about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)2章pp38-42(end)

本番が始まったキチンとした開始の合図はなくドラムが、切れ目なくロックのリズムを拡散し始める。キーボードが、ささやくようなサウンドを重ねる。パーカッションが、前のめりのアクセントを効かせ、クイーカのこするような音に乗る。ベースが、オスティナート(同じ音形の繰り返し)で全体を支える。全体を盛り上げるのがマイルス・デイヴィスの、メロディラインもジャズで言う「コーラス」もない、音のシグナル。誰が主役か?は、その場で個々のプレーヤーが機を見つけ、そしたら他のプレーヤーがそれに対処する、という形で決まる。テンポや曲の雰囲気を変化させるのは、個々のプレーヤーが別々に行う。例えばマイル自身がやる時は、突如叫ぶようなサウンドリタルダンド(テンポを落とす)をかけて、テンションの上がった全体のオスティナートを崩す。ジャック・デジョネットなら、いきなりリズムを変える。キース・ジャレットチック・コリアの役目は、主に演奏表現を後ろから支えるサウンド作りだが、キースが弾く長いパッセージは、人によってはソロと呼ぶかもしれない。後に彼は、演奏面の純粋に音楽的な要素の一つとしての付け足しだが、それは「燃料補給」が目的だった、と振り返る。彼らの演奏はこの説明でバッチリだ:密度の濃い電子楽器のパワーストリームから、個々の演奏がザバッと浮かび、そして再び響きの奥底へドブンと戻ってゆく。そしてそこはアイアート・モレイラの縄張りのようなものだ。彼はクイーカ、ギロ、マラカス、シェーカー、その他珍奇な打楽器を駆使して、リズミカルに構成されたノイズで、「ザパッ/ドブン」と浮沈する、今までにないサウンドと、それがキラキラと継ぎ接ぎされたコラージュに、「燃料補給」をする。 

 

各プレイヤー自由は保ちつつ同時に全員が一つにまとまりその全体の色彩感やリズム感のパターンを構成する一部となってゆく。〆はマイルス・デイヴィスのトランペットによる合図。ロックのパターンを持つ全体のサウンドに割って入り、ドラムのカデンツァに乗っかって、広がりのあるサウンドを作るよう導いてゆく。そしてマイルスがミュートや上着を持って舞台裏へ。続いてゲイリー・バーツ。この間他のメンバーは〆のサウンドを維持する。最後に、デイヴ・ホランド、それに続いてチック・コリアジャック・デジョネット、そして殿(しんがり)をキース・ジャレットが務め、ハイドン交響曲「告別」よろしく、最後のロウソクの灯をそっと吹き消すと、大歓声が6万人もの聴衆から押し寄せてきた。「ジャズ全史コンパクト版。彼のトランペットから奏でられたのは正にこれだった」キース・ジャレットがこの日の本番を表現した言葉だ。ジャズ100年の足跡全てが、少しずつ詰め込まれたパフォーマンスだったのである。ワイト島フェスの聴衆も同感だったか?実はマイルスが予め目論んだこと?キース・ジャレットがただそう思っただけ?どうでもいい、そんなことは。重要なのは、キース・ジャレットが後に残す数々の音楽的偉業が、しばしばこの時の印象と重なることだ。ピアノ独奏者としての彼の信条は、音楽のスタイルは全ての人が納得する客観的な基準で決めること、と思っている人も居るのではないか。 

 

ワイト島でのメンバーで(但しサックスだけスティーヴ・グロスマン)2ヶ月前に収録されたフィルモア・イースト音源は、5人とも自由奔放に音楽性を発揮しているのがわかる。超コンパクトでありながら、やや透明感に欠けるサウンドのワイト島での音源よりも、それはハッキリしている。メンバーの演奏を聞いてみると、他のメンバーからの信号に耳をそばだてつつ、高いボルテージで自分の脳波と心音(考えと気持ち)に従っているのが、よく分かる。信号音の目的は各自それぞれだ。対比をつけるのに使ったり、あるいはアッサリ無視することで、自分自身のフレーズを通りやすくすることもある。この音源では、ワイト島のより、バンドが突進せんと高いエネルギーを使っているのが感じられる。誰かがソロを演奏していても、他のメンバーの対旋律が個々によく聞こえてくる。ポイントを絞って、ベースの切れ目がない速いパッセージと色気のあるリフを聴くだけでもよし、ドラムのパワーあふれるスウィングのリズムを追いかけるもよし、キースの次々重なる分散和音や音のテクスチャ―(まるでヒラメをアイスボックスにどんどん重ね入れていくよう)に集中するもよし、である。 

