Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.139-144(最後)

1985年から1986年にかけてヨーロッパで行われた2つのコンサートの録音「スタンダーズ・ライブ(通称「星影のステラ」)と「スティル・ライブ(通称「枯葉」)も特筆に値する。特に注目すべきは、「スティル・ライブ」。こちらは伝説とも言うべきビル・エヴァンス・トリオ(スコット・ラファロポール・モチアン)と、その最も重要なアルバムであろう「ポートレート・イン・ジャズ」(1959年)への、密かなオマージュなのだ。「スティル・ライブ」には4曲の有名なスタンダードナンバーがある。「枯葉」「降っても晴れても」「恋に落ちる時」そして「いつか王子様が」だ。これらはいずれも「ポートレート・イン・ジャズ」にも収録されている。ここまでが両アルバムの共通点。ここから先、音楽の性格、インプロヴァイゼーションの基本構造、個々のプレーヤーの楽器に対するアプローチ、どれもが相通じるものが見当たらない。仮にの話だが、この録音時にゲイリー・ピーコックがジャズのスタンダード曲に、まだ渋々取り組んでいたとしよう。それでもなお、このアルバムで聴かせてくれる示唆に富んだ演奏は、彼が渋々取り組んでいたということを、アッサリ吹き飛ばしてくれただろう。予想を遥かに超えて、この録音は3人の「バラード名人」ぶりを聴かせてくれる。 

 

1987年収録の「チェンジレス」で、キース・ジャレットはついに、彼のフリースタイルの演奏技法を、トリオでの演奏にも結びつけた。音楽学者のアルフレート・アインシュタインの理論によれば、音楽作りは、本質的には永遠の命を与えることが前提で、儚く消えることを前提とはしていない。それがわかるのが、ゲイリー・ピーコックの演奏だ。ジャレットのオスティナートを朗々と爪弾かれるベースのリフで厚みを増したり、ピアノとのユニゾンではメロディのモチーフを下支えする(「ダンシング」参照)。同様に「ライフライン」でも、ジャック・ディジョネットが「みんなで歌う仕事の歌」に、腹に響くリズムで参入してくる。「リズムはイタリアのクラッセにあるサンタポリナーレ聖堂のように、どんな地震にも揺るがぬくらい、安定感と豊かさを要する」とは、アインシュタインの言葉だ。曲中たった一つの主和音が、ジャレットならではのオスティナートに支えられ、ベースとドラムも手を貸す様子は、この言葉を更に納得行くものにしてくれる。 

 

このトリオの多様性が伺える好例が、1990年にニューヨークタウンホールで収録された「ザ・キュアー(通称「ボディ・アンド・ソウル」)」だ。本作で、ジャレットは、彼のスウィング感で聴き手に印象づけ、ビ・バップのあらゆる小技をマスターしていることをまざまざと見せつけている。折しも、彼がクラシックのピアノ奏者として評判を取り始めていて、ジャズ一筋とはもはや誰も思わなくなっていた頃だった。時折まるで、セロニアス・モンクドルイド教の司祭よろしく、秘密の聖杯をジャレットに飲ませてやり、ピアノの鍵盤から秘伝のクオータートーン(半音の、更に半分の音)を聞かせる技を授けた、そんなふうに聞こえることがある。またまたここで、「オールド・フォークス」では、ジャレットがのんきな子供になりきり、人気者の歌い手達が幸運にも彼の元へ駆けつけた、そんなふうに聞こえてくる。 

 

この変わり身の良さこそが、コンサートごとに、あるいはレコーディングごとに、全く違った顔を見せる秘訣なのである。幾つか例を見てみよう。「スタンダーズ・ライブ(通称「星影のステラ」)」の「星影のステラ」では、アメリカの映画音楽に見られる印象派的な影響を持つ手法で、原曲を深く掘り下げている。「ザ・ソング・イズ・ユー」では、延々と流れているモチーフが、楽曲本体から分離して、一人で延々グルグル回り続けているようである。人気の高い「慕情」(フォーエイセスがかつて編曲)では、ゲイリー・ピーコックのアッサリとしたバスドラムを下支えとし、「上澄みの脂分」を全部すくい取ってしまった感じがする。こちらはアップテンポの作品として「スタンダーズ・イン・ノルウェー」に収録されている。そして、「トリビュート(通称「オール・オブ・ユー」)」に収録されている「サン・プレイヤー」は、ザ・フィルモアでライブをしていた全盛期のチャールズ・ロイド・バンドからファンクジャズの雰囲気を醸し出している。 

