Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)6章pp93-97

「ソロ・コンサート:ブレーメンローザンヌ」は、キース・ジャレットが昔ながらのジャズ伝統と袂を分かち、二度とこれまでのインプロヴァイゼーションには戻らない:前もって口頭で打ち合わせをしない、既成のコード進行を使わない、そういった意味では紙に書いた譜面も使わないという、画期的なものだ(例外として、コンサートのアンコールピースや、「ダークインターバル」、「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」といった一部のアルバムを除く)。1973年といえば、彼がよく言う「フリープレイ」が確固たる地位を得た年だ。「フリープレイ」とは、ミハエル・ナウラも、「シュピーゲル」というドイツの音楽雑誌で、キース・ジャレットが1981年にミュンヘンで開催したコンサートの記事を扱ったときに使った言葉である。ナウラによれば、キース・ジャレットの根底にあるものは、有名な中国宗教「道教」の祖である老子の教え:身についたことや、仰々しい知恵は棄ててしまえ、そうすれば、百倍になって利益が返ってくる、ということだ(訳注:元の文は「聖を絶ち智を棄つれば民の利しきは百倍す」となっている)。「ジャズの歴史上、素晴らしいインプロヴァイゼーションを聞かせるピアノ奏者は、何人もいる。だが、皆、覚えてウケると分かっているネタを、オウムみたいに繰り返してばかりだ。そこを脱却しようという、やる気のある者は、誰もいない。恐らくキース・ジャレットという、20世紀の名手が雄弁に示すのが、かのデューク・エリントンの「ジャズは、もはや、色あせた札で、使い勝手の悪い術だ」という言葉だろう。」 

 

ソロ・コンサート:ブレーメンローザンヌ」や、2年後の「ケルン・コンサート」が引き金となり、ニューヨーク・タイムズのジェームズ・リンカン・コリアーがいうところの「キース・ジャレットブーム」が巻き起こる。ジャズの歴史の中で、数あるミュージシャン達がもがき苦しむ中、ほんの一握りの者達が、やり遂げたことは、キース・ジャレットがこれらのレコードを通して成し得たことだった。それは、ルイ・アームストロングデューク・エリントン、場合によってはベニー・グッドマンデイヴ・ブルーベック、そしてマイルス・デイヴィスなんかもそうだが、キース・ジャレットは、ジャズという「内輪」から、アーティストという「公の場」へと躍り出たのだ。当時アメリカでは既に一般的になっていたのが、著名人の資産に関する詳細記事である。主要紙のひとつ「ニューヨーク・タイムズ」によると、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」の売上による1978年の申告所得額が50万ドル(税込み)。総売上数50万枚は、ジャズレコード界の快挙であり(その後400万枚ほどに至る)、彼のソロコンサートのレコードのうち、継続的に売上のあるものについては、1枚あたり10,000~15,000ドルの報酬を得る権利をうけた。ついにはECMは、10枚組の「サン・ベア・コンサート」とともに、発売規模としては当時ベートーヴェンモーツアルトのレコードと同じような枚数を、世に送り出すに至る。ジャレットはすでに一部の批評家達からジャズミュージシャンとはみなされておらず、彼のファン層は筋金入りのジャズファンのみならず、フォーク、ロック、ジャズ、クラシクと、あらゆるジャンルの音楽愛好家を含んでいた。 

 

 

