about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp159-163(最後)

彼の作品に対しては、様々意見は分かれていたものの、4年間という短い間に、キース・ジャレットはジャズ以外の分野でも、創作力のあるところで名前を上げていた。誰も疑う余地のないことだが、ジャズの分野での評判が、ジャレットのクラシック分野での活動に注目を集める後押しをしていた。彼の作品群は、非常に多彩な顔ぶれであるものの、クラシック音楽の全てを一気に駆け抜けて網羅するような、魔法の靴をはいているという印象は。まるで受けない。彼はずっと、様々な数多くの種類のソロ楽器に高度な技術を要求する「協奏曲」、そしてジャズもクラシックも両方の演奏者を想定した「室内楽」、これらの作曲に絞っていた。手つかずの分野も見受けられる。声楽曲、舞台用音楽、勿論電子音楽から、様々な民族音楽を、複数コラボさせるような企画が、それだ。ジャレットの作曲したものは、ジャズを演奏する中で関わったことと、300年にもわたるヨーロッパの音楽やその影響を受けたアメリカ音楽に関する知識から生まれでている。ジャレットは決して、新奇さを装わない、流行を追いかけない、そして「最先端である」ことをしなかった。全ては、彼の性格の持つ側面であり、自我が健全であることの結果である。いかなる時でも、キース・ジャレットキース・ジャレットを保っているのだ。 

 

 

おそらくこうした理由から、ピアノのための「Ritual」(ジャレットのリクエストにより、指揮者でピアノ奏者のデニス・ラッセル・デイヴィスが録音時には演奏)は、彼の作品では最も奇怪な印象を与えるのだろう。この作品は、基本的には、譜面に起こしたインプロヴァイゼーションそのものである。そこには、ジャレットが一人で演奏する時の特徴に見られる傾向:タワーコード、異常なまでにずば抜けた技が鍵盤の隅々まで駆け巡り、心を奪うような繰り返しのフレーズ、一点集中した瞑想的な演奏、モチーフを展開するための変奏の技術、急激なハーモニーの変化、そして幅の広い音量変化、これらが全て見られる。デニス・ラッセル・デイヴィスは、彼の音楽を存分に表現し、楽譜にも忠実なのだが、それでもなお、何かがしっくりこない。録音が不完全に思えるのだ。もし能力申し分なしのピアノ奏者が、「ケルン・コンサート」での演奏を、譜面に書き起こしたものだけを頼りにやろうとするなら、きっとこんな感じになるのでは?という演奏なのかもしれない。ジャレットを知る者ならこの音楽の中に彼というものが聞こえてくるだろうし、この曲を書けたのはジャレットだけだろう、とのデニス・ラッセル・デイヴィスの発言は、正鵠を射ている。しかし、正にだからこそ、この作品は、ジャレット以外のピアノ奏者が弾くと「受け売り」に聞こえてしまうのだ。公式伝記筆者のイアン・カーは「ジャレット本人が不在ゆえ、アルバム「Ritual」は、彼が副業的に作った作品に堕してしまっている」、このように手短にコメントする。 

 

1970年代中盤になると、キース・ジャレットの、譜面に書いた作品も、インプロヴァイゼーションも、ともにクラシック音楽の分野では非常に高い評価を得るようになった(それもアメリカ本土とヨーロッパという、大西洋の両側で)。1976年に、ドイツ・グラモフォンの委嘱により、ボストン交響楽団と首席指揮者・小澤征爾と、3者のコラボレーションによる、ピアノ協奏曲を作曲することになるのだが、「非常に高い評価を得た」現れか。はたまた、「ケルン・コンサート」で神がかった存在となったジャレットを釣る餌として、アメリカ最高峰のオケと、名門レコードレーベルが使われたのか?この委嘱以前に、ジャレットが、所謂「クラシック音楽」で書いた比較的規模の大きな作品と言えば、「ルミニッセンス」と「ブルーモーメント」(アーバー・ゼナ)だけ。しかも後者は委嘱当時は、ほとんど世に知られていなかった。一連の公演活動でも、バッハからショスタコーヴィチ、そしてサミュエル・バーバーからアラン・ホヴァネスといったピアノ作品の演奏が始まったのは、ずっと後の1983年からである。推測はこのくらいにするが、いずれにせよ、ジャレットが演奏時間40分にも及ぶ大作「セレスチャル・ホーク」(題意:天空の鷹)を書き終えた後、ピアノパートが完全にヨーロッパの伝統的手法により記譜されたものであり、インプロヴァイゼーション的なパッセージは全く無いことが判明すると、小澤とオケは、出資から手を引いてしまった。天才インプロヴァイザーによる、期待度満点で、ビジネスの面でも成功間違いなしと目論まれた公開イベントなのに、きっちり楽譜に書かれたものを忠実に演奏しても、しょうがない、というわけだ。 

 

