about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett 伝記(英語版)6章pp102-end(105)

4年後、グルジェフの作品を収録した「祈り:グルジェフの世界」は、新たな方向へと舵を切る作品となった。その要素は2つある。一つには、この作品では、ジャレットはインプロヴァイゼーションを、ほぼ完全に封印し、自分以外の人間が作った曲を演奏したことがある。それだけでなく、もう一つは、収録曲はいずれも内容が比較的希薄であったことと同時に、作曲者が何かと世間を騒がせるギリシャアルメニア人の神秘論者であったことだ。このゲオルギイ・グルジェフ(1866―1949)というの、難解な思想とそれに基づく全ての理論に、ジャレットは既に1960年代には、興味を示していたのだ。グルジェフの著書の数々を読み込み、グルジェフの思想の重要な部分である彼の音楽についても、ジャレットは研究した。グルジェフは、音楽に関しては素人だった。彼の作品(あるいは曲の体裁にまではなっていないメロディ)は、彼の弟子であったピアノ奏者トーマス・ド・ハルトマンによって、譜面に書き起こされ、楽曲としての形を作り、ハーモニーがつけられた。これらの作品群に対し、ジャレットが夢中になって興味を示したことは、彼のファンの多くに驚きを巻き起こしている。だが実は驚くことではない。アーティストである彼は、子供の頃、精神論的な雰囲気の両親のもとで過ごしているのだ(クリスチャン・サイエンスのメンバーであった母と、そして祖母から強く吹き込まれている)。音楽の万能選手であるジャレットの、これまでの創作活動には、様々な段階(フェーズ)があるが、そのいずれにも、背景となる精神世界が存在することは、実際感じ取れるところと言えよう。とは言え、彼が様々な精神状態になったり、宗教的な考え方に首を突っ込んだり、実際に何かを実践したとしても、彼は無宗派を貫いている。 

 

ブレーメンローザンヌ」をリリースした頃には、ジャレットは自身のことを、自分より高い能力を持つものの代弁者であり、自分自身が一から創造しているわけではない、と言っている。人間である一個人の役割を抑え込むという、宗教的な原則を自分の拠り所にしたい、という気持ちが現れている、また彼は、ピアノ奏者のトーマス・ド・ハルトマンが収録したグルジェフの音楽という、非常に稀な音源を熟知していた。常人にはわかり難いと言われるこれらの作品を、ジャレット自身がしっかりと作り込んで演奏したことによって、多くの人々の耳に届くこととなった。 

 

当時の時流にのり、神秘的で難解な思想に興味を示しつつ、ジャレットにグルジェフを紹介したのは、あのチャールズ・ロイドだったのだ。ジャレットを惹きつけたのは、グルジェフの哲学だけではない。超自然的な発想全般、特に、東洋文化の持つ、人々の知恵や、その信念心情の背景や仕組みといったものに、彼は触発されてゆく。その流れに普通にのって、2年後、サンフランシスコ戦争記念歌劇場でのソロコンサートでのことである。彼は曲間に挟んだ詩の一節は、13世紀のペルシャの詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミー(トルコの伝統舞踊「メフィルヴィー・デルヴィーシュ・ダンス」というイスラム神秘主義によるパフォーマンスの創始者)のものだ。彼のキャリア全体を見渡して、その発言や作品に(殊、グルジェフのレコードは鮮明だが)、超自然的な思想に基づく考え方が込められていることは、多かれ少なかれ感じ取れる。所謂「アメリカンカルテット」の1973年2月の作品「フォート・ヤウー」。曲名のアルファベットをバラして並べ替えれば、元々は、グルジェフの教義「第四の道」だったことがわかる(訳注:Fort Yawuh → Fouth Way)。日々の生活の中で、自己形成をすすめる4番目に通る道という意味である。自分の思考・感情・行動を、発展・調和させるということで、この前には勿論、3つの道を通ることになる。 

 