 

 

 

このバンドで、マイルスはこの時代の求める快楽主義的なサウンドを達成する。チック・コリアキース・ジャレットの2人(時にはキーボードが3人、4人となることも)も使うなど、宝の持ち腐れでしかない、と思う方も居るだろうが、フィルモアアルバムの「水曜日のマイルス」から「土曜日のマイルス」と銘打った夜公演の模様を、ともかくお聞きになり、チック・コリアキース・ジャレットが、その音楽脳がひらめく全く新しい音色、その組み合わせ、全体サウンドの色彩感をほとばしらせて、二人の間で繰り広げるスケールの大きなやり取りを堪能してほしい。この二人の高度なハーモニーの数々がなければ、マイルス・デイヴィスのモールス信号のように刻むリズム音形は、行き場もなく浮いてしまうだろうし、デイヴ・ホランドのロックのパターンを持つベースラインは、単純すぎてつまらなくなる、とうわけだ。二人は交互に、マイルスが夢遊しているのを現実に引き戻したり、音をねじったり聞き慣れないハーモニーを鳴らしたりして、ホランドをハッとさせて退屈なロックグルーヴを変えさせたりした。キース・ジャレット自身にも耳を傾ければ、彼が自分だけのサウンド探しに乗り出し、そして彼の音楽形式や和声に対する見識を以て、マイルス・デイヴィスが彼を導いたとおり、「伝統を踏まえた革新」を体現しているのがわかる。 

 

「ライヴ・イヴル」の音楽作りは、ロック音楽の基礎の上に、更にしっかりと構築されている。リズムパターンやベースのオスティナート、ブルースやファンクの要素は適切な量に収め、ソロのパッセージを増やし、集団でのインプロヴァイゼーションを減らしている。音楽的な中身をもっと絞り、もっと明確に構築し、音楽表現についてはとんでもなくマンネリであるにも関わらず、よりさりげなく成功している。そんな作品が、「シヴァド」「ファンキー・トンク」「イナモラタ」そして「ホワット・アイ・セイ」だ。いつも対面に座っているチック・コリアぬきで、キースジャレット独りでキーボードを担当している曲である。例えば「ホワット・アイ・セイ」では、ジャレットはベースとドラムのサポートを得て、トランペットとピアノの掛け合いを行っっている。これは、ベースのオスティナートとドラムのリズムの推進力に乗ったものだ。クライマックスでジャレットは、火を吹くようなアップテンポのソロを弾き出し、賛美歌作品に見られるようなパッセージや繰り返しの素材を使いこなしつつ、遥か彼方のハーモニーの銀河へと旅立ってゆく。この手法により、彼は程なく知名度を上げていった。「リトル・チャーチ」ではマイルス・デイヴィスはピアノ4台のアンサンブルを編成し(エルメート・パスコアール、キース・ジャレットハービー・ハンコックチック・コリア)、シュールなサウンドは、なかなか言葉での説明が難しい。ほとんど効果の見込めないことのために単なるピアニスト達を無駄遣いした、との見方もある。だがこれもマイルス・デイヴィスならではの一幕である。例えば、「イナモラータ」では、ストイックにベースのリフがいつまでも続き、ついにはリズムがほころんだかと思ったら、俳優のコンラッド・ロバーツが聞き慣れぬ詩を朗読し始める。マイルス・デイヴィス自身の作と思われるが、録音の神秘的なムードを盛り上げ、そして音楽を男性的にする。騒々しくて女性的なもの、として音楽を捉え(背景にあるのは音楽の守護聖人セシリア)、これを木っ端微塵にしたという感じ。この部分を強調しつつ、詩の朗読中もなお、次々とサウンドが生まれては消え、唸るようなサウンドが膨れ上がり、暴力的とすら感じるまでになり、ついには、ギターの歪んだサウンドへと潰えてしまう。 

 

 

 

 

 

