about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)6章pp.85-88

6.無限の可能性を秘めたソリスト 

 

ピアノにまつわる金言格言をいくつか見てみよう。エドゥアルト・ハンスリックという、ブラームスの友人にしてワーグナーの仇敵の言葉:ピアノ奏者の腕の見せ所は、「タッチ」(鍵盤の触れ方)の奥義にある。詩人ハインリッヒ・ハイネの言葉:耳だけでなく魂でも音を聞ける者だけが称賛に値する。ピアノを弾く時は指の動きだけが必要で、手のひらだの腕だのは余計な動作だ、そう信じてやまないのが、「現在のピアノの神様による禍」(目の上のたんこぶ)こと、フランツ・リストだ。ウォルター・ピストンという、厳格で学術的とされる作曲家が、かつて、自分のピアノ作品を妙ちきりんな解釈で演奏されたら我慢できるか?と訊かれた時、プレーヤーが何を考えようが知ったこっちゃない、と答えたとのこと。アルトゥール・ルービンシュタインが友人であるレオ・トルストイに語った言葉:演奏中自分自身がノッてこないと、お客に演奏は届かない。フェルッチョ・ブゾーニの言葉:ピアノの右ペダル(ダンパーペダル:ピアノの奥義)は月の輝きのごとし。気体や水を目盛りで計って注ぐような使い方をしないこと。 

 

いずれも、謎めいていていたり、ピアノの技術が何たるかがわかりやすかったり、たとえ話で言い換えてみたりと、逆説的な物言いが多いが、ピアノ演奏が何たるかを知る上では、学ぶこと大である。だが、ふつふつと疑問が湧いてくることがある。キース・ジャレットについては、いささか異なることが当てはまるのではないか、ということである。彼にそのことを尋ねることはするまい。インプロヴァイゼーションに関して言えば、彼はシトー会の筋金入りの遵守者(黙想と禁欲を重んじる集団)のようなものであり、そして彼のソロ作品をざっと見わたしても、「沈黙に勝る雄弁なし」のオンパレードであることが、よく分かる。 

 

最初のソロアルバム「フェイシング・ユー」は1971年にリリースされた。8つのピアノ作品が収録されているが、ライナーノーツもコメントも、皆目見当たらない。その2年後、「ソロ・コンサート:ブレーメンローザンヌ」が発売。長時間にわたるインプロヴァイゼーションによる演奏に関することと言えば、録音年月日と場所のみ。音楽自体には曲名がついていない。1975年の「ケルン・コンサート」もそうだ。インプロヴァイゼーションによるピアノ演奏が収められているのが、LP4面:「パートI」そして「パートII、a、b、c」となっている。いずれもコメント文は載っていない。ケルン・コンサート次の年に制作された、2枚組LPのステアケイス」を構成する4つのセクションにも、説明文が載っていない。同じく1976年、ジャレットが収録したのは、2つの賛美歌と、そしてピタゴラスがかつて「天地が音楽という調和の賜物を作った」と称するところの、9つの楽章から構成される「天球の音楽」。ドイツ・オットーボイレンのベネディクト修道院にあるオルガンによる演奏で、アルバムのタイトルは「賛歌」(題意:賛美歌/天球の音楽)。カバーにはただ一文のみ印字されていた「特定のストップ(パイプ)を中途半端にスライドし、残りは全て、開管のままか、もしくは閉管のままにすることで、このオルガン特有の数多くの演奏効果を、今回初めて、引き出すことが出来た。」また更に同じ年にリリースされた「サン・ベア・コンサート」は、日本の各都市(訳注:5都市)で開催された5回のソロ・コンサートを収録したものだ。ガートルート・スタインの献辞「耳は目だと思え」(文意:目は物事の表面に関する情報しか入ってこないから、物事の内容に関する情報がはいってくる耳を、目のように使いこなせ)、これだけが載っている。1979年と1980年には、2枚組アルバム「インヴォケイションズ/蛾と炎)が制作された。「インヴォケイションズ」は、ジャレットが以前オットーボイレンで弾いたバロックオルガン(等)で7つの「祈り」を奏で、「蛾と炎」はドイツ・ルートヴィヒスブルクのスタジオでの、コンサートグランドピアノによる演奏である。これには、ロバート・ブライの詩「When Things Are Heard」(題意:情報が耳から入ってくる場合)が添えてあるだけ。1980年3月に収録した「祈り:グルジェフの世界」には、解説文は何も載っていない。1981の「ヨーロピアン・コンサート」(ブレゲンツ/ミュンヘン)では、添付のブックレットに、ミカエル・クルーガーの詩「キース・ジャレットの庭によせて」、そしてキース・ジャレットの創造性に思いを馳せたペーター・リューディのエッセイ「魔術師と曲芸師」が掲載されている。この4年後には、ピアノ、フルート、サックス、打楽器のための26の小品を収録した「スピリッツ」(キース・ジャレット自身のスタジオで収録)。カバーに載っているのは、ライナー・マリア・リルケソネットと、ジャレット自身が人間の魂について綴ったエッセイである。ジャレットは27年間門外不出にして温めていた楽曲を、CD「ノー・エンド」に収録した(1986年キース・ジャレット自身のスタジオで収録。様々な楽器を用いた20作品の曲集)。この作品には独特な高揚感が溢れていて、最終的に世に出たのは、2013年に2枚組CDとしてだった。カバーには、デヴィッド・フォスター・ウォレスの言葉からの引用と、ジャレット自身の考察、そして彼と対峙する人々も含め「全ての人々へ」とする献辞が寄せられている。「ブック・オブ・ウェイズ」(1986年)では、クラヴィコードによる繊細な演奏を披露。ここでも説明文は載っていない。1年後、東京・サントリーホールでのコンサートのライブ録音「ダーク・インターバル」、そのカバーには、こんな短い言葉だけが寄せられている「手を触れることができるのは、物事の端の方だけ。光をありがたいと感じるのは、物事の合間にやってくる暗黒の時だけ。」 