「祈り:グルジェフの世界」の収録曲について、音楽美学の観点から論じてゆくことは難しい。だがこれも、ある程度ではあるが、いずれの作品も、宗教的儀礼のような、あるいは精神論的な音楽についてよく言われることではある。ジャレットはグルジェフの音楽へは、大変な敬意を払いつつ取り組んでいる。その扱いは「禁欲主義」というべきもので、「謙虚謙遜」というよりは、どちらかというと「外見のキンキラを浄化する」という感じだ。この精神的背景に則り、メロディもハーモニーのコンセプトも、シンプルさが保たれていて、音符の繰り返しは、次々と前の音を追いかけていくようで、その様子は、お祈り用の数珠が、神様のものしかおくことが許されないという、音楽の「聖なる卓」に落ちてゆかぬよう、祈るように感じる(決して失礼な意味ではない、悪しからず)。同様にこの曲のシンプルさが音になっているのが、哀愁を帯びた雰囲気を聞かせるメロディの盛り上がりや力強く響く短調のコードで、運命の審判を下す木鎚のように響き渡る。 

 

こうした東洋思想教義に対しジャレット本人がどう思っているかについてはその記録は殆どないだがその中で公式伝記執筆者のイアン・カーとの対談で彼はグルジェフの伝記を読み作品を研究しそして他の哲学者と比べた結果イスラム神秘主義全般に興味を持つようになった、という発言が残っている。「イスラム神秘主義への興味関心については、何年か研究してみたあとで、僕の中ではもう落ちてしまった。僕は自分の作品に思いや考えを込めるのに、何かしら思想家の書いたもので刺激を受けないとできない、なんてことはないからね。」興味関心が落ちてしまった、というこのコメント。背景にあるのは、流行りに乗ってくる「にわか宗教論者」が、グルジェフの作品をよく引き合いに出してくることに反応している。彼はそういう連中とはずっと距離を置いてきたのだ。 

 

音楽活動の面から見ればジャレットがグルジェフから学んだことは、「無駄の無さの実践」であることは明らかだ。「祈り」の収録後間もなく、彼はソロコンサートのツアーを再開する。アメリカ、日本、そしてヨーロッパをまわり、オーストリアブレゲンツと、ミュンヘン・ヘアクレスザールでの収録は、彼の代表作の一つとなった。このツアー中を耳にしたファンの中には、ジャレットが「祈り」の制作を通して、恍惚状態とも言うべき力を、彼は得た、と結論づける者もいることだろう。いずれにせよ、ブレゲンツとミュンヘンでの公演については、これをひとまとめにすると、たしかにデルヴィーニュダンスの音楽のようになる。時折、楽曲の素材に手を入れすぎて、ピアノがうめき声や唸り声をあげたり、ジャレット自身の気の済むような形にしてしまったり、挙句の果てには、曲自体が彼に対して「まだここに手を付けていないぞ」と言ってくるのでは?と思うほどであった。ピアノの胴体は木で作るのだが、これが本来の役割を超え、て打楽器のように使用され、更にはこれに彼の声が加わって、奇妙な対位法を描いている。当然彼自身も、何やら自らを圧倒するものを感じたという。「しっかりと、本来の意味でのインプロヴァイゼーションをしようというなら、自分が恍惚状態になることに、手慣れていないといけない。でないと、音楽から自分が離れてしまう。恍惚状態というのは、五線紙にペンを走らせる場合は、いつだって、ただ待っていればやって来る。書いているその日は来ないかも知れない。でもインプロヴァイゼーションをするとき、例えば今夜8時にそれが行われるなら、自分でその状態を作り出せるくらい手慣れていないといけない。 

 

