Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

<連載最終>Keith Jarrett伝記(英語版)エピローグ、筆者紹介

エピローグ 

 

彼は小型のシルバーグレーのBMWを運転して、私を迎えに来てくれた。運転席から声をかけられると、私は車に乗り込む。私達は彼の自宅へと向かう。鬱蒼とした森に囲まれている、なだらかな丘の上にたたずむ家だ。どこまでが敷地内の芝生で、どこからが敷地外の野原なのか、ぱっと見たところ分からない。アメリカではこういったエリアには、各家を仕切るフェンスは見当たらないのだ。夜の帳が下りる頃になると、敷地内の建物向こう側に広がる、下草を刈り込んだところには、鹿達を見ることが出来る。毛がフサフサとしたリス達がいる。大きさはイタチくらい(ヨーロッパケナガイタチ)だろうか、玄関テラスの周りを跳ね回っている。キース・ジャレットが私に話しかける。時々はフクロネズミがやってきては、ちょこっと餌がないか、探し回っているという。ここは正に、未開と開拓が接している場所なのだ。 

 

木造の開拓時代からの家に入ると、迎えてくれたのがローズ・アンだ。その姿は見るからに、丁度食事の用意をしてくれた、といった感じ。本当に静かな場所だ。絵に描いたような、静寂な場所だ。開拓時代からのこの家は、静穏そのもの、というたたずまいである。食事の間中、キース・ジャレットは穏やかな口調で話してくれる。気さくな物言いで、丁度サンフランシスコでのコンサートから戻ったばかりだ、とのこと。サンフランシスコは生気を失いかけていないか、尋ねてみた(この時、1987年秋は、北米を襲ったエイズの猛威がピークに達していた)。「とんでもない」彼はそう答えるのだ。「それどころか、ハツラツとした感じですよ。」もしかしてその、ハツラツとした感じとは、やがてくる急転直下の兆しかもしれませんよ、と私は返す。キース・ジャレットは顔を上げると、少し間をおいて、私に向かって、アメリカ人というのはそういう風には考えない、それはヨーロッパの人間の考えにすぎない、と言う。 

 

食事が済んだ後、ジャレットは私に、家の中を案内してくれる。今まで居たリビングルームは、天井が低く、年季が入っているせいか少し歪んでいるように見える。リビングルームをでると、暖かい一室へ通される。物がいっぱいだ。見た目は小綺麗に片付いている(本当は無造作に置かれているだけかもしれないのだが)。窓辺にはどデカい年代物のテーブル、彫刻が数点、座り心地が良さそうな布張りの椅子が2,3脚、壁際には太鼓が1つ、そして見るからに読み込んだと思われるような本の数々。そして上り下りのための、木で作った狭い階段。これらにまつわる思い出話をしていたジャレットが、言葉を止める。そしてじっと目を向けたその先を見ると、絵が1枚。ローズ・アンが描いたものだ。白亜色を背景として、筆をスッと走らせた1本の線が、黒い曲線を描いている。何かの文字の一部か、あるいは日本の書道の手法による断片的なものか、といったところ。この絵が放つ調和の取れた雰囲気や、このムダのない装飾品の自然なたたずまいは、キース・ジャレットの音楽面でのアプローチ全体を表すものと言えよう。 

 

だがこれを見て、ビル・エヴァンスや、彼がかつて、自身も要所でレコーディングに参加したマイルス・デイヴィスの伝説的アルバム「カインド・オブ・ブルー」のカバーに書き記したことを思い出す方もいることだろう。彼はこの録音のインプロヴァイゼーションの数々と、水墨画とを比べてみせた。水墨画とは、中国発祥の、墨を用いた白黒の画法で、仏教徒が14世紀に日本に持ち込んだものである。禅宗が網羅する芸術のひとつと見なされており、描く者が自発的に描いてゆくことが必須とされていた。専用の特殊な筆と、それから黒の墨汁を用いて、非常に薄い羊皮紙か、ライスペーパーといってこれまた非常に薄い上質紙に、線を描く。そうすることで、描き手の意図的な筆使いや筆の「止め」によって、作品を台無しにしてしまったり作業が途中で中断されることが無いようにするし、紙が破れて穴が空くようなこともなくなる。一旦筆を走らせたら、取り消しも変更もできない。水墨画を描く者達は、外からの「雑音」に心乱されることなく、自らの両手との本能による結びつきを通した表現、という発想を可能にするような掟の中で、その腕前が鍛え上げられてゆく。彼の芸術面での心情がここに具現化しているかのようである。 

 

今度はスタジオに案内される。ここでは重要な作品の数々が収録された。その中の一つ「スピリッツ」は、付近のアパラチアの山々にいる鳥たちが、自由に歌うが如きインプロヴァイゼーションを擁する。彼が「価値ある作品」としているのはこういうものであり、高度で恣意的な要素を音楽に持ち込むことには、あまり価値を見出していない。常に優先されるのは、ランダムにおこなうこと、決めてかからないこと、「これで完成した」と決して思わぬことだった。それは真の意味での、「限りなきこと」というやつだ。自主自由を基とし、自らの意思で行動するアーティうとは、ルール作りに時間を無駄にしない。そして勿論、それに従うはずもない。芸術作品とはルールに支配されることはない。芸術作品にとっては、ルールは除くべきものなのだ。 

