としては、なんとも豪勢である。 

 

まずアート・ブレイキー。彼の共演者をリストにまとめれば、それだけで「ジャズ人名辞典」の一丁上がりだ。次にチャールズ・ロイド。アート・ブレイキーとは全くの畑違いだが、なにしろ彼は「ナウい」ので、キース・ジャレットにとっては2人共大切な存在だ。若者達がだんだんロックに傾倒していた時代、彼らに受け入れられた最初のジャズミュージシャンは、事実上チャールズ・ロイドだと言ってよい。最後にマイルス・デイヴィス。彼は才能ある若手に対し門戸を開いていた。マイルス・デイヴィスがしたことは、音楽の開拓か、それとも音楽の転覆か、それは意見が簡単に擦り合うものではない。モード・ジャズにしろジャズ・ロックにしろ、彼以外にも先駆者と目される人物は存在する。だが、フリージャズ(彼はこれを一過性の悪夢として受け流した)を除いては、マイルス・デイヴィスは1945年以降ジャズのあらゆるスタイルにおいて、後世の道標として彼の業績を残した。 

 

マイルス・デイヴィスが率いた様々なバンドは、ジャズ大学なんてものがあるとするなら、そこのゼミのようだ、などと揶揄された。だが、その大学のゼミで何をそろって学んでいたのかを、マイルス・デイヴィスと共演した数多くのピアノ奏者達を見ても、さっぱり見えてこない。見える鍵が一つある。ギター奏者のマイク・スターンの言葉だ。ギター演奏の最も至難の業とされるのが「息継ぎ」。別の言い方をすると、「音楽に息継ぎをする間を与える」こと。これこそが、彼がマイルス・デイヴィスから学んだことである。多くの他のミュージシャンたちは口を揃えて言い伝える:マイルス・デイヴィスは人を導く「教師」ではなく、人を自学自習できるよう後押しする「世話役」だ。2つ3つとネタが供され、2つ3つと打ち合わせが済めば、あとは各奏者におまかせ。マイルス・デイヴィスならではの、「イっちゃってる」位の自信、佇まい、共演者の音楽性に対する信頼、いずれもが、素晴らしい演奏をする上で効果的だった。予めガチガチに演奏コンセプトを作り上げ、事故があっても予防対策は万全にするというやり方より、よほど効果があった 

 

 

ブレイキーにしろ、ロイドにしろ、デイヴィスにしろ、ジャレットが彼らとレコーディングに取り組み始めたばかりの頃の音源を聴いてみると、誰もが思うことがある。それは、彼がその時点で、既に3人それぞれから多くを学び、同時にそれをしっかりフィードバックしているということ。だがその後この3人の巨匠達と共演を続けても、後に彼自身が率いたバンドの録音と比べると、大してスタイルがしっかりしてきたわけでもなく、また、達成したものも増えていない、というのが聴く人の印象である。ところがどっこい、彼はピアノの弾き方と共演者の聴き方について、必要なルーチンを着々と身につけていたようである。ジャレットは早熟であったが、その後の自己開拓を止めず、自分の判断基準を他人のそれよりも単純に信じ込んでいた。ジャズミュージシャンとして、ソロ活動以外では、ジャレットが好むのはデュオ、トリオ、カルテットと言った小さな編成だ。大編成の中に居る彼の姿は想像し難しい。唯一の録音は彼が16歳の時に遡る。ドン・ジャコビー指揮のカレッジ・オールスターズだ。この時彼は、バークリー音楽大学のピアノ学生を代表して参加している。あながち間違いとも言えない見方だが、彼は引きこもりの気がある一方で、時々その引きこもっている場所を抜け出しては、国際的な舞台で、引きこもりとはとても思えないような腕前を披露している。これがまた、彼に救いの神が如きオーラを与えるのだ。ところが彼は内気で無愛想ですらあることから、多くの信者を引き連れる「教祖様」には、なれるはずもない運命だったのだ 

 

 

同様に、彼の持ちネタは、たった3つ。スタンダート、自作、それから一人で演奏する時のインプロヴァイゼーションである。これにクラシック音楽が加わる。レパートリーはバッハから現代音楽までこなす。キース・ジャレットの音楽に対するアプローチは、驚くほど一本筋を通しており、時に自己否定に陥ることもある。スイスのローザンヌでソロ演奏会を開いたときのこと。本番中、舞台前方までツカツカと歩いて来たかと思ったら、観客に向かって、今日のところはここで演奏をやめるから、あとは誰かやりたい方ヨロシク、などと言ってのけたのだ。彼からインスピレーションがなくなってしまい、抜け殻になってしまったから、ということである。そんな事を言っても、彼ほど音楽に全集中する者が居るわけがないのであり、ジャレットの演奏を聴きに行く人は、こうした彼の立居振舞に用心する必要がある。 

 

ジャズ音楽におけるピアノとクラシック音楽におけるピアノには、それぞれ異なる音楽の考え方がある。ジャズ音楽では、ピアノを万能の楽器と称する奏者は一人もいない。ジャズ音楽では、しばしばピアノは制限があることを露呈している。この楽器は奏者にとっては、体の一部とは到底言えず、音も特徴がなさすぎる。ピアノに関する用語とは真逆の言い方だが、文字通り「触れ合うことの出来ない」たぐいのもの、というわけである。アフリカ系アメリカ人が生んだこのジャズという音楽において、重要な役割となる音色やニュアンスといった概念が求めるものを満たすことは、基本的に不可能だった。なぜキース・ジャレットは演奏中おとなしく椅子に座っていられないのか、なぜ見ているこちらがハラハラするくらいピアノの鍵盤に腕を強くブチ込もうとするのか、なぜ彼がジャズを演奏する時は血に飢えた戦士のように振る舞うのか、お考えいただければ答えがわかる。彼はそうやってピアノで、ブルースギターのように呻くようなサウンドを生み出そうというのだ。奏者が何もしなければ、ピアノはひとりでにブルーノートを鳴らし始めることはない。奏者が絞り出さねばならないのだ。仮に自らがケンタウルスのようにピアノと合体しても、である。「合体」したことで名声を博したキース・ジャレットであるが、これを神業などと思ってはいけない。頭脳の手柄であり、手柄とは努力のことだ。敏腕ジャーナリストでありジャズに関する文献を手掛けるピーター・リューディが、キース・ジャレットのことを天才と呼ぶ理由の一つがこれだ。そしてこの本も天才の偉業について、これから見てゆく。