1974年、「ダウンビート」誌は、「ソロコンサートブレーメンローザンヌ」を、その年のベストジャズアルバムとし、世界各国のミュージシャンの批評家達は、ジャットを世界最高峰のジャズピアノ奏者と評した。だがここで注意しておきたいのは、こうした結果公表はたいてい、音楽活動自体の数字や見た目のの様子に対してであり、演奏の実際のレベルについてではない、ということだ。キース・ジャレットに衆目が集まるのは、彼が「いいとこ取り」の才に長けているからだ。インプロヴァイゼーションひとつとっても、普通のコンサートグランドピアノを使って、電子装置を仕掛けたり、多種多様なものとの融合を試みたりする。その魅力の素となる、音楽面での内容、途方も無い演奏技術、舞台上での魅力的な所作は、どれも既存の物や前もって打ち合わせ準備したものでは、全く無いのも人気の理由だ。ここで再びニューヨーク・タイムズの記事から引用する。キース・ジャレットのソロコンサートというものの印象的な描写をしているものがある。執筆者曰く、演奏を聞いていると、まるでアート・テイタムショパンが、同じカヌーに二人で乗って、川を漕いで下っているようだ、とのこと。「ブレーメン」の演奏開始9分あたりでは、まるで二人が滝に向かっているかのような印象を受ける。演奏はノリの良さに加えて、左手はオスティナート(同じリズムの繰り返し)、右手は紡いだ音の数々が空を舞い散るように、次第に圧を強めはじめ、段々ギラギラとしてものになってゆく。やがて右手の方のフレーズが申し訳無さそうに鍵盤からいなくなる。その様子はまるで、巨大な演奏システムを持つピアノさえも超越してしまったかのようである。そして全てがいなくなり、残るのは、手が触れることのない、響きをそのまま残した音である。 

 

インプロヴァイゼーションは、19世紀の偉大なピアノ奏者たちもまた、技巧を凝らし、長いフレーズ感を保つようなやり方で、行っていたと思われる。ただし、それらは長調短調といった和声をつなげてゆくやり方で行われていて、その範囲から一歩も外には出ていない。だが、ショパンやリストが、インプロヴァイゼーションの不滅の伝統を示すお手本として、彼らの音楽の中に託して後世に残したものを、ひとつひとつ見てみれば、いずれも自由に「次々と飛び出してくるもの」が、拍子の拍数や小節線といった枠組みから外れてくるものだが、所詮は単調である。対するジャレットは、大胆な鍵盤タッチで、つま弾く複合リズムは、今まで聞いたことのない、音楽の大陸の海岸に打ち上げられた気分であり、そこにはカオスが直ぐ側に居るようであり、そしてジャレットが、従来の和声もリズムも、全てその枠組を捨て去ってしまったかのようである。特筆すべきは、オスティナートの数々だ。彼がこれでもかというくらい使い倒すものだが、これが始まって聴いていると、これほどノリよく、恍惚とした気分になり、あるいは(文字通り)「揺さぶられる」リズムは無いように思える。この音楽は、洗練されており、また人の心をつかみやすい。魅力的なメロディと、それと同居するのが、不安感を煽るようなリズムである。そしてジャレットの常套手段として、ゴスペルの手法をもちいた、楽しさあふれるリズムへと飛び込んでゆくことがある。おそらく、数ある彼の演奏スタイルの中でも最も痛烈であり、同時にこれは、彼の心の内をクッキリと表現していると思われる。彼が生み出す音楽は、ある意味全て「賛美歌」と呼んでいいかも知れない。彼が自身のインプロヴァイゼーションについて語っていたことで「僕の演奏するものを「賛美歌」と呼んで構わないなら、僕にとってはその方が適切だ。なぜなら、思い通りに演奏できたものは、全て僕には「賛美歌」だからだ。僕の音楽は、人智の及ばない力と結びつき、そして僕がその力に全てを委ねることで、一つ一つ生まれてくる(訳注:英文はこの逆・・・もし僕の音楽が、人智の及ばない力と結びつかず、そして僕もそれに抗ってしまったら、何一つ生まれてこない)。そのたびに、神様からギフトを授かる、ということさ。」 

 

この一連の流れは彼が必ず繰り返し行う演奏に置いて非常に重要な要素であるこんな風に彼はオスティナートのせて興に乗った結果「賛美歌」となり、彼自身も恍惚の状態になってゆく。恍惚は、5分やそこらでは到達しえない。ジュークボックスのような機械的な演奏と、恍惚に到達する演奏とは、お互い相容れない。同時に、こういうインプロヴァイゼーションは、ある程度は、全てのジャズミュージシャン達が「ジャズはダンスだ」という持論をもっていることを裏付ける。その中には、デイヴ・ブルーベックレニー・トリスターノといた、「知性派」も含まれる。そしてジャレットは、ジャズが、トランスのようなアフリカ音楽の流れをくむ、ということをしっかりと自覚している。だが他にも魅力的な聞き所が、ブレーメンローザンヌの2つのソロコンサートには沢山ある。透明感のある高い音域の対旋律、雨粒のような序奏、ロックばりのアクセント、ピアノによる「音の滝」、そしてラグタイムのリズムが、一斉に時を遡り、やがて中世ヨーロッパのホケトゥス(多声音楽の一種)へと昇華してゆく。ローザンヌのコンサートも、ブレーメンのと、こういった点で同等である。そして、演奏開始早々、ジャレットの信じがたい演奏表現能力をうかがい知ることができる。 

