about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.136-139

こういったメロディの数々が、創意工夫に富んでいることは、キース・ジャレットがスタンダードナンバーに頼る傾向にある上で重要な要素なのだ。もっと言えば、彼が自分のインプロヴァイゼーションをする上で使いもになる素材を引っ張ってくるという論理は、多くのジャズミュージシャン達のそれと一致する。つまり、素材そのものというより、その使いこなし方のほうが重要なのだ。ジャレットが演奏したジャズの定番曲は、創意工夫の新しさといい、驚異的なアレンジの仕方といい、曲に込められた情感の表現といい、通常期待されるレベルを遥かに超えていた。その理由はなにか。おそらくその一つは、ジャレットが、多くの他のジャズミュージシャン達と違って、常に歌詞に興味を示し、インプロヴァイゼーションに際しても、歌詞の内容にも踏み込んでいたことにある。実際相当力を入れたので、時に相当やりすぎ感も禁じ得ないほどである。キース・ジャレットは、しょうもないお涙頂戴物の楽曲を、数多く上物に仕上げてしまっている。それらは、彼の手にかからなければ、きっと丁重に葬られ、忘れ去られてていたことだろう。 

 

この「上物に仕上げる」力は、ジャズの定番曲を演奏する者に対し、おそらく与えうる最高の賛辞であろう。同じことが言えるミュージシャンとしては、まずはチェット・ベイカー。彼が「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」をマイクに囁やけば、底なしに深みのある哀愁を漂わせる。あるいはベッシー・スミスの卓越した情感あふれる演奏の「アフター・ユーヴ・ゴーン」は、ジャズ黎明期の世代の連中がいつも哀愁を呼び起こす思い出の中に忍ばせていたものだ。キース・ジャレットは、自身が、手頃な定番曲の数々に親近感を覚える特異な理由を説明したことがある。しかしだからといって、自分のオリジナル作品も創り続けたし、フリーインプロヴァイゼーションも、あるいは従来の作品を元に卓越した演奏の腕前も披露し続けた。「最近誰も彼もがオリジナル曲を書きたがる。酷い音楽が数多く散らかっているのは、そのためだろう。」 

 

なぜジャズミュージシャン達が、頻繁にジャズの定番曲を拾ってこようとして「グレート・アメリカン・ソングブック」を紐解くのか、それを説明するもう一つの理屈を見てみよう。おそらく多くのジャズミュージシャン達が、人には内緒で、パッと聞いて楽しめるような、そして広く愛されているようなネタへの愛着を育んできているのである。どちらかと言えば洗練された音楽を演奏したのでは、普通は手に入らない成功体験、ある種誰もが知っていることだが、人知れずこちらにご執心なのだ。だがこのネタの置き場所は、おそらくベタで古臭いものといえる。こういうのを好むジャズミュージシャンというのは、多くの場合、自分で自分に課した「永久にわき続けるアイデア」だの「音楽的にビシッと決める」だのに墓穴を掘る羽目になり、そこから抜け出たくて、すがるのだ。 

 

あらゆるものを超越した存在として、「グレート・アメリカン・ソングブック」とは、そこそこ名のあるジャズミュージシャンならば必ず学ぶべき、一つの指標なのである。ジャズのネタがたくさん詰まった、宝物庫のようなものだ。「オール・オブ・ミー」や「4月の思い出」といった定番曲の変化についていけないようでは、他のミュージシャン達と一緒に演奏するチャンスは、最小限になってしまう。ドラム奏者のウーヴェ・シュミットが「ソングブック」でしっかりと決めたスタンダード・ナンバーの数々は、遺伝子情報、いわば「ジャズのDNA」と言うべきものだ。アメリカ人全体として無意識に身についたものの一部に過ぎないと考えられるのが「ジャズのスタンダードナンバー」。対する「ソングブック」の方は、不可侵でも何でもない、今尚進化を続けるものだ。加筆自由、それも新しいものばかりでなく、ジャズのスタンダード全般にとって新たに光を当てるべき(古い)ネタでさえ、書き加えて構わない代物だ。全てのジャズミュージシャン全員と変わらず、キース・ジャレットはこういったジャズの定番曲を繰り返し演奏してきている。そして同時に、自身の作品をレパートリーとしてしっかりと書き加えているのである。 

 