これが後に、文字通り「元が取れた」のは、マンフレート・アイヒャーとの良好な関係のおかげである。この企画はアイヒャーが自分のレーベルで引き受けることとなり、ジャレットのマネージメント側も、この作品のアメリカ国内公演を幾つか企画し、レコーディングについては、1980年3月のニューヨーク・カーネギーホールで行われた公演:クリストファー・キーン指揮のシラキュース交響楽団との共演が収録され、ほどなくECMからリリースされた。全ての公演と、LPレコード「セレスチャル・ホーク」のリリースの後、評価は好意的なものから酷評まで、多岐にわたった。その多くが突いてきたのが、マーラーバルトークの影響があまりに見え隠れしすぎる、というパッセージの数々に対してである。この作品は、形式の面で見れば、交響曲とピアノ協奏曲の間を行ったり来たりするような曲であり、ジャレットにとっては最初の本格的な、まとまった規模の管弦楽作品である。そして、そういった点からも、立派な曲であるとの印象を受ける。中でも、形式面での見事な出来栄え、各楽器の役割分担、音階の熟達した使いこなしは、特筆に値する。もし別の作曲家の影響云々をほじくり返すというなら、ブラームスだって、バッパの対位法を悪用したと批判すべきだろうし、フーゴ・ヴォルフあたりの「新ドイツ楽派」だって、既にやらかしていることである。 

 

この3楽章からなる大作には、ジャレットの作品によく見受けられる、示唆に富んだ部分が数多くある。例えば、最初の部分では、演奏開始数分後、ピアノがオスティナートを始める。そこへ管楽器群が別のモチーフをふんだんに吹きはじめ、更に弦楽器群が加わる。これを聞くと思い浮かぶのが、だんだん数が増えてゆく人間の行列である。管・弦楽器により盛り上がるパッセージに打楽器が加わり、騒然とした喧騒の全合奏によるクライマックスを迎える。別の場面では、戦いの行進と、のどかの田園風景とを行ったり来たりする。第3楽章では、各楽器群が全方向から躍り出て、金管楽器群の巨大なサウンドが、独奏ピアノを伴奏へと追いやってしまう。これはチャールズ・アイヴズのおちゃらけだと、すぐに分かる。アイヴスの音楽といえば、故郷ニュー・イングランドの小さな町同士で、そこの朴訥とした市民達のマーチングバンドが、お互い自分の演奏を誇示しようとガンガン吹きまくった、往時の様子を偲ばせる。アイヴスという作曲家は、アヴァンギャルドのポリトーナル(複数の調性を同時に使用する手法)のやり方に、特段固執したわけではない。単に、「朴訥とした市民達のマーチングバンド」が、衝突しあって、自分達の持ち歌を、それぞれの調性で演奏するのだから、ポリトーナルになるのは、当然のことだ。 

 

キース・ジャレットは、たった一度だけ、自身のクラシック作品についてライナーノーツにコメントを記している。「イン・ザ・ライト」のレコードカバーである。自分の作品は心を開いて聴いてほしい、その時、ジャレット自身の作品を含め、他の作品との比較は、曲を聴く間は脇においてほしい、としている。今読むと、甘い考えのように見えるが、当時はそうでもなかった。これらリスナーへのメッセージは、懸命な洞察力の産物である。だがこのメッセージを以てして、ジャレットのクラシック音楽に対する熱い思いへの痛烈な審判を、食い止めることはできなかった。同じような論評が幾つか見られた(例えばウルリッヒ・オルスハウゼンの「ブルーモーメント」(アーバー・ゼナ)に関するもの)「どう見ても、この曲は他のジャレットの作品と比べると、独自性がない。シンフォニックな響きを淡白な色で彩り、しかもそれはマーラーやアイヴスや初期のシェーンベルクの影響に板挟みにあっているし、弦楽器群の使いみちは、和声とトレモロによる飾り付けで、曲の展開にはほとんど関わっていない有様だ。おかげでせっかくの弦楽器群は、音が出るお飾りのままで、ふんぞり返ったサウンドがする。現代音楽っぽくしようと不協和音をいくつか使っているが、役に立たたないばかりか、かえって、これまで音楽市場に出回った、洗練されていないカネの匂いだけがする駄作の数々と、どこか結びつくものを感じてしまう。ところが、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ヤン・ガルバレク(サックス)そしてジャレットが、インプロヴァイゼーションを展開する中での素材の扱い方は、やはり素晴らしい輝きを放っている。」 

 

