Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)4章pp61-67

このトリオの最初のレコードは、1967年にジョージ・アヴァキアンのサポートの元制作され、1年後「人生の2つの扉」のアルバム名でリリースされた。このレコードを世に送り出したのはネスヒ・アーティガン。ボルテックス・レコードという、アトランティック・レコードのサブレーベルの経営にあたっていた。処女作だけに、多少キズ物だが、失望した、という結論には、全く至らぬ出来栄えだった。このレコードで、ジャレットは、トリオ結成に当たっての人選の際に、頭の中で鳴らしていたサウンドを、見事現実にしてみせた。博物館に収めるような、小綺麗にまとめた作品ではないが、「アヴァンギャルドの急先鋒」たるベース奏者に、「音楽は美しく在るべきだ」というドラム奏者、この水と油の二人を、それぞれ在りのままでガッチリ手を組ませた音の記録だ。これぞ「命ある音楽」である。 

 

実際、このレコードにより2つのものが結びつくことに成功した。一つは、アメリカ歌謡曲の伝統:「メロディはエンドレスに、音楽は売れてナンボ」。もう一つは、自由闊達を基とするアヴァンギャルドのスタイルが持つ考え方だ。記念すべき第1曲目「リスボン・ストンプ」から、既に3人の息がピッタシである。「特に、ガッチリ決まったビートが続くのがイイね」、の人は皆無だろう。むしろコレ:ポール・モチアンが、トライアングルを何本も使いこなしたり、スネアドラムの金属製リム(太鼓の縁)からゴキゲンな音(リムショット)を次々聞かせたりと大忙し。誰の音楽的コンセプトの影響でもないことは明らかだ。いつもビル・エヴァンスと共演していた時より、はるかにノビノビ演っているのがわかる。まずキース・ジャレットが極上の仕掛けをする。非常に聞きやすい単音のメロディラインが流れ始め、それを幾度となくコードが飲み込む。キャッチーなリズムの形が生まれてくるが、それをモチアンは、ブラシのマレット(バチ)で右へ左へと「掃きとって」ゆく。この二人からのコール(呼びかけ)に、チャーリー・ヘイデンは素っ気なく返すわけがない。彼のベースライン(線)は金の糸のように、スイスイ心地よく、三人の音のカーペットへと織り上げてゆく。ヘイデンとモチアンを見ていると、曲者のモグラが2匹いるみたいだ。お互いに寄りかかりあうことはないが、お互いが眼中に「ある」。そんな状態で、二人並んで同じ方向に地中を掘り進めてゆく、そんな2匹のモグラである。 

 

「ラヴNo.2」では、あることが試しに行われているのだが、それは録音当時には、従前考えられないことであった。ハン・ベニンクと、シェリー・マンを合体したような試みで、野人のごとく豪胆で叩きつけるようなスタイルと、複雑さを極めた技巧との融合である。だが、収録曲はいずれも独自の世界観を持っている。コール・ポーターの歌う「エヴリシング・アイ・ラヴ」(唯一ジャレットの作曲でないもの)は、ビル・エヴァンスのスタイルを思い起こさせるような演奏だ。だが一つ一つのコードやベースのソロは、和声のルールに縛られない曲作りがいよいよ始まるのか、と予感させてくれる。演奏者がその気になり乗ってくれば、一気にフリージャズへとなだれ込むことになるのだ。「マーゴット」はジャレットが愛妻に捧げたものだが、リズムに遊び心がふんだんに盛り込まれている。まずは、右手が2拍子のリズムを弾き始め、その間左手は半分のテンポでゆっくり演奏する。すると、両手でワルツのような動機を演奏し始める。テンポの揺らし方(ルバート)がとても自由で、これを譜面に書き下ろすことは不可能である。「ロング・タイム・ゴーン」では、セシル・テイラー風のフリージャズに特有な音の出し方で、実質的な休符は全く無く、幾つかのフレーズが演奏されては徐々に消えてゆく演奏の仕方だ。時折、ビ・バップの定番な演奏の仕方が、奇妙な形で登場してくるが、当時彼らが、それらを「時代遅れ」と見なしていたのがよく分かる。収録曲中で最も奇妙なのが「チャーチ・ドリームス」だ。ジャレットが、グランドピアノの中にある共鳴板を使って奇妙な音を出すなどして、楽器をいじくり回している。同じように、ドラム(打楽器)のポール・モチアンも、自分の「道具箱」をひっくり返して、かつては「滅茶苦茶」とレッテルを貼られていたようなサウンドを聞かせる打楽器を見つけ出すのだ。 

