about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.145-149

10.クラシック音楽を弾きこなすジャズマン 

 

キース・ジャレットがリリースした、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は、大きな話題を呼んだ。選曲が理由ではない。所謂「芸術音楽」とされるヨーロッパ伝統のクラシック音楽について、バロックから現代音楽までをきっちり学んだジャズミュージシャンは、ジャズの歴史上そこかしこに見受けられる。1940年、ニューヨークでeのこと、ベニー・グッドマンが初演を行った、ベーラ・バルトークの「コントラスツ」は、バイオリンにヨゼフ・シゲティ、ピアノに作曲者バルトーク自身という顔ぶれ。グッドマンは更に1956年には、モーツアルトクラリネット協奏曲の収録を、管弦楽ボストン交響楽団シャルル・ミュンシュの指揮で行っている。1983年ウィントン・マルサリスが注目を集めたのが、極上のトランペット協奏曲集のレコーディングだ。ヨーゼフ・ハイドンヨハン・ネポムク・フンメルレオポルド・モーツァルトの作品集である。ジャズミュージシャンがクラシックもキッチリやっていたいという動きは、ラグタイムの時代から今の今まで見受けられることである。これについては、評論家のみならずミュージシャン自身からも、そんなことをしたら、音楽芸術に携わるものとして、シマリのない行為だとか、他所様の縄張りを荒らす不真面目な行為だとか、仮にそう思われても、何時でも何処でも、やる者はやるのである。 

 

1988年のこと、良い音楽ならばジャンルを気にせず取り組むことを実践してきたキース・ジャレットが手掛けたバッハの記念碑的とも言うべきこの作品は、かのハンス・フォン・ビューローをして、ヨーロッパのクラッシック音楽のバイブルであると言わしめた逸品だ。世界のどのミュージシャンと比べても、厳しさで名の通るピアノ奏者であるジャレット。彼は自らの「店の暖簾」に、かねてから「インプロヴァイゼーションで酔わせてみせます」と縫い込んである。その彼が、音楽史で言うなら、感情丸出し、そして自分自身を表現する、そういった時代の音楽以前の作品に、自分のすべてを懸けて臨んだのである。時代遅れの音楽教育を受けたせいで、自分の多芸さを狭められた、と、だんだん信じ込み始めていたアーティストが、控えめながらも身を乗り出したのが、演奏者ではなく作曲家が主導権を握る「対位法」という、厳格なルールブックの世界である。彼を取り巻く音楽界は、聞き耳をそばだて、イライラをつのらせ、だが認識が甘かったと言えよう。一般的に「注目を集めた」とされるものは、たまたまでもない、突然の思いつきでもない、一時的な気まぐれでもない、音楽面での180度方向転換でもない。音楽の世界について、長時間をかけて、断固たる思いで、一つ残らず学んでやるというキース・ジャレットの気概が生んだ結果なのだ。 

 

ジャレットのピアノ人生は、バッハからプロコフィエフまで、クラシック音楽を弾きこなす「神童」としてスタートした。このことは世界的にもジャズのピアノ奏者としての高い名声を勝ち取ってゆくその過程でも、見失われることはなかった。実際彼は、1973年には、この分野で自身が書いた作品をファンに届けている。そのわずか1年後、彼はニューヨークへ招かれ、カーラ・ブレイの「3/4」の演奏を行った(曲自体がジャズの範疇を超えてゆくものだった)。指揮はデニス・ラッセル・デイヴィス。この組み合わせで、同じ年にアメリカの他の各都市でも繰り返し公演を行った。1979年には、ジャレット、セントポール室内管弦楽団そして指揮者のデニス・ラッセル・デイヴィスは、コリー・マクフィルー・ハリソンといった、「音楽では他に染まらない」として、当時もアメリカ国内でコンサートを開いても、なかなかレパートリーに組み込まれない作曲家の作品を採り上げている。1982年には、ジャレットはカブリリョ・カレッジという、カリフォルニア州アプトス(ルー・ハリソン居を構えていた)にある大学での、現代音楽祭に出演し、ストラヴィンスキーのピアノ協奏曲やジョン・ケージの「ダンス4オーケストラ」、更にはその4年後にはハリソンのピアノ協奏曲を再演する。これらの演奏の数々を、アメリカの音楽評論家達は注意深く見ていた。 

 

ヨーロッパでも、ジャレットは、所謂「クラシック音楽」の公演を行っている。パリでは、ピエール・ブーレーズが主催した、かの有名なアンサンブル・アンテルコンタンポランとの共演(本拠地:パリ市立劇場)。ドイツでは、1982年春にクラシックでのデビューを飾る。まずはシュトゥットガルトヴュルテンベルク州立劇場で行われた、アメリカ文化に触れるという祭典。この時ジャレットは、ペギー・グランヴィル・ヒックスの大作「エトルスカン(エトルリア)協奏曲」を演奏。その2年後には、ザールブリュッケンで開催された20世紀音楽祭で、サミュエル・バーバーのピアノ協奏曲作品38を演奏。このときのプログラムには、ジャレットがアメリカとパリですでに何度か手掛けたことのある、コリン・マクフィーとルー・ハリソンの作品もいくつか採り上げている。1984年7月1日と3日にザールブリュッケンで行われた現代音楽のコンサートは大勢の聴衆が詰めかけた。ジャズのピアノ奏者であるキース・ジャレットの登場とあって、ハルバーグにあったラジオ局のホールでは客席数が足りなかった。聴衆の多くが席につけず、廊下のドアから漏れ聞こえる本番を聴いたのだった。 

