Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp110-114

ジャレットがこの楽器を選んだのは、その特別な音色がお目当てだった。彼はモルデントやターンといった古楽の奏法に精通し、ジョン・ダウランドのような作曲家の和声の使い方をしっかり理解し、あるいはポリフォニーの曲作りの中での装飾音符の奏法に対しても造詣が深かった。聴き手は、この楽器から紡ぎ出されるバロック奏法の繊細さや巧妙さを耳にしつつ、現代音楽の和声や奏法も実際に音で聴けるのに、姿形は大昔のままのボディのままなのだ。現代のシンセサイザーでも真似できない優れものだ。曲目によっては複数のクラヴィコード(2台用意され、時に同時に演奏された)が「プリペアド(用意)され」た。その異質ともいえるサウンドは、マウリシオ・カーゲルやジョン・ケージといったアヴァンギャルドの急先鋒の作曲家達でさえ、色々混ざった音やひねりの加わった音程がどこから出てくるのか当てられないのではないか、と思われるほどだった。アリン・シプトンは著書「一握の鍵盤(題意:ほんの数名のジャズピアノ奏者達)」の中で、キース・ジャレットクラヴィコードについての見解を次のように記している「この楽器の魅力は、鍵盤を押して弦にかける圧力の加減によって、音程がしょっちゅう変化することである。」このアルバムの収録曲の中には、ルネサンス時代の舞曲を彷彿とさせる作品がある。人々がウィグをつけたり髪を束ねたりして、それが踊るたびに躍動する、中世のダンスだ。16・17世紀の音楽に対する深い知識が求められるばかりでなく、大昔のことをよく理解した上でのアヴァンギャルド文化のもつ底力を、いつでも使いこなす必要があり、忌々しいほどに挑戦的な作品である。だが、最大の魅力は、これほどの楽曲を生み出したのが、たった一人のミュージシャンであることだ。名俳優のごとく、どんな役もこなし、常に新鮮な音楽的特徴を楽しませてくれる力を、まざまざと見せつけてくれる。 

 

「ブック・オブ・ウェイズ」は、ジャレットにとって、とことん実験的なソロ録音に取り組んだ最後の作品である。1986年以降に続いたソロアルバムは、全てライブパフォーマンスである。例外は「メロディ・アット・ザ・ナイト・ウィズ・ユー」で、彼がスランプから脱出しようとしていた時期に、自宅のスタジオで制作されたものである。同時にこれら後期の録音の数々は25年以上もの間に行われており、聴き方・楽しみ方の物差しは、一本ではとても足りない。「ダーク・インターヴァル」が録音されたのは1987年、東京のサントリーホールでのソロリサイタルのライブ音源である。後のパリやロンドン、リオでのインプロヴァイゼーションの音源よりも、「スピリッツ」や「賛歌」(音の実験という点で)と通じるものが多い。特筆すべきは「オープニング」。ロマン派の作曲家がよく使う倍音の夢見心地なサウンドに、ジャレットは揺蕩い、ペダルで長く響かせた音の流れの中で、漂い、肩を寄せ合おうよ、そんな風にいざなうようである。だが、光が乱反射するような音の絵巻の中にあっても、彼が力強く、短めに音を切ってアクセントを効かせるパッセージは、幾度も明るく響きつつ、緊張感を保ちながら潔く消え去ってゆく。その様は、まさに一幅の水彩画である。こういったサウンドの織り成しをジャレットの耳がこよなく愛したことは、容易に伝わってくる。これは更に発展し、一つの音から和音になり、そこへ更に分散和音や直線的なパッセージが加わってくる。ペダルで音を響かせつつ、やがてこれらの音の線は、一つに編まれて膨らみ、そして曇り始め、様々な音色の織り成しは、つやなしの黒色へと姿を変えてゆく。その様は、波が段々とうねりを大きくしつつ、聴き手に向かってくるかのようである 

 