1996年、ハービー・ハンコックがリリースしたアルバムのタイトルが「ニュー・スタンダーズ」。とりわけその中で推したのが、ジャズ風のポップスを手掛ける若手世代の楽曲の数々である。これに異を唱えたのが、音楽の歴史をよく踏まえているジャレットだ。「ハービー・ハンコックはこのアルバムで完全な間違いを犯している。「スタンダート」という言葉は、歌い手も作り手も、優秀なのが集まっている時代の楽曲を意味するのだ。今の時代は、過去のどの時点と比べても、見劣りしてしまう。」ジャレットにしてみれば、スタンダードにふさわしいのは20世紀前半、各レーベルと出版元がニューヨーク28丁目(通称「ティン・パン・アレー」)、後に49丁目のブリルビルディングにひしめいていた頃だけ。各社が抱える作曲家達は、ショー、ミュージカル、そして映画のためにと、ポップ歌謡を生み出していた。ジョージ・ガーシュウィンアーヴィング・バーリンなども、その中にあった。ティン・パン・アレー全盛期は、その楽譜や自社出版物とともに、徐々に衰退してゆく。代わりに台頭してきたのが、1950年代のロックンロールだ。音楽の制作出版の有り様は変化を遂げ、市場の動向を反映し、これを牛耳っていたのは、若いファン層をターゲットとした若手のアーティスト達であった。彼らのような、大人でも年齢の若い層は、劇場でショーを見ることもしなければ、楽譜を買い漁ったりもしない。ライブで推しのアーティストを聴いたり、そのレコードを買い漁ったりしたのだ。 

 

ジャレットとは違い、ハービー・ハンコックは「スタンダート」という言葉を、「時代に関係なくヒットし名作と称された楽曲」、という意味で使用した。そしてこういった楽曲は、かつての「ティン・パン・アレー」の各社が生み出した作品と比べても、引けを取らないくらい、時流に左右されない出来栄えであることが、しばしば証明されている。ザ・ビートルズボブ・ディランジョニ・ミッチェルといった世代の音楽は、1920年代や30年代の作り手達という、「グレート・アメリカン・ソングブック」にその名を連ねる面々が手掛けた作品群よりも、クオリティのレベルが低いのかどうか、それは時が経ってみないとわからない。なぜなら音楽の世界での「当たり外れ」に、保証期間など存在しないからだ。 

 

キース・ジャレットといえば、普段は、音楽のセオリーごとの棲み分けを、厳格に守っている。だがいざ曲作りに取り掛かると、そんな頭の固い差別の仕方を持ち出すようなことはしない。実際彼は、トリオ結成当初から、素材の源を3箇所用意していた。1つ目、「グレート・アメリカン・ソングブック」にあるジャズの定番曲。2つ目、他のジャズの作曲家による音楽の内、ある時点で「定番曲」となっているもの。3つ目、ジャレット自身の作品を再度練り直したもの。自身の作品の中でも、お気に入りのものを選んだその訳は2つ。1つは、それが「ジャズ・スタンダード」の名に値すると信じたこと。もう1つは、そのクオリティが、母国アメリカで、これからも受け継がれてゆくにふさわしいレベルであると感じたこと。 

 

ジャレット、ピーコック、そしてディジョネットによる、所謂「スタンダーズトリオ」は、1983年に収録した最初の3枚のレコードから、早速その多芸多才ぶりを発揮している。ピーコックとディジョネットが自分本来の役割にとどまらず、ハーモニーに厚みを付けたりリズムの下支えをしている。この2人もピアノがしっかりと弾けるから、というのがその理由の一つだ。ピアノ奏者が3人で演奏している、と評する人さえいるくらいである。「我々が集まって演奏するたびに、ピアノのレッスンを受けているようなものだ」ジャック・ディジョネットが1980年代の終りにかけてそう言っていたのも、うなずける。そのレッスンの成果が、例えば彼のシンバルとスネアドラムの音を聴いていると、これは白鍵ぽく、これは黒鍵ぽくと叩き分けているようだし、あるいは太鼓の音を聞いていると、これは♯、これは♭、と鳴らし分けているようである。同時に、ジャレットの演奏も、まるでサックスのマウスピースを吹き鳴らしているようで、喘ぐようなレガートや特徴的に「汚し」を施したブルーノート、叙情的なメロディは、マ・レイニーからディー・ディー・ブリッジウォーターにいたる、草の根で活躍した偉大な女性歌手達を彷彿とさせる。 

 

3人がジャズ・スタンダードのアルバム第1曲目に選んだのが、ボビー・トゥループの「ミーニング・オブ・ザ・ブルース」。マイルス・デイヴィスが自身のアルバム「マイルス・アヘッド」で採り上げたことで、ジャズの定番曲となった作品だ。その理由はおわかりいただけるだろう。名刺代わりのこの曲は、このトリオの終わりなき歴史の幕が上がる合図であり、それだけでなく、その記録書が誕生し、後に「音楽のすべてが記される」と言うに値する体裁となってゆくことを示唆するに、誠にふさわしいのだ。「ミーニング・オブ・ザ・ブルース」の冒頭で聞かれるフリーイントロダクション。ロマン派の手法によるシューマン風のピアノ曲の作り方に組み合わせてあるのは、伝統的なジャズのイントロの持ってゆき方で、曲のその後の展開を示唆している。1つのモチーフや主題を展開させる曲作りであり、曲の進行とともにピアノとベースの対位法的な「会話」へと入ってゆく。ところが、Vol.1の2曲目になる頃には、もう音楽は、おなじみの路線から逸れ始める。ジェローム・カーンの「君は我が全て」といえば、収録曲の中では最も良く知られた楽曲の一つだ。複雑「だから」か、それもと複雑「なのに」か、いずれにせよ「複雑な」異名同音的転換だの、ウットリするような調性だのをベースとして、ジャレットならではのメロディラインが、初っ端1小節目から耳に飛び込んでくる。右手のモチーフが、左手のシンコペーションがもつ異常なまでのテンポを引きずる効果によって、邪魔される。それはまるで、そうすることでわざと聴きにくくしているのか、それとも、シンプルな旋律と複雑なハーモニー変化の、コントラストを引き立たせているのか、どちらかであろう。その結果、「キュビズム的音楽」となっている。ピカソの絵に象徴される手法で、真横から見た顔に左右の目を描いてしまう(一つの視点に、その視点では見えないものも盛り込む)やり方だ。 

