about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

「Moving to Higher Ground」を読む 第8回の5:ビリー・ホリデー/ジョン・ルイス

ビリー・ホリデー 

 

まるまる1年間ずっとビリー・ホリデーばかりを聴いていた時期が僕にはあります24歳かもう少し後のことかもしれません僕は彼女自身のレコードや、ライブなどでの他のアーティストが演奏する彼女の楽曲を、ぶっ通しで聴き漁り、彼女の根っこはどこにあるのか、を解き明かそうとしました。そして、とても興味深いことが聴いてゆくうちに明らかになりました。 

 

彼女は、歌える音域が限られており、器用さもありませんでした。スキャットを歌わず、正確には、ソロと言えるような歌い方もしませんでした。ソロはメロディをそのまま使い、事前練習の通りに歌いました。彼女はルイ・アームストロングの影響を受け、彼女の演奏を聴いていると、時計が刻む時間の流れに乗っているような気分にもなります。バラードやトーチソング(失恋哀歌)を歌う時は、より深い意味を吹き込み、的確なリズムの下、どんな店舗の曲でも熱のこもったスウィングを効かせました。悲しい歌を心躍るように - 彼女のサウンドに込められた、この重要なパラドックス(逆説)が、彼女の音楽作りを内容豊富にしているのです。 

 

彼女の退廃ぶりは、周知の通りです。レイプ、売春、アル中、薬漬け、虐待、あらゆることに打ちのめされ、キャバレーカード(キャバレーで働く人の公的身分証明書)まで取り上げられてしまい、職を失う。彼女が受けた偏見は、尋常ならざるものでした。こんな目に遭って、「人生をハツラツと」なんて、無理な話です。でも彼女の一番の凄さは、ここではありません。ありとあらゆることで虐げられた人生を送る人は沢山います。その中でビリー・ホリデーのような歌を歌える人など、誰一人いないでしょう。そう、彼女のサウンドには悲しみが込められています。しかしその核心には、前を見据える気持ちがあるのです。 

 

僕はレディ・サテン」が大好きです彼女の遺作となったものです僕が幼かった頃父がよく演奏しました。「全盛期の彼女の肥えの面影が、ほとんど残っていない」として低い評価を与える人達もいますが、僕にしてみれば、「メッセージの伝え方より、その中身を重要視されることもある」ということを教えてくれる作品です。ビリーは、スウィングの効いた甘美な表情で、沈痛な感情を醸し出せています。甘い物に塩を少し加えると、甘さが増します。苦い物に砂糖を少し加えると、苦味がひきたちます。彼女の表現はこんな感じですね。 

 

おススメの銘盤 

 

レディ・デイ:ビリー・ホリデー全集(コロンビアレコード版)1933年~1944年 

 

ビリー・ホリデー全集ヴァ―ヴレコード版)1945年1959年 

 

レディインサテン 

 

 

ジョン・ルイス 

 

時々ジャズに取り組むにあたって自分は元々不良っぽかった、と吹聴したりするミュージシャンを見かけます。「ウチら、繁華街育ち。さんざんケンカもしてきたぜ」、という伝統みたいなものは、ルイ・アームストロングジェリー・ロール・モートンマイルス・デイビスなんかに見られたものです。でもマイルスなんかですと、本当は彼の父親は歯科医で、尚且つ農場を経営して人まで雇っていたのですが、マイルスはそれを知られたくなかったのです。しかし、そんなルイ・アームストロングみたいな育ち方をしているミュージシャンばかりじゃないって、思いませんか?みんなが修羅場をくぐってこなくてはいけない、となると、誰もミュージシャンになれなくなってしまいますよね。 

 

ジョン・ルイスはジャズミュージシャンに相応しくない、と考える風潮が、音楽ライターやミュージシャン達の間にありました。彼はヨーロッパ音楽を好み、それを公言していたこと、そして、彼の音楽作りが非常に明快であったこと、更には、アル中でもシャブ中でもなければ、バカでかい声で話すでもない、どんな病気にかかっていたかなどと調べる必要もない、等々が、その「相応しくない」理由、とされています。でもそんな理由は全て、彼の遺した音楽が信じられないほど質が高いことを見れば、関係ないことがわかるというものです。彼が最後に制作した2つのCD:エヴォリューションⅠとⅡは、まるで素晴らしい詩集のようです。 

 

 

「ジャズミュージシャンに相応しい」云々については、僕はある時父に、自分の音色がジャズを吹くにはクリア過ぎるかどうか訊ねたことを覚えています。 

 

父が言ったのは「そもそもジャズの音色って何だよ?」 

 

「だから、ルイ・アームストロングの音色とかだよ。」 

 

「ポップスの音色はクリアじゃなかった、ってのか?大体、ジャズの音色なんてものはないだろ。あるのは『音色』だろが。」 

 