 

この優雅な演奏については、様々な葛藤、それに対する裏付け、前後の話、解決策、疑問点が上がっている。属7音の和音に固執しつつも、音程感を崩したフレーズの終止形を維持するということで、答えが出るのを遅らせている。演奏がだんだん掴み所がなくなって、調性も感じられなくなってきたところで、ジャレットは突如、あるリズムを発信する。耳に馴染みのあるスクエア・ダンスにうってつけのものであり、素直な音楽の聴き方をする聴衆を、しっかりと惹きつける。何度も言うが、いいとこ取りの彼は、使い古されたような音形やジャズ・ロックのリズムと、ピアノの弦を直接手で弾いたりハンマーにミュートを掛けたりする技とを結びつけて、演奏できてしまうのだ。まさに、ジャズの古典であるコルネット奏者のバディ・ボールデンと、現代音楽の権化である作曲家のピエール・ブーレーズとは、表裏一体の一枚のコインであり、直ぐ側にはベートーヴェンが控えているぞ、と言わんばかりの演奏の姿である。そこには、不遇の時代のフリージャズから、フォークミュージック、情熱的な手の混んだ表現、そして威勢の良いロックのリズムまで、なんでもござれだ。演奏の最後の音が耳に入ったとき、聴衆は気づき始めるのだ。スリルな気分になれたのは、演奏中に飛び出した一つ一つの細かい内容ではなく、それらがまとまった全体像であり、溢れんばかりの芳醇な演奏内容、熱い思い、ともすると「キレて」しまうかもというジャレットに対する心配の気持ち、こういったものの総体なのだ。 

 

イラッとする一文が載っているのが、ジャレットの最大の人気ソロアルバム「ケルン・コンサート」のカバーだ。それには「全曲、キース・ジャレットの作曲による」。作曲による?「インプロヴァイゼーションによる」ではないのか?その区別を、ジャレットが出来てないとでも?それはさておき、この2つの別々の言葉は、その作業にあたっては共通するベースがある。音楽を、紙に書き出すか、頭の中に書き出すか、作業は別々だが、ジャレットにとっては違いなど無いのだ。インプロヴァイゼーションは瞬間的に行う作業である。その場の判断で、フレーズの処理の仕方、音の発し方や止め方、飾り付け、変化の付け方、再構築のしかた、あるいは自由に展開する方法について、次々と音にする。そういった意味では、インプロヴァイゼーションとは最速の作曲法である。 

 

同じ様なコメントを、本頁執筆中の私殊事筆者がキース・ジャレットコンサートに関してした時、反対意見が飛び出してきた。ドイツ人作曲家ヴォルフガング・リームである。インプロヴァイゼーションは最速の作曲法ではない、という。真逆に、彼は続けて、作曲は最も遅いインプロヴァイゼーションの方法である、という。「元ネタを譜面にしても、その新鮮さが保てるなら、結果できあがるものは、説得力がある。その良い理由となるのが、例えばモーツアルトドビュッシーのように、これをやってのけた作曲家達だ。彼らの作品には、インプロヴァイゼーションを作曲する、という基本方針がある。まず、その場その場で頭に思い浮かんだものを抽出して、それを形にして、吟味できる形にしてゆくのだが、その間、失われたり損なわれたりするものは、何もない。これは大変なことなのだ!だがあっという間にとは行かない。「あっという間に」行くのは、システムが出来上がっているもの、ルールで縛られているもの、あるいは蓄積されて整理された素材を使うものだ。」 

 