 

このトリオは、ライブ演奏とスタジオ収録とでは、かなりの違いがある。それがハッキリ聴いて取れる2枚が、「人生の2つの扉」と、その1年後にハリウッドのシェリーズ・マン・ホールで行われたライブを収めた「サムホェア・ビフォー」である。音楽の方向性やスピード感、そして力を注ぐポイントは、ライブ演奏の方がやや革新性に欠けるが、聴衆とふざけあって楽しみたいという、強い気持ちが鮮明だ。これが感じ取れるのは、ボブ・ディランの「マイ・バック・ページズ」のゴスペル版だけではない。もっと鮮明なのが、当てつけがましいほどに緊迫感のある「オールド・ラグ」だ。「ラグタイムは急くな」が、スコット・ジョップリンの鉄則だが、それをこの音源は無謀にも無視し、荒っぽいシンコペーションのリズムの処理の仕方で、本来抑圧すべき感情を大爆発させている。このように、本来の音楽スタイルを、継続的で、しばしば聴手をあっと言わせるようなやり方で替えたものを作ってゆきたいという気持ちが、ハッキリと聞こえてくるのが、粗削りでありながら軽快なリズム感の「パウツ・オーバー」。あるいは、肩の力の抜けた抑揚感と、起伏のある2拍子のビート感があるアルバムのカバー曲「サムホェア・ビフォー」だ。だが何と言っても、これらが顕著に現れているのが「ムービング・スーン」である。その悪戯満載のフリージャズが、気がつけば聞こえてくる。それらをちょくちょく遮るのが、伝統的な5度―1度で出来ている節回しの出現だ。そんなこんなの最中に、チャーリー・ヘイデンが、全くお構いなしに、自らの「イッちゃってる」ベースラインで、全てをなぎ倒してゆく。 

 

このトリオの真逆の一面が見られるのが、1971年のスタジオ収録作品「流星」である。ここでもジャレットの作品の数々と、更に1曲だけ、官能的で美しい作品である「オール・アイ・ウォント」がジョニ・ミッチェルによって歌われる。ここでは大半の音楽が、メンバー同士が探りあい自分を抑えた上での、誰の耳にも明らかな一体感だけが全体を支配するのだが、中には新たな取り組みがみられる作品も幾つか在る。その一つが「曲折の人生」。この曲では全てが開放感が有り自由自在な感じで、リズム、ハーモニー、そしてこの世のものとは思えないスチールドラムのサウンド、これらはひたすら、曲の音色の特徴を鮮明にしてゆく。ヘイデンのベースソロは奇妙な繰り返しを用いている。その演奏効果は、スティーヴ・ライヒの「ミニマル・ミュージック」や、リゲティ・ジェルジュの楽曲構成の微妙なシフトがもたらす効果と似た点がある。「スタンディング・アウトサイド」は、後のケルン・コンサートで聞かせた、フォーク・ロックのような音調の変化や抑揚が、この時初お目見えしている。ここではチャーリー・ヘイデンが「ウォーキング・ベース」(スウィング・ジャズの基本奏法)のスタイルで演奏し、これにポール・モチアンが頑なにテンポキープするビートを刻む。両脇の打楽器奏者達が、絶対にずれないように、押さえつけているのだ。「生きるものの挽歌」では、言葉に尽くせぬ神々しい美しさにより「汝ピアノ奏者と汝ベース奏者は、死が二人を分かつまで互いに真実たらん」と誓いをたてる。 

 