似たような論評が、ダウン・ビート誌に寄稿したあるジャーナリストによって書かれている。この曲は単調で同じことの繰り返しだとして「新鮮味や、快活さといったものを、「レミニセンス」から見出すとすると、もはや悪い方向に自己風刺的である」。アメリカの批評家達は、この曲を徹底的に分析し、その単調さやらメロディの独自性の無さについて、彼の作曲手法を攻撃する傾向にあった。一方、ヨーロッパのジャーナリスト達は、作品全体のサウンドの持ってゆき方について、数多くの疑問を呈した。ジャレットの曲作りを「不正確」だと批判したのは、使用された素材や形式は、ヨレヨレの陳腐なものだからだ、というのである。こういった判断が同じ様に下された作品が「ブリッジ・オブ・ライト」である。1980年代に書かれた室内楽作品の数々を収めたものだ。ここではジャレットの作曲のペンは、バイオリン、ビオラオーボエの実用的な演奏技術に対する、驚くべき熟知を披露するも、楽曲のスタイルとなると、20世紀以前の大昔のままだと、評価がガタ落ちになる。バイオリンと管弦楽のためのエレジー(哀歌)を例に取ると、ブラームスの作ったハンガリー風のメロディが原曲になっていて、それをアレンジしたものだ、と間違えそうになるというのだ。痛烈なものの言い方だが、人によっては、こんな曲は、音大生の卒業作品以外の何物でもない、と肘鉄を食らわすかもしれない。 

 

これらの作品に批判的なコメントを寄せるのは簡単だ。なにしろ同じくらい、これらの作品をきちんと判断するのは難しいからだ。ジャレットのクラシック作品の構造を吟味した結果として、八方美人の怪物だの、起承転結がないだの、駄目だと分かっている「ジャズの第3の流れ」をわざわざ復活させているだの、とっくの昔に滅んだ素材を引っ張り出すような世間知らずな曲だの、仮にそれが本当だとしても、ジャレットの作品群には、自身の芸術活動に対する気概が光っている。流行に遅れていると言われても気にしない、大昔の人間と揶揄されても気にしない、他人が作った物の考え方や一時の流行には左右されない、何処に答があるか分からないとしても、色々試してみたり、知識を得ようと調べ物をしたり、経験を積んでは音楽の真実とは何かを追求したりする。そういった努力の果に、ジャレットの作品は、一つのモチーフから次のモチーフへと繋がりがりよく進み、たった一つの音の風景がまとまった時間の演奏に耐えることができ、そういうものが全体として机上の理論によらない形式を持つ一つのまとまりになる。これは元をたどれば、「その場の思いつき」や「自動作曲」(意識せず勝手に動くペンで記譜する)の産物であり、これがクラシック音楽の分野に持ち込まれたというわけである。誰かのマネをするのではなく、彼は人知を超えた能力を求め、そして音楽に「無の境地」を敢えて持ち込む。キース・ジャレットの見事なまでにひらめきに基づく作品は、例えて言うなら、税関職員で画家でもあったアンリ・ルソーを彷彿とさせる。譜面ヅラは簡単だが、しっかり読み切って音にするのは難しい。 

 

だがジャズの作曲家としてはどうであろうか。独学でクラシック音楽の作曲家となった彼と比べると、別の顔を持っているだろうか?分けて考えるのは難しいだろう。それは、彼のヨーロッパでの活動とアメリカでの活動を分けて考えるのが難しいのと、同じである。自身の作った曲は変奏曲形式や、別の曲の姿を変える手法をとり、本番のたびに曲の頭から異なる方法で演奏されることが常であることから、「インプロヴァイザー」と「作曲家」の線引すら難しい。そう考えると、ジャズの作曲家としてのジャレットは、ネタが満載だ。多芸で先入観がないところは、クラシック音楽を扱うときと同じである。音楽ファンや業界全体が、ジャレットのインプロヴァイゼーションと楽譜に起こした作品を、1つの音楽として見ていることが、彼のインプロヴァイゼーションの一部分を(例えば「ケルン・コンサート」の「パート2」の抜粋等)自分のレパートリーにしている様々なミュージシャンがいることからも、見て取れる。例えばジャズギター奏者のウルフ・ワキニウスがその一人。更にはキューバのギター奏者マヌエル・バルエコなどは、普段はクラシック音楽や現代音楽を手掛けている演奏家だ。別の例として挙げられるのが、シンプルさが魅力のバラード「マイ・ソング」だ。穏やかな繰り返しの音形は、変化のある和声によって彩られている。この作品に触発されたのが、作曲家のスティーヴ・ライヒ。同じくクラリネット奏者のリチャード・ストルツマンは、この曲を実に人間味あふれるデュエットにアレンジし、歌手のジュディ・コリンズと演奏している。 

 

 

キース・ジャレットは、自身が演奏家として計り知れない腕の持ち主であるにも関わらず、自らが作曲をするときには、そのことを抑制していた。これも彼の優れた能力の一つである。そうやって、「My Wild Irish Rose」「Lucky Southern」「マイ・ソング」といった数々の作品は、彼の考え、思い、魂、そして腹から、指先へと流れ出て、一般大衆の愛唱歌のように仕上がったのである。ジャレットはメロディの一貫性を大切にした。そのセンスは不動のものであり、ジャズの世界では、その美的感覚には率直さが求められることから、モチーフや楽曲全体に無駄がないことは、軽んじられることは滅多にない。ジャズ・ミュージシャンなら誰でも心得ていることだが、大事なのは、楽曲そのものではなく、それをどう扱うかである。