ところでこのコンサートは確かにその自由度」は影をひそめている。彼の初期の頃の、何の束縛も感じさせず、明確な音楽的コンセプトなど何もなにし演奏された音源と比べても、それは明らかであろう。ここが注目がより集まるところである。突発的なインスピレーションだの、予想外に次々浮かぶアイデアだの、それらが更に予想外に発展・展開してゆくだの、そういうもの駆使されているが、それだけが全てを物語るわけではない。「ダーク・インターヴァル」のいずれの収録曲も、特定の音に対する考え方や、音楽形式による作り方が見受けられる。「賛歌」 ではかなり低い低音域と、かなり高い低音域を駆使し、あちこちの教会から鐘の音が聞こえてくるようである。「アメリカーナ」は、アメリカの人々によって歌い継がれる、たくましさと強靭な生命力を持つ彼らの愛唱歌を彷彿とさせる。「パラレルズ」を聴くと思わず想像してしまうのが、ジャレットが躍起になってプロコフィエフから、彼の持つ新古典主義的な要素を削ぎ落としてなお、この鉄工所のような作曲家・プロコフィエフの才能の凄さをアピールしている様子である。「リチュアル・プレイヤー(題意:祭礼の祈り)」の、複数の和声が響きわたる様は、人々の祈りさながらである。一つのコードが響くと、次に続くコードが「アーメン」となって、それが「~でありますように」と締めくくるようである。「ファイア・ダンス」だけが、左手で複雑なリズムを聞かせるキース・ジャレットの真骨頂。ゴスペルの曲調を前面に出し、燃え上がるような様は「我ここにあり、他に道なし」と言わんばかりである。 

 

彼はソロ演奏家として精力的に1980年から84年にかけて活動を展開した。その力の入れようは、1973年から78年にかけての頃に匹敵する。そのお陰で、1980年代の終わりまでには財政上の困難を乗り越えるとができた。更には、1985年から、彼にとっては2つ目のトリオでの活動が始まった。後にこれは、彼にとって最長期間の取り組みとなる。ゲイリー・ピーコックジャック・ディジョネットとのトリオは、全てにおいて、ジャレット自身のソロ活動やクラシック音楽への取り組みにとっても、良きバランスをとる要素となった。このトリオでは、純粋にトラディショナルなジャズに打ち込み、次々と思いもよらぬ方法でそれを音にして聞かせた。ジャレットはジャズについてクリエイティブな心と 、自らと志を同じくするミュージシャンが欲しかったとされており、このトリオもそういった背景から結成されたと考えられる。永久に活動を維持するわけでもなく、また公演やツアーのないときのみ集まるということから、このバンドに束縛される理由もまったくなかった。メンバー3人共、自分の音楽活動を維持した上での取り組みだったこともあり、2014年までという長期間に亘るものとなった。 

 

 

ジャレットは依然としてソロ活動をメインとして、その名を馳せていた。彼の評判の土台はソロ活動にあり、冒険心・非日常というオーラを放つものである。当然、ソロ活動が縮小しても、こういったコンサートへの興味関心が完全に失せることは無い。1985年から1988年にかけてはジャレットはソロコンサートをほとんど開催しなかったものの、常に満員御礼を期待できるほどであった。後に、彼のソロ活動は殆ど行われなくなってしまい、ファンの中には「キリストの復活」宜しく期待する者もいた。1992年、それまで公演活動を控えていたドイツで、コンサートを開催した。その15年後の2007年3月、フランクフルトの旧オペラ座は、同年10月21日のリサイタルのPRを開始する。2400枚用意された大ホールのチケットは、発売3日で完売した。当日の客席には、チラと見ただけでも錚々たる顔ぶれがあった。その中の一人が、著名なドイツ文学評論家のマルセル・ライヒ=ライニツキである。ジャズの演奏会など足を運んだことのなかった彼だが、キース・ジャレットの人気ぶりが気になって仕方なくなり、齢87歳にして一念発起し、その人気ぶりとやらをコッソリ確かめに来たのだ。 