1965年末から1971年の初頭は、筆舌に尽くしがたい。キース・ジャレットが5年かそこらの間に登った3段の階段、それは一人前のミュージシャンへと向かうものだった。アート・ブレイキー、チャールズ・ロイド、そしてマイルス・デイヴィス。彼らの革新的なバンドに長く席を置く機会に恵まれた、ジャレットと共に居た多くのミュージシャン達は、さぞ幸せだっただろう。ジャレットはそうでもなかった。彼が関わった全てのミュージシャン達が、美的価値観、そして音楽やメンタルの面で完全に一致して仕事をしている一方で、彼はキャリアの真っ只中にあって、自分が他のミュージシャン達と、いかに調和を乱さず一緒にやってゆけるかを知ろうとしていた。3名と共にしたこの時点では、彼が更に腕を上げてゆく上で、これほど様々な価値観から、きちんと距離をおいて独自に振る舞っていたことは、重要だった。彼はアート・ブレイキーのリズムに対する考え方が気に入らなかった。彼自身が適切と考えるリズムの作り方と相反するものだったからだ。チャールズ・ロイド・カルテットとの関わりも末期になると、彼はロイドの悪どいバンドの運営のみならず、ロイドが音楽に対する情熱を枯らしつつあったことにも、心を痛めた。マイルスについては、電子鍵盤楽器、つまり電子ピアノや電子オルガン、そういった楽器の音色の種類の乏しさと表現力の幅の狭さについて彼は最初から最後まで不快だった。マイルスについてはもう一つある。彼は自分の抱えるミュージシャン達にはあらゆる自由を与えたものの、企画/公演は全て、マイルス・デイヴィスの音楽という、たった一つのコンセプトしかなかったことだ。そのコンセプトにしても、これがまた大きすぎて、微細さが望まれたり必須だったりするような音楽でも、コンセプトがそれより大きくて進路を見失ってしまうことがしばしばあった。キース・ジャレットは常に生粋の室内楽奏者であり独奏者である。であれば、これでは状態は不十分である。 

 

 

マイルス・デイヴィスの創作活動は規模が大きく、新たなサウンドを求める取り組みも、中世ヨーロッパの工房よろしく、あらゆる種類のミュージシャンを一同に集め、1枚の巨大なフレスコ画を描かせるようなことをしていたのだ。キース・ジャレットもまた、新しい素材を素に、大規模な音楽作りをやってみたいと思っていた。それにしたって、ただ素材をドカッと放っておけば、自然にデザインが決まって、合理的に形が組まれてゆくというわけではない。倍音、リズムの刺激、アタック(発音)のニュアンス、形式の崩し方、キッカケとなるモチーフ作り、フレーズ間の橋渡し、フレーズ同士の結びつけ、ぶつかる音の処理、和音、不協和音、拍、間のとり方、曲調、これら全て、ジャレットにとっては重要であり、全て聴く人の耳に届き、味わってもらうべきものなのだ。鮮やかな色彩の数々、様々なリズムの持つ力、極めてデリケートで漠然とした音楽的動機の数々に対して彼が掛ける思い、これら全てを持って、音楽を描く行動を起こし、そして描く形には的確さをもたせること。彼の芸術観や音楽作りには、これが不可欠なのである。比較が適切かどうかわからないが、キース・ジャレットが「音楽を描く」動機は、ジャクソン・ポロックのそれとは一線を画す。ジャレットは、昔も今も、現代に蘇ったアルブレヒト・デューラーというべきだろう。微細にこだわり、抑制が効いて、意識をしっかり持って音を聞き逃さず、曲が続く間はそれを把握し再現できる。別に、混沌とした状態や自然と思いついたことや感情が溢れ出てくることを、排除しようと言っているのではない。それどころか、全て見聞き感じるものは、衝動、思いつき、感覚、想像、エネルギー、あるいは利用できる素材、という考え方なのだ。どの素材を使おうか?それはハッキリ表現したほうが良いのかどうか?そしてそのタイミングは?こういったことは答えを出すことが不可欠であり、殊、演奏中にインプロヴァイゼーションをするミュージシャンは、アトリエでペンを握っているミュージシャンよりも、うんと素早く答えを出さねばならない。ジャレットがアーティストとして几帳面で、過敏で、不安定で、短気な性分である以上、これを十分矯正する必要があるわけだが、ここまで多くを学んだ彼にとって、本質的に必要な要件が一つある。それはヨーロッパで彼が来るのを待っていた。