ブレゲンツでのコンサートは、民謡風のモチーフからスタートした。これを聴くと聴衆は「今夜は終わる時間を決めて、恍惚状態になろうというのだな」とわかる。まず、「主題と変奏」の手法で、モチーフを発展させる。だがその後、彼は方向を変え、男女が悦に浸るラウンドダンスのリズムパターン(彼の「宗教儀礼」のようなパフォーマンスにはよくある)へとのめり込む。この間、ずっとうめき声が聞こえるが、遠下区芸術にかかるセオリーなど全部否定して、無いものを創り出す行為なら何でも(ウソを創り出す行為はのぞく)許されるんだ、と宣言しているようである。ジャレットが口にしてはばからなかったことがある。それは、自分は常に力技で、例えば「黒いダイヤ」の鉱夫がツルハシでガツガツ「掘り出す」ように、ピアノという「黒い台」からガツガツ音を「放り出す」という。とはいえ、途中頻繁に、ゆっくり目を閉じれるような休憩地のような場所や、極端に遅いテンポが入ってきたりする。ここで彼は10本の指、全身に活力を送り続ける心臓、それを司令する脳を休める。それが済めば、今度はちょっとしたインターバルやメロディの断片が提示されて、休憩は終わり、次のデルヴィーシュダンスが展開されてゆく。ここに、巨大なピアノの音の塊が現れる。ムソルグスキーの「展覧会の絵」の、卵の殻をかぶったひな鳥が鍵盤の上を駆け回り、プロコフィエフの「鋼鉄のあゆみ」さながらの金属的な音が響き渡り、整然とした雰囲気などカケラもないマーチが、祈るようなうめき声だの装飾音符だの足踏みのような音だのから生まれ、やがてそれは、あたかもピアノと格闘しているようなサウンドになり、ついには彼の10本の指が(折れることなく)安らぎにいたり、ヨハン・セバスティアン・バッハばりのポリフォニックなフレーズが登場する。嵐のような拍手、そしてやまないアンコール、ジャレットはというと、巨大な様態の束縛から開放され、自らのささやかな恍惚状態を喜び、いわゆる「お土産」用の曲を、聴衆へ贈る。 

 

ブレゲンツ」アルバムの3つ目は、モチベーション高く、気持ちもノッているジャレットが、素材と成るメロディやリズム、ハーモニーを自在に操り、堂々たる音楽表現を聞かせている。これに対して、ミュンヘン・ヘアクレスザールでの2つの部分の収録の方は、例えて言うなら、安全ネットも何もなしで綱渡りをして落ちてしまうのではないかという、危険性をあらわにしている演奏だ。と同時に、この録音は、「これぞキース・ジャレット」という演奏をあらわにしている。この公演でキース・ジャレットが見せた顔は、まずはハングリーな求道者、次に楽器の可能性の探求者、そしてポップアーティストとしてのジャズ・ミュージシャンが手塩にかけた音楽を低きに置こうと企み、最後には狂人となって、ピアノを撥弦打楽器へと変貌させてしまう。 

 

 

キース・ジャレットのソロのコンサート言えば、大抵の場合、演奏が始まって最初のうちは、どこへ向かってゆくのかが見えてこない。時にはこんな始まり方をすることもある:出だしは感動的なほどシンプルな8小節のフォークソングもどきのフレーズで、最後がフリージャズの混沌で終わる。だがここでは、誰かのためのオマージュのようなものもなければ、バロック音楽に特有のポリフォニーもなく、オープンオスティナートも聞こえてこない。ロックを演奏させたときの、ジャズ・ミュージシャンの優秀さを証明しているかのようである。それがコンサートの冒頭から聞こえたなら、無調性音楽の不協和音に辟易している方々には、ガッカリすることは決して無いだろう。ときには肩透かしもあるが、少なくともこれまでの実績と、音楽にかける真剣さを鑑み、ミュンヘン・ヘアクレスザールでの収録のリリースは、賢明であった。「フリージャズ」のもつ明暗両側面は、全体を通してもハッキリとは顔を出さない。そして一度限りのコンサートで、ジャレットの音楽性がこれほどしっかりと示されるものは、他を見ても見当たらない。 

 