 

 

 

 

1988年以降ひとしきりの実験的というか少なくとも「ありきたり」とは言わない収録を終えた後、ジャレットは普通よりのピアノ奏者としての活動路線に戻り、2020年までの間に「パリ・コンサート」や12のコンサートアルバムをリリースした。だがいつもの通り、この内の2作品である「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」(1996年)と「ラ・フェニーチェ」(2006年)は、収録後何年も経ってからのリリースとなった。 

 

デヴィッド・アイクは、その知的なタッチの随筆「神秘のピアノ奏者」(2002年出版「ジャズカルチャーズ」より)で、キース・ジャレットの演奏スタイルを構築するものとして挙げたのが、ロマン派ばりの感情表現、普通の全音階、愛唱歌の風情を持つパッセージ、自由度の高い対位法、クッキリとした無調性、特殊技法(ピアノの弦を弾いたり共鳴箱を叩いたりするなど)、そして長めのオスティナートである。アイクは更に続けて、これらは実はキース・ジャレットの音楽の本質ではない、という。本質は、これらを併せた上で、全く新しい音楽を生み出すことにある、というのだ。これがよく分かるのが、「パリ・コンサート」や「ブダペスト・コンサート」といった2020年リリースのソロアルバムの数々である。だがこれだけでは、彼の音楽と、それが醸し出す魅力について語り尽くすことは不可能である。更に3つ。ジャレットの演奏にかける集中力、誰もが知っている創作活動に際しての大胆さ、そして最後に、 創作の過程をジャレットの傍らで見届けて、同時に出来上がったものに熱狂できるという聴く側の醍醐味、である。ジャレットのコンサートは、物作りの作業場であり、子供が生まれる分娩室であり、あるいは、「音楽版」開胸手術の実況中継であったりする。その作業中、道具の使用がままならなかったり、道具の取替が必要だったりと、そういうのを見届けることができるのが、聴衆にとって印象深いというわけだ。だが何よりも、彼の演奏を聴いて、見て、そこに居合わせる魅力は、そこから「優れた成果」が次々と旅立ってゆくことである。 

 

 

 

 

その好例が「パリ・コンサート」である。核となる部分の演奏時間が40分。開催日「1988年10月17日」の記載はタイトルとしての機能のみ。出だしは注意深く奏でられる、ボンヤリとしたフレーズの数々、それがバッハの「インヴェンション」を彷彿とさせる対位法の絡み合いと、バロック音楽特有の装飾音符の数々が加わり、やがて熱のこもった曲の形へと変化してゆく。虚ろ気味な低音の音形が、耳につくようになり、後に1回、2回、3回と姿を表したかと思えば、リズムパターンが出来上がり、それが繰り返され、曲全体に統一感を生む。これぞジャレットの、船で言えば錨、建物で言えば土台、もっと大袈裟な言い方をすれば、「運命に関わるモチーフ」である。「ダ、ダ、ダ、ダァー」といえば、ベートーヴェン交響曲第5番を連想させる。だが最後の「ダァー」で、和声の第3音に行かず、最初の音にとどまったままである。 前後の流れを考えなければ、このモチーフはシンプルなもので、ジャレットにしてみれば、思いついた音形を自由に何でもそこに作り上げることができるし、ジャズの名人技を要するフレーズにするもよし、自由な形式のバラードもよし、愛唱歌にありがちな和声をつけても、やりすぎ感のあるほどにトリルをつけても、ショボいメロディになってしまっても、何度も転調をしようとも、構わない、ということだ。 

 

【113ページ脚注】 

フランクフルト新聞では、後にも先にもただ一度だけ、ジャズミュージシャンが一面の写真に掲載されたのが、2007年10月23日。フランクフルトの旧オペラ座で開催された、ドイツでの15年ぶりの一度きりのソロコンサートの2日後である(撮影:アンナ・ミューアー、写真提供:フランクフルト新聞有限責任会社) 