 

マイルス・デイヴィスが亡くなった(享年64歳)とのニュースが世界を駆け巡った1991年、彼と演奏を共にしたことのあるジャズミュージシャン達は、きっと大きな衝撃を受けたことだろう。キース・ジャレットジャック・ディジョネットは、マイルス・デイヴィスが最も目が離せかった1960年代終盤から1970年代初頭にかけて、ステージを共にしている。これより数年前には、ゲイリー・ピーコックも、ロン・カーターの代打としてマイルス・デイヴィスと演奏を共にしている。全てのジャズを愛する世代を感化した彼に捧げるべく、生み出されたアルバムが「バイ・バイ・ブラックバード」だ。3人が自分達の思いを、レコードジャケットにライナーノーツとしてしたためた一文は、まるで墓碑に刻んだ言葉のようである「マイルス・デイヴィスは、自ら発信し、それを自ら変化増幅させ、自ら人々の試金石となり、そして自らの元へと人々を惹きつけた」。そして彼は、少ない音数に無限の意味を込めることのできる、真のミニマリストだったのだ。 

 

この偉大なアーティストに対するリスペクトの心が、本アルバムの基軸となっている。タイトル曲「バイ・バイ・ブラックバード」は、マイルス・デイヴィスクインテットジョン・コルトレーンが行った、極上のインプロヴァイゼーションを彷彿とさせる。3人が繊細さを込めたアレンジの「ユー・ウォント・フォゲット・ミー」は、デイヴィスにとって最後の公の場となった1990年の、歌手のシャーリー・ホーンとともに演奏した曲である。セロニアス・モンクの軽めなブルース「ストレート・ノー・チェイサー」の前には、4拍子のなかで3拍子のリズムフレーズを演奏するというややこしさを持つ作品。本アルバムの中でも最も印象的な楽曲で、3人がかりで創り上げた「フォー・マイルス」だ。手数のこもった音の宝庫であり、微細なノイズまでもを生かした打楽器の音色の数々や、のびのびとした叙情性、更にはじっと物思いに耽るような箇所もある。この作品では、「マイルス・デイヴィスと言えばこれ」が、概ね全て詰まっている。ジャレットがピアノで弾くアルペジオのフレーズは、その歌い方が、フラメンコギターの「ラスゲアド」(爪で弦を弾く奏法)を彷彿とさせ、スペイン音楽のカラーを添える。デイヴィスの音源にも、「マイルス・アヘッド」「カインド・オブ・ブルー」「クワイエット・ナイト」、それからギル・エヴァンス・オーケストラとの共作「スケッチ・オブ・スペイン」などに見られるものだ。これによりジャレットは、単にマイルス・デイヴィスの楽曲を演奏するのみならず、彼自身がマイルスになりきろうとする意思を明確にし、実際それに迫るものを聞かせている。 

 

この大切なオマージュと比べると、「アット・ザ・ブルーノート」という6枚組CDボックスは、同クラブでのライブ音源であり、10年間のトリオとしての活動に対する中間評価となっている。ジャズの殿堂にその名を連ねるこの作品は、6回の本番を収めており、演奏曲目で、重複するのはわずかに3曲のみである。先人の跡をたどることを良しとしなかった彼らは、なんでもござれの心意気を見せつけた。この伝統あるニューヨークのジャズクラブで、3夜に亘って開かれたライブは、いずれも実に示唆に富んだものである。ビ・バップのレパートリーや官能的なバラードの数々を聴くことができる。中には、「ナウズ・ザ・タイム」のように、マイルス・デイヴィスがキャリア初のトランペットソロを録音した曲もある。この曲で、ジャレットのインプロヴァイゼーションは重量感のあるブロックコードで埋め尽くされている。スピード感を売りにして、叙情的な表現を得意とするキース・ジャレットには、いささか異質な音楽であり、どちらかと言えば、デイヴ・ブルーベックの守備範囲に極めて近い。ソニー・ロリンズの最も有名なナンバーである「オレオ」では、ジャレットとディジョネットが、8小節ごとにソロのインプロヴァイゼーションを、息をつく間もないほど速いアップテンポな中で、8小節毎に交互にこれをぶつけ合う。バラード風のアダージョから2拍子の激しいリズムまで、テンポの変化に富み、そして様々なリズムの音形の重ね方も見事。ストイックに刻まれるドラムの4分音符に、ピアノの8分音符や16分音符のフレーズが散りばめまれている。だがこのアルバムリリースは、あくまでも中間評価にすぎない。更に膨大なネタが、このジャズトリオの「百科事典」にこれから書き込まれてゆくのである。 