冒頭、後期ロマン派の音が聞こえてくるのは、高度な形式に基づく相互作用の基礎を築く骨組みを提示するため、そんな風に思える。だがすぐさま様子が変わり、ジャレットが道を踏み外し、ハーモニーもリズムも、全く誰も踏み入ったことのない世界へと迷い込み、イライラをつのらせつつ出口を探しているが、見つからないといった風情。何度も繰り返して策を講じハーモニーの表現をするものの、いずれも曖昧に終わり、結局同じところをグルグル回っているようにしか見えない。なんとかハマってしまった型を壊すべく、個々の音のつながりを断ち切って、単純で短いフレーズにするのだが、結局は童謡みたいになってしまっている。下手をすれば、1970年代にあったローザンヌでの公演みたいになっていただろう。あの時ジャレットは、ピアノの席を立つと、舞台前方のかぶりつきまで歩いて行き、客席に向かって、自分は演奏を途中でやめるから、残りを弾いて終わらせてくれる人は誰かいないか、と真顔で登壇を促したという。 

 

このレコードの第1部2番めのセクションでは、風景が変わる。といっても、メロディやリズムやハーモニーの本質に大きな違いが発生するわけではない。ジャレットの探究心の矛先は、とある力を秘めたハーモニーに向けられる。聴衆は、正真正銘の宗教的儀礼が始まる予感を覚える。彼の狙いは、単なる曖昧さのせいで自滅することでもなければ、音楽的にくだらないものに甘んじことでもない。そして、夢か現か、ジャレットはどんなメロディの変奏も無条件に意のままにしてしまうという、主軸となる音を見つけてしまうのである。このに音は何度も手を加えられ、展開部はその翼を目一杯広げ、眼を見張るような装飾が付け加えれられてゆく。同時に、ジャレットの、自分の思いを自由に解き放つあまり発しているうめき声と足踏みが、そのテンションを高めてゆく。今や主軸の音は、振り子のように、左手の低音部から、右手が奏でて展開中である東洋風の装飾音形との間を行き来する。振り子のような運動は、ギリシャ伝統舞踊「シリタキ」のリズムへと変貌し、恍惚状態へと熱を帯びテンションが高まり、より瞑想的な段階を経て、もつれた絡まる対位法的表現が、ドタバタ・グルグル狂ったように迷走する。両手の「ドタバタ・グルグル」は荒々しさと凶暴さを増し、うめき声と足踏みもさらに強くなる。こうなると誰が見ても、ジャレットはピアノを弾いているのではなく、ピアノと格闘している状態になっている。かくして、この「名演」は、嵐のような拍手喝采とともに終わるのである。 

 

休憩後ジャレットは再び狂喜の歓声に迎えられる。そして、彼が奏でる演奏には、音の格闘は全て消え去ってしまっている。心地よく揺れるカリブのリズムが、まるで南の島全体をお陽様色に染め上げるように、ひたすら楽しい雰囲気がほとばしり、ジャレットは幸せいっぱいの民族色豊かなメロディで、軽快かつ美しい響きを醸し出すべく、ノリノリの演奏を聞かせる。すると一転、新たな展開を告げるような暗雲が立ち込める。ジャレットは椅子から立ち上がると、ピアノの弦を直接指で爪弾き、プリペアードピアノよろしく音にミュートをかける。ガラガラ、ゴロゴロ、ケタケタ、ピチュピチュと音が鳴り始め、時々、ジャレットの声帯から聞こえてくる、「あぁ」だの、「おぉ」だのといった、空気音が重なってくる。この恍惚状態を、客席にいる聴衆は、まるで両手に「触感」として感じ取ることができている。ピアノが打楽器に変身したことが、それほど鮮やかに、それほどしっかりと伝わっているということである。すべてを出し切った末に、演奏は拍手に包まれてゆく。 

 

 

これほど高いボルテージのあとで、その日のコンサートがどんな始まり方だったか、覚えていられる人はいないだろう。コンサート開始に際し、ジャレットは自分の持ちネタをいかに駆使するか、その組み合わせによって間違いなく出せる「化学反応」は何か、まるで研修室の科学者のように、入念にセットアップを試みる。その理由を理解できない人はいないだろう。ミュンヘン・ヘアクレスザールでの公演は、文字通り、人間が引き起こした自然現象であり、その人間の持てる音楽のネタを、すべて放出しきったのである。放出しきったのなら、次は何も無いのでは?と当日コンサートを目の当たりにした聴衆は思ったかも知れない。今も増殖中の、ジャレットファンの岩盤層は、「次も何かやってくれる」と確信していた。