このレコードでは、キース・ジャレットはピアノ、フルート、そして打楽器と大忙しである。最も奇抜な作品と思われるのが「インタールード No.1」である。仏教徒の祈りの合図を彷彿とさせる打楽器の響きとともに、その背景では、僧侶達が経を唱えているかのような音が聞こえてくる。同じように神秘的な作品が「トラスト」である。ここでは「歌」と呼ぶべき、呪文を唱えているような甲高い叫び声やしわがれ声が聞こえてくる。この間ピアノは、これまた説明の難しい音や、それを組み合わせたものを、つぶやき続けるように弾いている。ここでもヘイデンが同じ音符を繰り返しひたすら弾き続ける。そしてこの収録の他の作品にもあるように、この曲はあまりにも素っ気ないフェードアウトの仕方をする。多分こう言いたいのだろう「この先演奏はこれが延々続くぞ」。延々続く音の流れが予め存在していて、演奏者達は、そこにただ乗ってきただけ、ということは、出てゆくのも勝手、と言わんばかりである。ジョニ・ミッチェルの「オール・アイ・ウォント」は、賛美歌のような、ゴスペルのような彩りを添える。ジャレットはこの時、ピアノパートを多重録音している。アルバムのタイトル曲「流星」もまた、温度の高い作品である。エクスタシーの叫び声を上げているのはジャレットである。自分の演奏をグイグイ高めてゆこうとしているかのようである。ここでのポール・モチアンのドラムを聴いて思い起こすのが、古き良き日のスウィング・ジャズ、それもベニー・グッドマン楽団のジーン・クルーパが「シング・シング・シング」等で、音楽の殿堂カーネギーホールをビリビリと言わせた時代を彷彿とさせる。 

 

LP「誕生」は「流星」と同じ年に制作された。ここではサックス奏者のデューイ・レッドマンが参加している。これが所謂キース・ジャレットの「アメリカン・カルテット」である。このメンバーでは1978年まで活動を続け、時々打楽器や管/弦楽器のエキストラが1人2人と加わった。このアルバムの楽曲提供も、ジャレットによるものだ。またもや、新たな、そしてこれまでにない音楽の世界との出会いが待っていた。今回はタイトル曲が示すように、非常に魅惑的な作品である。ジャレットとサックス(レッドマン)とのデュエットが織りなす自由なリズムは、暖かなサウンドと相まって、まさに人の心の糧である。すると突然、デューイ・レッドマンが、けばけばしく原始的な叫びで聴く者を驚かす。楽器を吹きながら同時に歌うという妙技だ(訳注:グロウリング)。だが次の「モーゲージ・オン・マイ・ソウル」では、それまでと対象的であることが鮮明になり、ベースがワウワウ装置を踏みっぱなしで轟音をあげるリフによって火がついた、ワイルドなダンス音楽である。キース・ジャレットがソプラノサックスで、デューイ・レッドマンがテナーサックスを吹く。二人がメロディを息を合わせて朗々と吹き続ける様は、古き良き日のハードバップを連想させる。段々とテンションが上り、乱痴気騒ぎの絶頂に達した時、サックスの主旋律が戻り、バンド全体がハードバップの体裁に戻ってゆく。 

 

作品全体にビックリ箱の仕掛けがあるように思えてしまう。次の「スピリット」は、まるで中近東の市場にでも連れ出されたような、ワイルドな雰囲気の様々なサウンドやアンサンブルを満喫する。これらを演出するのは、デューイ・レッドマンのミュゼット(オーボエの一種)、ジャレットのリコーダー(日本の桜に関する音楽の雰囲気を少し持たせてある)、この間様々な声が、好き勝手につぶやいているのが聞こえる。クラリネットとピアノのデュエット「マーキングス」は、子供の数え歌のようであるが、「フォーゲット・ユア・メモリーズ」(さすれば彼らは汝を忘れまじ)では、聞いていてじれったくどもるような、セロニアス・モンク風のビ・バップのフレーズが、キース・ジャレットのピアノからノビノビと聞こえてくる。「レモーズ」では、再び色とりどりのサウンドやアンサンブルを満喫する。だが今度は、互いが噛み合っていないように聞こえて、聴き手を目くらましに遭った気分にさせる。キース・ジャレットバンジョーを爪弾く音から始まり、気分はアラビアの世界。だがチャーリー・ヘイデンはお構いなしに普通のジャズのベースラインを爪弾く。そして完全に場違いなクラリネットのフレーズが飛び込んでくる。スチールドラムが探りを入れてくるが、咽び泣くようなクラリネットが、あくまでも他の足元をすくってやろうと粘る。この間、ヘイデンが我が道をゆくと言わんばかりにベースラインを繰り返す。再びバンジョーが聞こえてくるが、今度はスペイン風で、パーカッションがゾリゾリ、カラカラ、ガリガリと風変わりな音で下支えをする。 