 

ジャレットがソロのピアノ奏者として、更に踏み込んだ活動に乗り出したのが、「パリ・コンサート」のリリースである。ここでもライナーノーツはない。3年後にリリースされた「ウイーン・コンサート」には、ロバート・ブライの詩と、キースの綴った自らの音楽と「炎」と称するものについて、謎めいた言葉がある。さらにその4年後の「ラ・スカラ」では、収録会場であるミラノ・スカラ座の舞台裏での、イタリアというお国柄が感じられる風景がコンパクトに描かれている。「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」では、それまで緻密さを極めていた音楽づくりに、シンプルな、ピアノならではの良さを発揮した演奏を挟み込み、重病からの回復のメッセージとした。本格的な活動を再開したジャレットは、2002年に、日本での2つのソロ公演を収録した「レディアンス:ソロ 大阪―東京」を発表。添付のCDブックレットには、「今回の演奏について」と称する寄稿を行っている。2006年の「カーネギーホール・コンサート」は説明文なし、そしてCD3枚組の「テスタメント」では、ジャレットのソロ活動を振り返っている。「リオ」は2枚組のCDで、15のピアノでのインプロヴァイゼーションを、ブラジルでのライブ録音で収録されており、こちらも説明文なしで出版されている。これに続くのが「クリエイション」。2014年4月から7月までに日本、カナダ、ヨーロッパで行われた4つの公演からのセレクションである。そして、本書執筆時点では最後になるのが「ミュンヘン2016」。キース・ジャレットの「年代記」といった風情である。このアルバムのカバーにも、説明文もなければ、詩篇による雰囲気作りも、金言格言も、何もない。 

 