 

 

だが主音が繰り返されているからと言って、単に2つの同じ音の高低差から成り立っているわけではない。大昔の礼拝における、詩篇詠唱法やそれに対する返答としての応唱といったものと全く同じで、礼拝では、きちんと行わねばならないとされる表現方法である。それは1460年出版のブクスハイムオルガン曲集にも「叙唱法」や「返唱法」という章立ての中にも見ることができる。バロック音楽の技法では、主音とは、「死」あるいは「敬虔な気持ちを心に抱いた沈黙」を象徴する演奏効果がある、とされている。勿論、ジャレットの自由なインプロヴァイゼーションでは、敬虔な気持ちからくる服従の気持ちを示すという、昔ながらのやり方と照らし合わせると、主音を繰り返しすぎることがあるという危険性をはらんでいる。だがそのインプロヴァイゼーションにしても、半分くらいは意識的に行ったとしても、あるいは全く無意識に行ったとしても、ジャレットの場合、礼拝のための音楽については、しっかり学習し、感性も鋭敏で、よく慣れ親しんでいることもあり、その仕組を完璧に自覚できているのだ。 

 

それから3年後の1991年7月、ジャレットはウィーン国立歌劇場にてコンサートを開催、この模様は「ウィーン・コンサート」としてリリースされた。40分間の「パート1」の出だしは、シンプルでありふれたリズムが、ふらつき変化して、左手が「パリ・コンサート」を彷彿とさせるような繰り返しの音型を弾き始める。偶然の一致でしかないのだが、それでもジャレットは前回と同じ演奏をするまいと、心を強く持つ。突如彼は基本のテンポを変化させ、怒り狂ったように両手を使い鍵盤の端から端を使って弾き出す。その様はまるで、新しいサウンドを響かせる中、以前の収録で1回でも弾いたものは、根こそぎ排除しようという気持ちが伝わる。コンサートの一番終わりでは、どちらかというとバラードっぽい部分なのだが、先に繰り返された音形が再び聞こえてくる。ところが今回は、モールス信号のように、無意識という何もないところから、後世の人々に対し、人生の最後に昔を懐かしみつつ送るメッセージのような、フレーズの形になっている。 

 

デヴィッド・アイクによると、キース・ジャレットがソロインプロヴァイゼーションで形作る音の連続には、彼の演奏上のスタイルを示すものが繰り返し聞こえたり、彼自身の創造性あふれるアイデアとピアノの演奏技法がしっかりと一体化したものが、耳に飛び込んでたりするという。勿論当たり前だが、ジャレットはキャリアを重ねる過程で、音楽的にもピアノの技術的にも、これまで進化をし続けている。例えば、肩に力が入らんばかりに強い決意で制作に臨んだ初期の収録作品と比べると、後年の、1980年代および90年代の音源が聴き手に与える印象は、作品の構造が、明確に示されていることだ。所々、とてつもなく巨大な音の積み重なったものが吐き出されるものの、リズムの複雑さ、暴力的とも言える発音の仕方、鍵盤を縦横無尽に駆け巡る両手、こうした高度な名人芸は、「ラ・スカラ」(1995年)のパート2にも見られるものだ。まるでジャレットが、インプロヴァイズをかけながら、その場で楽曲を仕上げているようではないか。初期の録音をよく聴いてみると、ジャレットが自分のイメージするものを再現するのに手の技術が追いつかず、突然空中分解してしまったり、さんざん音を積み重ねた山をいくつも作ったはいいけれど、どうやっても相互に結びつかない、といったことが起きていることに気づく。後年の作品を色々聴いてみると、音符の動きはかなり難易度の高い技術を要するものげあるにもかかわらず、ジャレットが強い気持ちを持って、演奏内容がバラバラにならないよう心がけているのを感じ取れる。それは、彼が曲の構造というものを大事にしている現れである。