 

このように音を集中的に演奏する手法は、「最後の審判」にも聞かれる。だがこちらは、このカルテットによって1971年に行われたものの、レコードの初版リリースは4年後に持ち越された。「ジプシー・モス」はロックの曲の作り方をしており、ラムゼイ・ルイスのキャッチーなピアノの引き方のパラフレーズ風である。「パードン・マイ・ラグス」はラグタイムと、ストライドピアノ奏法をミックスさせて、ジャレットが猛スピードで弾きまくってゆく。「プリ・ジャッジメント・アトモスフィア」はドラムの独壇場。タイトル曲の「最後の審判」は、複数の食い違うリズムが合わさって曲が始まり、ムチを打つような音で曲の終わりまで行き、最後には人を馬鹿にする笑い声のようなサウンドで幕を閉じる。「ピース・フォー・オーネット」(ロングバージョンとショートバージョンがある)は、デューイ・レッドマンのテナーサックスとジャレットのソプラノサックスが、複雑に絡み合うフリージャズである。 

 

以上手短に書き記したが1971年2つのレコード作品はこの年にリリースされた驚くべきレコードの数々を締めくくるものとなった。一つはロサンゼルスのサンセットスタジオで収録されたもの。ジャック・ディジョネットとのデュオで、マイルス・デイビスとのツアーの合間にあった休日をおして行われ、その後マンフレート・アイヒャーによって編集の後「ルータ・アンド・ダイチャ」のタイトルでリリースされた。もう一つの「フェイシング・ユー」は、厳密に言えば、ジャレットのECMレーベルでのデビュー作であり、彼の最初のソロの収録である。こちらは、キース・ジャレットの将来の展望を示している。そこにあるのは、ゴスペル音楽の賛美歌の超現実的なインプロヴァイズ、驚くほど様々な性格の響きを使ったバラード風の作品、対位法に関する自らのインスピレーションの豊富さ、そして複雑なリズムの使いこなし。まさにソロのピアノ奏者にとっての全てである。「フェイシング・ユー」は、1972年には音楽評論家達に大変好意的に受け入れられ、翌1973年にはモントルー・ジャズ・フェスティバルにおいて最高賞を受賞した。 

 

キース・ジャレットが、自分と、自分の音楽を確立してきた足跡を、このようなゆっくりと凝縮した見方をするなど、片目で顕微鏡を覗くようなものだと、バカにする見方もあるかと思う。そして実際に、彼の音楽を聞いた人々の中には、こうした多方面にわたる音楽作りに対して、一定数苛立ちを覚えている層もある。だが突き詰めてゆくと、こういった作品群は、一つの大きなものにくくられる。それは彼の望み、つまり、音楽とは一期一会で仕上げてゆくものであり、自身の創作意欲を押さえつけるような、既存の枠に盲従したくない、そういう彼の意思なのだ。あらゆる場面で、彼のアウトプットは、誰もが驚く、「歩く百科事典」の如く、である。前章47ページのロバート・パーマーの「ローリング・ストーンズ」誌に掲載された、全米同時発売の3つのレコード(エクスペクテーションズ、誕生、フェイシング・ユー)に関する論評を今一度見てみれば、キース・ジャレットとは、今や世界の音楽界にとって重要なピアノのスタイルの持ち主となっているにも関わらず、アメリカでは全く無名だ、との皮肉を込めた一文が掲載されている。彼の言う通り、ヨーロッパの人々がまず最初に彼の高い能力を見抜き、自由闊達にその才能を開花する可能性の扉を開けてやったのだ。1972年は、キース・ジャレットにとっては、自らの方向性が見えた年であるだけでなく、自身の長年の努力の末に、アメリカ人としての自分が、ヨーロッパで生きる人間としての自分も手に入れた年であった。