 

幅広い素材から音楽を生み出してゆく、その取り組みに対する熱の入れようは、ジャレットが常に見せてきた音楽作りに対する一面である。「Tokyo '96」では、彼は躊躇なく、ナット・キング・コールの「モナ・リサ」のような、有名お涙頂戴曲を採り上げてみせる。すでに数え切れないほどの2流・3流の歌い手達が、徹底的に歌い込んできた作品である。ジャレットは、モナ・リザの古臭さを洗いこすってキレイにして、大人の、バラード風の音楽表現の仕方を用いて、モナ・リザに新たなハーモニーの美しい体型を当てはめようというのだ。他のすべての収録曲も、選んだ曲のことを考えると、とても予想のつかない独特な演奏方法で奏でられている。例えば、「Tokyo '96」に収録されている、バド・パウエルの「ジョンズ・アビー」は、ギネス世界記録に記載されるのでは?というくらい火を吹くような、とてつもないテンポで演奏される。ディジョネットとジャレットが、8小節1フレーズを8回に亘ってやり取りする様は、フランツ・リストの「超絶技巧練習曲集第8巻の「荒々しき狩り」を彷彿とさせる。アルバム「ウィスパー・ノット」(1999年)は、パリでのコンサートを収録したものだ。ここでは「グレート・アメリカン・ソングブック」や、幅広いジャズの定番曲の数々など、様々な分野から選ばれてる。ラグタイムの「悩みは夢で包んで」という曲は、1920年代の終わりから30年代の初めにかけて、世界大恐慌のアオリを受けて苦しむ人々に対する心の支えとなるようにと、使用されたものだ。この曲もキース・ジャレットが採り上げており、政治的に二重のひねりが加えられている。 

 

このトリオは新たな黄金期を迎える。奇作ながらも極上の一品で、その名も「インサイド・アウト」。収録曲の殆どがキース・ジャレットの作になるものだ。だがここで疑問、「作になるもの」とは、本当に適切な言い方か?むしろ、個々の判断に基づいて編み出したことを、すり合わせたもの、と言ってもらいたい。そしてすり合わせの結果としての曲の形式を決めて、個々の卓越した直感を発揮する。ブルースにせよ、黒人霊歌にせよ、コラールにせよ、基本的に「ジャズとはこういうものだ」とこれまで定義されてきているものななら何だって良いのだ。それはニューオーリンズで生まれてシカゴへ渡った頃にせよ、ハーレムで培われてマンハッタンのダウンタウンへ打って出た頃にせよ、同じことである。例えば「フロム・ザ・ボディ」。たっぷり20分間の内、まずはメロディの断片の数々が、パズルのパーツのように混ぜられて広げられている。そこへジャレット特有の繰り返しの演奏方法の数々が投入され、訳のわからないまぜこぜ状態を終わらせ、しっかりと組み立て仕上げるのだ。タイトル曲の「インサイド・アウト」の特徴は、パッと聞いた限りでは各個別々のモチーフが、やたらと動き回っていることである。ブルースのメロディ、賛美歌のような韻律、3つの対旋律、3つの異なるテンポ、これらに基づき、ミュージシャン達は自分でインプロヴァイゼーションを行い、レコーディング・エンジニアが「もうこのくらいでいいだろう」という処で、個々のミュージシャン達が自らの独立性をアピールしている状態に終止符を打ち、全員まとめてフェードアウトさせてしまうのだ。「341フリー・フェード」では、古いスタイルのジャズが申し訳なさそうに姿を表したかと思えば、アヴァンギャルド風の巨大なサウンド群がこれを埋め尽くす。その後幅を利かせ、どんどん重なってゆき、溢れかえった挙げ句、そそくさと去ってゆく。一方「ライオット」では、3人は「ロックバンドのふりをしたトリオ」と化し、攻撃的なリズムやコードを次々と打ち出して、「心より技」と言わんばかりの自己顕示に走り出す。更に、ヴィクター・ヤングの「恋に落ちるなら」を持ってきたことで、このレコードのプロデューサーと3人のミュージシャン達が、優れた全体構成力を持っていることが証明されている。ジャズの定番ラブソングの鉄板ともいうべき曲を使って、その前の騒々しい音の喧騒の後を収めようなど、普通は誰も考えもしないやり方だ。 