 

ジャレットは丁度バッハのある曲を録音し終えたところだ。バッハは、ジャレットの生涯ずっとつきまとう作曲家となっている。自然現象を模すことが主流の時代だった。絵画など視覚に訴える芸術は、のちのベートーヴェンのように「心の内を表現する」ものではなかった。 

 

この夜は多くのことを語り合うことになる。音楽、インプロヴァイゼーション、ピアノ、それから細々と、例えば、たった一つの音が大きな効果を発揮する力を秘めている、などといったことが、話題にのぼる。リビングルームで、ジャレットは自分専用のラウンジチェアにゆったりと座り、穏やかなトーンで話をする。感情を表に出さぬような声の大きさで話さなければ、と思っていたのだろう。彼の中で言葉が生まれ、声帯をすり抜けて口から発せられる、その際にこれを吟味するべく、そういう心の内の声に、耳を傾けている、そんな様子である。全てがとても穏やかで、だが同時に、完璧に閉ざされた空気感である。こういうことは、非常に多くの偉人達にありがちな話である。そんな彼の様子を見ていると、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインの言葉が心に浮かんでくる「全ての偉大な芸術の中には、野に息づく動物が宿っていて、それはおっとりとしている。」 

 

翌日、ニュージャージー州オックスフォードの彼の住まいを後にする。秋が深まっていて、しかし外は寒いということはない。木々の葉は、ほとんどが大地に散ってしまっている。その木々の茶色い樹皮、そして葉が散りばめられた湿り気のある土、それはさながら、ゲオルグ・トラークルの詩に描かれた風情である。これは自然の営みか?これとてもジャレットの芸術の為せる技なのか?あるいは全く逆なのか?かつてトルストイが、ルツェルンの街について描いたもののように、こうした姿は、ハッキリとしたものではないこのトルストイの文章を引用しているのは、フェルッチョ・ブゾーニだ。彼は著書Entwurf einer neuen Asthetik der Tonkunst」(題意:音楽の新たな美的感覚を描く)でこれを、音楽がいかにして真の本質的な価値改めて見いだし、そうした上で、知識を振りかざし、声を荒げ、美学にふけるような教条主義的思想からの解放を実現するのだ。「湖の水面でもなく山あいの中でもなく空の上でもないところにある、1本のまっすぐな線、濁りのない色、あるいは適切な間を取るポイント ― ひたすらに動き続け、お決まりのパターンにはまらず、移い気で、多様性があり、終わることのない流れが、闇の中かららやってくる。そして静穏で、優しくて、調和を持って、そして美しさを求める気持ち。」 

 

トルストイが心に描いた夢と同じ夢を芸に長けた者達それも、誰もが思いつくであろう、あらゆる人間集団古今あらゆる時代あらゆる分野で活躍する者達も、ずっと抱いている。ベートーヴェンジョン・ケージラヴィ・シャンカールカーラ・ブレイマース・カニングハムボッティチェリオーギュスト・ロダンイングマール・ベルイマンジミ・ヘンドリックスや尹伊桑、トム・ウェイツにシャンドール・ペティフ、ヴェノザ公であったカルロ・ジェスアルドやプッチーニ。そして、キース・ジャレット 

 

 

 

ディスコグラフィー 

 

ディスコグラフィーの時系列は、演奏が実施された年月日によります(音源リリースの年月日ではありません)。演奏実施から音源リリースまでが、2年以上間があいている場合のみ、リリースした年月日を記載しています。ジャレットの作品の大半が、ECMレーベルからのリリースである関係上、ECMレーベルのものから先に記載し、これより以前の他のレーベルの作品は、その後に記載しています。なお、試供品、アンソロジー、再版は、記載していません。 

 

 

【ブックカバーより】 

 

著者ヴォルフガング・サンドナー 

1942年生まれ音楽学現代史イタリア語学ぶフランクフルト総合新聞社にて音楽部門の編集担当を30年にわたりつとめ、現在に至る。ドイツ連邦共和国マールブルク大学教授。これまでにマイルス・デイヴィスやハイナー・ゲッペルスアルヴォ・ペルトなど、様々なアーティストに関する文筆を手掛ける。 

 

英語版訳者:クリス・ジャレット 

1956年、米国ペンシルバニア州アレンタウン生まれ。キース・ジャレットの末弟である彼は、自身も世界的に活躍するピアノ奏者、オルガン奏者、作曲家である。現在、ドイツ連邦共和国ヨハネス・グーテンベルク大学マインツにて教鞭をとる傍ら、ピアノやオルガンのリサイタルツアーも精力的に行っている。