 

ジャレットは、こうした様々な「ずらし」を演奏で駆使することによって、聴き手にとって魅力的かつ耳新しい音楽を紡ぎ出す。同時に逆に、彼独特のインプロヴァイゼーションのやり方を用いて、伝統的なジャズの魅力を数多く引き出してみせるのだ。これはジャック・ディジョネットゲイリー・ピーコックについても本質的には言えることだ。3人共、実際には鳴っていない「拍の頭の鼓動」を感じているので、それがなくても気分良くノリノリで演奏できるのだ。「ザ・マスカレード・イズ・オーヴァー」では、ピアノ、ベース、そしてドラムスの、個々のリズムや音色の独自性を保ちつつ、全体のサウンドは一つにまとまっていて、それは油圧器の中の液体のように、完全な均質状態を維持している。ある種サウンドに重みがあり、それが各メンバーが次々と仕掛けるもの同士に前後のつながりを与え、同時に、豊かな変化の中にも統一感を出している。こういったスタンダードナンバーというのは、特定の演奏者との結びつきが強く、多くの歌手や楽器演奏家達に言わせれば、「神聖にして不可侵」なのだが、ジャレット、ピーコック、そしてディジョネットの組み合わせは、自らの誇りと「特定の演奏者」への敬意をしっかりと持って、おなじみの風景を新たな方法で描くことができるのだ。その好例が、このトリオによる演奏で、ビリー・ホリデイの「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」である。インスツルメント(ボーカル無しの器楽演奏)によるこの曲の演奏で、これほどこの歌い手のゴスペルのような抑揚のついた表現に迫る、心を打つ賛美歌は、滅多に聴けるものではない。キース・ジャレットがソロ演奏でよく使うオスティナートのテクニックを改めて持ち出して、この昔ながらの曲に当てはめ、ブルースのカデンス全体を縮小し、一つの和声を繰り返し熱を込めて演奏する。これを支えるのは「ドラムメジャー」のディジョネットと、そのホッとするようなドラムのロールである。これにより、原曲からは本質的に抜け落ちてしまった、人の声が持つ熱い思いを、楽器のサウンドでしっかりと補うのである。 

 

同時に収録されたVol. 2も、多少の差はあるが同じ様に構成されているが、1曲目には、キース・ジャレットのオリジナル曲「ソー・テンダー」を配している。彼が作ったものだと知らないと、この曲が何なのかが解りにくいかもしれない。実際ジャレットは、誰にとっても親しみやすい響きのする、ジャズの定番曲の模範のようなものを作ってみせた。こういう曲を彼が難なく仕上げてみせる力の持ち主であることを、よく示している。これに「チェインジズ」(ジャレットの「自由な演奏」のスタイルによる長めのインプロヴァイゼーションによる曲)を加えたものが、このときのスタジオ収録作品というわけだが、3人のミュージシャン達が、お互いに対して見事に適応し合う力を、まざまざと見せつけている。ともすると型にはまって作られがちなスタンダードナンバーに、それと対象的なものをつぎ込むことによって、新たな、そしてパワーアップした創造性あふれる鼓動を与える。その大切さを示す良い例が、この「チェインジズ」である。 

 

イタリアのサルディニア島でのコンサートの最中のことだった。演奏中、聴衆にはほとんどわからないであろう、ちょっとした「事件」が起きた。だがこれは、お決まりの型にハマって、柔軟性を失う羽目になる危険性に対する、警鐘となった。クルト・ヴァイルの「マイ・シップ」を演奏中のことである。3人共、突如予定外のインプロヴァイゼーションの段階へと入り込んでしまったのだ。まるで飛行機が自動操縦に切り替わってしまったかのようである。ジャレットは後にイアン・カー(彼の正式な伝記作家)に、当時の心境を次のように語っている。「まったく、僕の人生の中の、あの3分かそこらは、生きた心地がしなかった。それで、顔を上げてみたら、一瞬にして2人共(ジャックとゲイリー)おんなじようにポカンとしてるんだ。少し休憩を入れて、舞台裏へ行って、2人に言ってしまったよ『おいおい、これまたやらかして、3分以内にどうにかできなかったら、もうその日は演奏終わりだよ!停電で真っ暗になったみたいに、電源が落ちているのに、席を未だ立てないみたいなもんだ。』とね」。多分こんな事が起きたのは、この時が最初で最後だろう。そうでなければ、30年以上彼らは一緒にステージをこなして来れているわけがない。