 

「物事の成り立ちを知るには、時にはそれをひっくり返してみることが必要だ。」キース・ジャレットが、この革新的なレコードのライナーノーツに記した言葉は、あとに続く作品を生み出す上でもモットーであると理解できる。特に次のアルバム「オールウェイズ・レット・ミーゴ―」は、東京でのコンサートのライブ音源だが、個々に示されるものと、音楽的に変化させることとを使いこなし、表現を豊かにしてゆきたいという思いが、よく示されている作品だ。だが「イエスタデイズ」や「マイ・フーリッシュ・ハート」のようなアルバムは、ヴォーカル付きの曲やジャズの定番曲の間に、ジャレットの自作曲をはさみ、先程のモットーに示唆されているように、自分を見つめ直すということを音楽でもやっていこうという考えに導かれて作られたものである。例えば、ファッツ・ウォーラーの「浮気はやめた」や「ハニーサックル・ローズ」、あるいはリチャード・ロジャースの「ユー・トゥック・アドヴァンテージ・オブ・ミー」といった曲は、左手はラグタイムシンコペーションストライドピアノ(跳躍の多い音形)風のベース音、それからハーモニーを伴奏に添えることで、モダンジャズの枠組みの中でこの音楽をどこまで確実に作って行けるかを試しているようである。それからディジー・ガレスピーの「ショー・イナッフ」では、ジャレットはまたもやピアノの最速記録に挑戦したいようである。「ジ・アウト・オブ・タウナーズ」のタイトル曲は、ジャズのインプロヴァイゼーションにおける低音の基本的な作り方を土台にして、主題の形を変化させてゆく。20分近くも時間をかけて、同じ小さなモチーフを扱うのだが、様々な制約がある中で、自由自在な変化を起こす翼の羽ばたきを加速させるという、圧倒的な実力の証拠を一つ見せつけている。 

 

ソロアルバム3枚以上制作する一方で、「アウト・オブ・タウナー」と「アップ・フォー・イット」(それぞれ2001年と2002年にミュンヘン歌劇場ジュアン・レ・パン野外ジャズフェスティバルでの収録)のリリース後7年間トリオとしてのアルバムはリリースされなかった。その代わり、ジャレットは以前の仲間であるチャーリー・ヘイデンとレコーディングを行っている。2007年、ニュージャージー州の自宅にあるケーブライトスタジオで、という、彼のディスコグラフィーを見てもめったに出てこないロケーションであった。kの時の収録は、後に「ジャスミン」(2010年)、「ラスト・ダンス」(2014年)としてリリースされる。親しみやすいバラードを含め、頭の中が似た者同士という2人の、穏やかさが漂う音のやり取りは、時に飾らぬ叙情性の中にも、朗々とした響きと豊かな表情を聞かせ、聴くものの心をしっかり捉える。この2人のレコードは、キース・ジャレットが初めて組んだトリオの、初期のリリースを思い起こさせるものがある。そして2014年、40年もの時を経て、1972年に北ドイツ放送局のNDRワークショップで行ったトリオの演奏収録が、満を持してリリースされた。その名を「ハンブルク’72」。キース・ジャレットチャーリー・ヘイデンとの関係は、長い間共演はおろか会うことすらなかったにもかかわらず、揺るぎない敬愛と友情が保たれていたのである。2014年7月11日、ローマのパルコ・デッラ・ムジカ音楽堂でのソロコンサートで、ジャレットはアンコールに「ジャスミン」からの曲を選んだ。その夜、チャーリー・ヘイデンは、ロサンゼルスの自宅で息を引き取る。これを単なる偶然とは、誰も言うまい。 