 

 

 

1984年と1985年には、世界の音楽界は、キース・ジャレットが、クラシック音楽の古典と現代音楽の両方に取り組むことを、目の当たりにした。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、そして日本で「目の当たりにした」人々にとっては、あまりに突然の出来事と映ったであろう。キース・ジャレットといえば、ジャズのピアノ奏者として十分名前が知られていたわけだが、その彼が、実はクラシック音楽も満載であったことを、堰を切ったように見せつけたのだ。彼が公に演奏したのは、スカルラッティカール・フィリップエマヌエル・バッハ、そしてヘンデルソナタヨハン・セバスティアン・バッハの6つの「フランス組曲」、モーツアルトのピアノ協奏曲集、ベートーヴェンの「悲愴」、ショスタコーヴィチ24の前奏曲とフーガ、バルトークピアノ協奏曲第2番と第3番、更には自身の「クラシック音楽」作品としてバイオリンソナタ(ピアノ伴奏)、オーボエ弦楽合奏のためのアダージョ、バイオリンと管弦楽の為のエレジーなどを披露した。1986年1月の東京でのコンサートでは、ルー・ハリソンのピアノ協奏曲がプログラムに組まれたが、この時キース・ジャレットならではのハプニングが起きる。 

 

ハリソンの協奏曲が終わったあと、熱狂的なアンコールの拍手に応えて、ジャレットはステージに再び上る。彼がいつも通り演奏し始めたのは、「グレート・アメリカン・ソングブック」からのスタンダートだ。ところが、である。最初のタッチでコードが異様な響きをした瞬間、彼は思い出してしまったのだ。その日はピアノをハリソンの協奏曲用に特別に調律してあったことを。オーソドックスな平均律による調律は失われ、白鍵は純正律、黒鍵は部分的に厳密な振動比が施されているのが、ごちゃまぜの状態である。西洋音楽の調性に慣れている聴衆にとっては、ジャレットのこのときの演奏は、骨が喉に引っかかったようなもどかしさを禁じ得ず、結果、ピアノがいささか調子外れに聞こえる羽目になった。だがジャレットは一瞬にして修正する。即座にこの鍵盤に自分の演奏を合わせてしまい、結果、難なくアンコールを終わらせてのけたのだ。どうやって彼が切り抜けたのかについては、今後も明らかになることはないだろう。だが当日演奏を聴いた人達は、彼が自分の基準をピアノに合わせ直し、まるでピアノがまともに調律されているかのように弾いてみせた、と思っていることだろう。 

 

これらの公開演奏以外では、ジャレットは自身初の現代作曲家の作品のレコーディングを、1983年10月にスイスのバーゼルで行っている。曲は「フラトレス」。旧ソ連支配下だった頃のエストニア出身の作曲家、アルヴォ・ペルト手掛けたものだこの録音は1年後に「タブラ・ラサとともに、アルヴォ・ペルトの最初のレコードとしてリリースされることになる。レコード自体も完成度話題性ともに優れた作品であるアルヴォ・ペルトこの曲は様々な編成用に作られているが、ジャレットが演奏したのはギドン・クレーメルをバイオリン奏者とするピアノとの二重奏版である。ギドン・クレーメルはこの収録のあと、ジャレットに公開演奏を一緒にやろうと、説得を試みた。ジャレットはこれを断った。そもそもジャレットがこの収録に参加したのは、マンフレート・アイヒャーへの義理からで、アイヒャーがクレメールとの演奏を提案したからである。それからおそらくもう一つの理由は、ジャレット自身の興味から、このAとE(ラとミ)の5度の音だけで構成される和音がペダル音(最低音の持続音)に乗っているだけという、何とも簡素な音の響きのする作品をやってみたいと思ったからであろう。だがこの作品以降、ジャレットはアルヴォ・ペルトの楽曲には、大して興味を示すことはなかった。彼の楽曲は頻繁に、おそらく時にはそうでもないのに、ミニマル音楽として見なされていた。 

 

バロック音楽からアヴァンギャルドまで、様々な楽曲をとりあげたこの一連のコンサート活動がどういう流れであったのかを鑑みても、キース・ジャレットの「平均律クラヴィーア曲集」の演奏は今なお絶品だ。これはジャレットのクラシック音楽に対する造詣の深さを、よく知っている者達も、今なお評価は同じである。インプロヴァイゼーションのジャズがメインのピアノ奏者にとっては、たとえ実力ナンバーワンであっても、対位法という奏者が絶対服従の掟に則って演奏する力を身につけるには、相当な年月が必要である。 