恐れながら申し上げるとこのヴォルフガング・リーム反対意見はジャレットの創作活動に対する反駁にはなっていないリームジャレットも、「その場の気持」の重要性を意識し、ジャレットの音楽は「記譜」の必要がない、と言う立場である。なぜなら、「ソッコー(即行:reflex)」と「ジュッコー(熟考:reflextion)」との差がないと思っているからだ。こういった瞬時の判断の新鮮さは、単に瞬時にインスピレーションが働くかどうかである、と理解されているのだろう。そしてインスピレーションの有る/無いで、有る人がアーティスト、無い人が「コン・アーティスト」(詐欺師)だ。こういうインスピレーションが次々と流れ出てくる、そしてすぐさまそれが結果に繋がり、あらためて譜面に落とし直す必要がない、というのが、ジャレットの音楽の価値を高めているのだ。これはジャズが魅力的である理由とも同じで、ジャズとは速さが身上の創作活動である。「ジャズ」と「冷静沈着」は同義語であり、キース・ジャレットはそれを研究する格好の材料である。 

 

キース・ジャレットの初めての試みとして、「ソロ・コンサート:ブレーメンローザンヌ」で行ったことは、その後の「ケルン・コンサート」、そして、彼が全世界で注目を集めることとなる、残りのピアノのソロ演奏録音全てにおいても、継続された。ジャレットは、形式上自由に演奏できる楽曲を、形に残すことはしない。だが彼の発想を、確実に、厳密に、そしてどこまでも守り実践して、それによって生まれいづるもの全てを効果的に利用できる者など、誰もない。そしてジャレットも、単にこれで満足などしなかった。彼はピアノのソロツアーの合間をしっかり取って、他の様々な取り組みを行った。オットーボイレンのバロックオルガンを使った曲を作り、繊細なクラヴィコードハープシコードを自身の様々な楽器を駆使する作曲のネタに取り入れたり、以前使用したピアノ以外の楽器を再研究したり、クラシックの作曲家の音楽を演奏することで、新たな作曲の世界を切り拓き、神聖な音楽を生み出す作曲家ゲオルギイ・グルジエフの作品や、知的な練習曲集であるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に、腰を据えて取り組んだり、画家のポール・クリーが描いた、マッチ棒のように細い線の被写体に音楽をつけようと、自身のスタジオに籠ったりした。そして自己啓発を心ゆくまで果たすと、ゲイリー・ピーコックジャック・ディジョネットの元へむかい、一昔前の流行歌は依然健在であり、ボロボロになった歌集の表紙を開き、中の光る真珠に日の目を見せてやればいい、ということを実践した。 

 

「ソロ・コンサート」のあと、次のソロの収録までには間が空いた。ジャレットは年間70回ほどのコンサートのツアースケジュールを、忙しくこなし、同時に彼が主催するカルテットでの演奏活動や、ソロ演奏家として他の数え切れないほどのプロジェクトに取り組んでいた。その最中に開催されたのが「ケルン・コンサート」である。ヨーロッパツアー中であった1975年1月、ドイツのケルン市にある、ケルン歌劇場を会場としたこのコンサートは、素晴らしいライブ録音によるアルバムに収められ、ピアノのインプロヴァイゼーションにおける彼の名声を、最も確実なものにした。続いては「ブルーモーメント」。ムラーデン・グテーシャ指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団を中心とした演奏で、完成度の高い彼の作品が収められている。そして名作「残民」は、いわゆるアメリカンカルテットとの逸品。その後にソロアルバム「ステアケイス」のリリースと続く。 

 

このレコード誕生には思わぬ事件があった収録は1976年5月、キース・ジャレットとマンフレート・アイヒャーが立ち会う中、パリで行われた。作曲及び演奏の依頼を受けたのは、ミシェル・ロジエ監督、アンヌ・ヴィアゼムスキーフランソワ・モーリアックの姪で、ジャン・リュック・ゴダールの元妻)主演の映画「Mon coeur rouge」(題意:心を赤く染めて)の付随音楽である。プロデューサーはアイヒャーが抜擢された。収録が行われたのはパリの「スタジオ・ダヴー」。無数の映画音楽が制作された屈指のスタジオであり、あらゆるジャンルのミュージシャン達から高い評価を受けている。ピエール・ブーレーズマイルス・デイヴィスイヴ・モンタンジーン・ケリージョーン・バエズ、更にはローリング・ストーンズといった錚々たる面々である。例によってジャレットとアイヒャーは、収録当日は相当集中してこれに臨んだ。ところが、このカツカツの映画のための楽曲収録があっという間に終わってしまい、そこで彼らは、その日の残りの時間を使い、自分達の分のレコーディングも済ませてしまおうということになった。なにせピアノが最高級品で、しかも録音エンジニアと調律師も半日仕事を頼める状態だった。 