これほど質/量ともに、ひときわ優れたキース・ジャレットの25にも及ぶソロ作品を、味も素っ気もない統計表みたいに書き記すなど、不心得だと思われるかも知れない。何しろこれから語るのは、40年間に渡り彼が残した、36時間にも及ぶインプロヴァイゼーションによる演奏についてである。この演奏では、基礎となるモデルもなければ、予め形式を決めてかかるようなことはしない、ということが頻繁にあり、その場の思いつきで、それもキース自身の内面をテンション高く掘り下げてゆく、という具合であった。聞こえてくるのは、ジャレットが全てを出し尽くし、時に意識的に、時に夢遊病者のように、時に衝動的に、時に神経外科医のような冷めきった態度で、自らが発信媒体となる音楽に相応しいものは何かを、探し求めている様子である。彼が残してきている芸術活動の成果は、膨大なものだが、この25のソロ作品だけをみても、「生涯作品」と称するに十分値する。「フリー演奏」とは、あらかじめコンセプトを持たずに演奏するという、逆説的な音楽上の概念である。何しろ、意図的なものや演奏上のスタイル、あるいは入れ知恵的なものは、全て効率よく排除しまくってしまおうというのだ。インプロヴァイゼーションを完璧に行うなどという、正気の沙汰とは思えない考え方は、当時としてはあまりに急進的な発想であり、それまでのジャズの歴史が経験した革命的なアイデアの一つとして、後世に残されて然るべきである。そういう演奏を実際に行うミュージシャンは、彼しかいないと言っても、ほぼ間違いないだろうということを思えば、「後世に残される」というのも頷けるというものだ。キース・ジャレットのこの有り様と比較できると思われるのが、カナダの異端児であるグレン・グールドだ。彼は、彼しか住んでいないという宇宙銀河系からやってきた男、と言われている。 

 

統計的に見ても才覚あふれる産物であるジャレットの記念碑的とも言うべきソロ演奏の録音は、「演奏に理屈は無用」という彼の頑固な姿勢が現れている。油と水が相容れないように、言葉による演奏解釈は、演奏から全て排除されるべきだ、というものだ。自分自身とその生み出すものに、カルト的な佇まいを増長させてしまう道に陥ってしまうアーティストにありがちな傾向としては、理屈を持ち出して口論し、自らを取り巻く音楽に関する議論は概ね否定し、謎めいた自分を演出し、お客も自分と同じく繊細であるはずだと思いこんで「心の架け橋」を築こうとしない。エミリー・ディキンソンは、傑作と称される詩の中の一つで、こう言っている「私達は、自分が解けるなぞなぞを、よくコケにする」。逆もまた然り、とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、キース・ジャレットのソロ・コンサート、等々、枚挙に暇がない事例が示すとおりである。 

 

偉大なピアノ奏者、と、偉大なジャズピアノ奏者、両者には根本的な違いがある。アルトゥール・ルービンシュタイン、ヴィルヘルム・バックハウスルドルフ・ゼルキンスヴャトスラフ・リヒテル、アルフレート・ブレンデル、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリといった偉大なピアノ奏者について語る時、彼らは暗黙の了解のものと、「ソリスト」と考えられる。作家のトーマス・ベルンハルトでさえ、小説「破滅者」の中で、グレン・グールドのことを書いている。彼の想像上のメンターであるヴラディーミル・ホロヴィッツや、その次善のピアノ奏者達は、グールドという登場人物を、ソリストと称している。一方で、偉大なジャズピアノ奏者と言えば、音楽家としての人生を、トリオ、カルテット、あるいはビッグバンドといった、自分の名前は出てきそうもない場所で過ごす。ソリストと思われたくないだの、伴奏無しでレコードを出すのは嫌だ、だのと言ったとしても、同業者から「あいつはスゴイ」と一目置かれることだってあるのだ。ここで例外とみなされるのがキース・ジャレットである。彼は偉大なピアノ奏者であり、同時に偉大なジャズピアノ奏者でもある。ジャズの方では、彼はバンドの一員としても、また独りでも偉大である。これを誰よりもしっかり評価できたのが、ストックホルムのポーラー音楽賞の審査員団である。「音楽のノーベル賞」と言われるこの賞は、賞金100万スウェーデンクローネ(約1,100万円)、大概は折半され、クラシックのミュージシャンと、もう一方は「ポピュラー音楽」のミュージシャンに贈呈される。2003年、本賞は史上初めて、折半されず、一人のアーティストに授与された。審査員団曰く、「音楽界の壁を難なく超えてる力の持ち主」、キース・ジャレットのことだ