 

ジャレットが繰り返し述べていることだが彼はインプロヴァイゼーションの「練習」はしないその代わり、クラシック音楽の作品について、日頃から練習と分析を継続している。彼はクラシック音楽の演奏に際しては、豊かすぎるほどの多彩な感情表現を、縦横無尽に繰り広げる。彼の演奏は、聴き手には非常にわかりやすいのである。ジャレットは「ガーディアン」誌の取材を受けた際に、自らの取り組みのメソッドについてしっかりと説明している。「インプロヴァイゼーションというのは、練習してどうにかなるものではないし、そのネタを習慣として体に染みつけるという行為は、僕は良い考えだとは思わない。なので、インプロヴァイゼーションにかかる仕事がないときは、できるだけ長く遠ざかるようにしているし、そうすることで、いざその仕事にかかった時に、演奏の質が更に向上すると思っている。」バッハの楽曲分析に関して言えば、自分が満足行く目標を達成する上での、やるべきことと、受け入れないことははっきりしている。「人はいつかは死ぬものだ。だから僕は決めたのだ。演奏に際しては、まず僕が日頃大切にしているものを選ぶことから着手して、それから選んだものを吟味して、これは果たして本当に初出しのものかどうかを確認するようにしている。言ってみれば、僕がバッハを演奏する時は、グレン・グールドのモノマネにならないようにしている、というわけだ。ただ、世の中にはごくわずかだけれども、自分が演奏する作品から、本当に何でもひねり出してしまう演奏家もいるから、モノマネになってしまう余地は確かにあるんだろうな、と思い始めてしまう。それでも僕は100%きちんとやり切ることを心に誓うからには、モノマネにならないようにする、というのはしっかり意識している。ジャズの演奏家にしてはOKなんじゃない?では済ませたくないんだ。」 

 

ジャズとは真逆で、クラシック音楽を演奏する時は、両腕、両手、そして全身の筋肉や関節の一連の動きを、フルに活用することになる。彼はそのことをよく自覚していた。彼のインプロヴァイゼーションに際しての、クセやスタイルを鑑みた時、これは特に重要なことだった。ジャレットは自身のバッハの演奏が、世にどう受け入れられるかについて、あらぬ期待などカケラも持っていなかった。クラシック音楽の演奏に際しては、他の演奏家よりもしっかり仕上げてこなくてはいけない理由を、彼は自覚していた。それによって失うものの方が、得るものよりも多いのだ。「ダウン・ビート」誌のアート・ラングとのインタビューに際して、彼が簡潔に述べているのが、彼は自分の行いは全て客観的に見つめているし、こういうと思い上がった言い方に聞こえるかもしれないが、でも事実、完全に現実に則した自己評価として、キチンと成立すると考えている。一般に、若手のクラシック音楽演奏家カーネギーホールで初めて演奏しようという時は、たとえ演奏自体がそうでなくても、多少大目にみてもらえるものだ。ところがジャレットは、大目には見てもらえないのだ。もし標準以下の演奏をやらかそうものなら、世界中にそれが広まることになる。万が一の話だが、彼のバッハやモーツアルトの演奏に対して批判的な反応が、世界中から示されるとするなら、それは彼が標準以下の演奏をしでかした場合のことである。 

 

曲の性格上、「平均律クラヴィーア曲集」を演奏すれば専門家達は黙って見過ごすようなことはしないジャレットの演奏に対しては大きく分けて2つの疑問が頻繁に呈された1つ目彼のようなジャズミュージシャンは、「平均律~」のような一連の作品に潜む落とし穴を、乗り越えることができるのか?2つ目、どうしてもジャズの奇抜さが、演奏に出てしまうのではないか?更に言うと、ジャレットの熱烈なファンというのは、大きく2つに分類される。1つ目、キースといえばジャズ、としか考えられないために、彼がバッハを演奏するなど、どう理解したら良いか困ってしまうグループ。2つ目、キースというピアノの大名人の凄さを、この「平均律クラヴィーア曲集」の演奏がしっかりと証明してくれるだろうと期待するグループ。 

 

 

後者グループの中にはジャレットの演奏に対するコンセプトが、常識の範囲内であることに、とてもガッカリした人もいるかも知れない。「平均律クラヴィーア曲集」の第1集の演奏では、現在のピアノが使用されている。そして演奏に対するレビューは全体的には控えめだが、中には不平もあり、ジャレットが自分を押さえつけすぎるあまり、彼自身のバッハの音楽に対する解釈が聞き取りにくい、というものだ。勿論、別の意見も幾つか見受けられる。「タイム」誌の記事がその例だ。第2集の演奏(鍵盤2段付きのハープシコードで、415ヘルツにしっかりと調律したものを演奏に使用)に対するレビューである。記事のまとめとしては、この楽曲のこんなに心を揺さぶられるような演奏解釈は、伝説にもなっているグレン・グールドのレコーディング以来だ、とのこと。