 

こうして出来上がったのがステアケイス」は、翌年リリースされた。あらためて、この作品は、それまでのレコードとは全く毛色の違うものである。「フェイシング・ユー」や、後の膨大なインプロヴァイゼーションのセッションによる作品との違いは、音楽の素材にあるのではない。フレージング(楽譜の弾き方)やアーティキュレーション(スラーやスタッカート等の付け方)にあるのだ。基本的にこのアルバムは、サウンド(音色・音質)面でのこだわりが印象的な作品である。これに先立ち、ジャレットはケルン歌劇場設置のベーゼンドルファーのピアノに辟易していた。これをきっかけにジャレットは、ピアノの可能性を引き出すべく、自らの本能が求める音色はどうあるべきかを見つめ、その最も微妙な領域にまで立ち入ってみせた、彼の才能をいかんなく発揮する良い機会となった。世界をアッと言わせたこのアルバムは、ジャレットがピアノ奏者として最も理想とする感情表現に、限りなく近づいたとして、今も他の彼の作品を寄せ付けていない。11ある収録曲のいずれにも、感情表現以外の、具体的に音に現れている特徴がある。低めにぶら下がる音は一つもなく、しかも丸い音、クッキリと角のついた音、立体感のある音が、しっかりとした深みと、鮮明さを持っている。音が消えてゆくときの処理は、単に音量が小さくなるだけでなく、まるでトンネルから来たかのようで、音量のメーター数値が下がっていくだけでなく、音のサイズが、凝縮されて小さくなってゆく感じがする。もし「ケルン・コンサート」収録時に、これだけ立体感のある音作りと安定感の有る土台となる音の処理の仕方をしていたら、表現力の圧は、どれほどになっていただろうか、と思ってしまう。そして「部分音」、つまり倍音などを豊かに含んだサウンドが、しっかり響き渡っただろうに!「ステアケイス」は、どの音の音色もとても豊かで、それこそ音響測定器でも持ってきて、倍音を全部感知してみてほしいくらいである。 

 

インプロヴァイゼーション中核をなすこれら崇高とも言うべきサウンドに、聴く人は圧倒されてモチーフやらメロディラインやら楽曲形式を駆使した音楽づくりの方は脇に追いやられてしまうだろう1曲目はタイトル曲ステアケイス」。3部形式の組曲である例えばそのパート2」は、その素晴らし音色の醍醐味が味わえるなにしろ一つ一つの音の粒立ちがハッキリと聴いて味わえるのだ。だがジャレットが色々なフレーズをギチギチに絡ませ始めると、次第にピアノの音が、ロシアのキエフあたりのギリシャ正教会から、一斉に響き渡る鐘の音のようになってくる。たった一台のピアノから、とてつもない量の音楽が溢れかえってくる、こんな演奏は滅多に聴けるものではない。このピアノから発信されるものを全て捕まえるには、耳が2個では足りない、といっておこう。素晴らしい演奏は、2曲目の「砂時計」の「パート1」にも引き続く。ロマンチックなエレジー(哀歌)で、複数の旋律が絡み合う構造の曲を引きこなすピアノのタッチは、一つ一つの旋律が音色ごとにちゃんと聞き分けられるような弾き方となっている。3曲目の「日時計」などは、それこそ映画音楽に使えそう。銀細工師達が作業場にいて、と言った具合に(崇高な性格のこの音楽のイメージとは真逆かも・・・)。これほど信じがたいほどの音の芸術を組み上げてきたこの曲の、最後を締めくくるのは、かなり陳腐な雰囲気の組曲で、その名も「砂」。ジャレットはこの無窮動(曲の終わりが頭に戻る無限ループの楽曲)を演奏するのに、曲名にちなんで文字通り、彼の10本の指の下にある砂が真珠のように丸いアラベスク模様を描くように、次々と音符が消えてゆくように弾いている。