 

ジャレットが2つ目のトリオで最後に収録したのが、「サムホエア」というアルバムだ。収録は2009年だが、リリースは2013年。スタンダートナンバー、ジャズの定番曲、それから自身の作品について、この優秀なトリオの特色を全て結集した逸品である。アルバムの1曲目「ディープ・スペース」の一部分は、マイルス・デイヴィスの作った「ソーラー」を取り込んでいて、ジャック・ディジョネットハイハットでロールを聞かせる間、キース・ジャレットはピアノで、まるでドラムのロールを叩いているかのようである。ゲイリー・ピーコックのベースが、ピアノの中の弦を指で弾くような音を、頻繁に聞かせる。ジャレットは曲の出だしを、控えめながらも明快な表現を奏でる。アレクサンドル・スクリャービンの6声のコードは、第4音を一番下に据えている。この曲の出だしの、無調性の音の層や、一風変わったモチーフの断片の数々とともに、不協和音の塊が雲のように固まっているのを比べると、ロマン派の名残を醸し出しているといえるだろう。だがそこへベースとドラムが入ってくれば、この古い「新曲」は、氷のような冷たさを持っているが、それを信じられないほどに優れたジャズのセッションへと形を変えてゆく。 

 

大変密度の濃いアンサンブルであるドラムが度々聞かせるフィルインは、ピアノ奏者ばりの間のとり方で旋律感あふれる推進力持つさ3人共、演奏が進むにつれて恍惚状態へと入ってゆき、まるでピアノ奏者が3人集まって、それぞれピアノでない楽器をいつまでもずっと弾いているかのような状況にあっては、誰が誰をリードしているかなど、判別するのはほとんど不可能である。曲の出だしは、何を言っているのかさっぱりわからないが、だんだんこれがほぐれて具体的に何が言いたいのかがわかるようになる。それが例えば、「アラバマに星落ちて」や「絶体絶命」であったりする。その様は、単にハーモニーが複雑さを増してゆくとか豊かになってゆくとかだけではなく、もっと何か他の方法で、「生まれ変わってゆく」というのがふさわしい言い方だ。ここではキース・ジャレットは、伝統的なやり方でメロディを変化させたり再調整したりしているのが、聞いていてわかる。3人の持つ、演奏の力強さや音楽に対するイマジネーションの調和の良さのおかげで、こういった昔から耳にしている楽曲も、違った聞こえ方がするのである。それよりもっと素晴らしいのが、基本的に毎回のコンサートやレコーディングの際に見受けられる2つの要素で、一つは豊富な種類と数のニュアンス、もう一つは様々な音色の特徴を難なくモノにする力である。この2つの要素こそ、唯一最高のジャズ・アンサンブルである証である。 

 

そしてこれまた同じ様にキース・ジャレット自分の演奏を成し得たのはバーンスタインの「サムホエア」を採り上げた際、自身の「エヴィリホエア」と結びつけた上で、「ケルン・コンサート」やその他ソロ演奏で見せた、圧の強い気持ちの高揚を彷彿とさせる、過剰なまでのオスティナートへと入っていったからである。ほとんど決まった音楽としか関わらないような状況にあって、あくまでもたった一つのモチーフにしがみつく姿勢は、ジャズの歴史上、キース・ジャレット以外には聞いたことがない。あくまでもひたすらオスティナートを続けるという、とりつかれたような執着の態度は、アフリカ大陸でみられるような、足をどんどん踏み鳴らすような踊りの仕草や、輪になって踊る行為の際に用いられる音楽に、その原始的な要素のルーツが見いだせるのではないかと考えられる。