これをジョン・ルイスは理解していたのです。彼は、それまでジャズやジャズミュージシャン達に付きまとった、多くの固定概念を超越した人でした。彼は常に物事の核心を突いてきます。彼の存在そのものが音楽でした。初めて彼と、あるコンサートで共演した時、終わり一時間半のところでヘトヘトになってしまいました。そもそも僕は、若手で音量とスタミナバリバリのミュージシャン達については、どんなジャンルの子とも共演するのに慣れていました。そういう子達と本当の体力勝負の演奏になっても、こちらは何とでもなるのです。でもジョン・ルイスは、彼の集中力がすごくて、僕はヘトヘトになってしまったのです。何度一緒にリハーサルをしても、彼がその後の本番に持ち込む真剣味のレベルが予測できません。「真剣味」というのは、一瞬一瞬に注ぎ込む、彼の音楽的に意図するところのことを言います。彼が聴き取り、そして発信する、それらは全てが本質的であり、全てに意味があるのです。先ほど「一時間半」といいましたが、その間ぶっ通しで、奏でられる音一つ一つすべてに、ということです。ピアニストであるジョン・ルイスが居る場所は、「ピアノの泉」であり、僕はその中に浸かっていて、彼の集中力のド真ん中に居ると、そのエネルギーによってヘトヘトになってしまうのです。例えば、日なたに長時間居座るとします。自分では意識しなくても、一時間半も経って気がつけば汗だくになっていることでしょう。ジョン・ルイスは、汗だくにさせる太陽だ、というわけです。 

 

彼と僕が以前一緒にやったことのある本番の一つが、ディジー・ガレスピーを記念してのもので、場所はニュージャージー州。よくある、トランペット吹きがワンサカ、ベース弾きがワンサカ、この時は250人位集まっていました。ステージに全員が上がって、「ラウンド・ミッドナイト」を演奏する、という企画です。全員鳴らしまくってくることは分かっていました。サウンドがキチンとかみ合わず、大事故になりかねない状況です。演奏を始める前にジョンの方を見て思ったのが、今でも忘れません「こんなコントロールの効かない状況で、彼はどうするつもりなんだろうか?」。彼が40年間率いたモダンジャズカルテットは、全体のバランスも、個々のプレーヤーの音量も完璧でしたからね。まずは僕のヘタクソなソロ、とにかくこのバカデカイ音をかき分けて聞かせなきゃ、と、躍起になって吹きました。次にジョン。なんと彼は、いつもと全く同じ弾き方をしだしたのです。途端にステージ上の全員が、ストンと音量を落とし、彼のソロが聞こえるようにしたのです。その日一番の拍手喝采をさらったのは、当然彼でした。 

 

彼が何をしでかしたのか、説明するのが難しいのですが、彼のアプローチからは、自分の信じる価値観やクオリティをしっかり持ち続けることの力のすごさを、教わることが出来ます。僕が的外れなことを吹くと、彼は首を横に振ってこう言ったものです「色々変化球を投げてくる前に、自分が旋律を吹いているんだ、ということをキチンと自覚したまえ」。彼は一度、僕が主催するジャズアットリンカーンセンターオーケストラを指揮してくれたことがあります。この時はデューク・エリントンの音楽を取り上げたコンサートでした。僕はプレーヤーとしては参加せず、聴いていたのですが、自分が普段率いている子のオーケストラが、こんなにもコントロールが効いてバランスのとれた演奏をしたのを、初めて耳にしました。サックスのヴェス・アンダーソンに訊いてみました「彼はどうやって、皆のバランスをとって、スウィングバリバリの演奏を聞かせたんだろう?」。ヴェスは、こう答えました「じっと立って、こっちを見つめていただけさ。ウチらは自分の下手さは自覚しているから、彼がこっちをじっと見て、ちゃんとした演奏をするのを待っているなら、そうするしかなかった、ってことだね」。まさにこれが、名人の持つ神通力、というやつです。 

 

本番の度に、彼はこういった内容豊富でコンパクトなテーマを音にしてきて、僕達メンバーにそれをキチンと対処するよう、譲りません。何があってもね。彼とその音楽についてこさせるのです。いつもの口調で語りかけ、視線をそらさず見つめ続けると、その圧のせいで、自分の邪念が露呈されてしまう、そんな感じです。デカい態度はとれなくなります。何も言わず、自分の思いと立ち居振る舞いをちゃんとしろ、でなければ立ち去れ、ということです。彼との演奏は、こんな感じです。舞台上ではキチンと演奏しろ、でなければハネとけ(降壇しろ)。 

 

彼はこんなことを言ったこともあるかも知れません「このレコードを聴いてみなさい。ネタが増えるだろう。そこから学ぶんだ」。インプロバイズされたソロを展開してゆくのは、魚釣りと同じだ、彼はよく言っていました。「船に釣り上げて、何匹かは水の中へ戻す。でも時々いいのが上がったら、夕食のおかずに取っておく。ちゃんとさばいて料理してやれば、その魚は浮かばれる」。 

 

型にはまらないのが、ジョン・ルイス。デューク、サッチモ、あるいはテディ・ウィルソンのスタイルだってお手のもの。しかし自分は見失わない。ところが彼は、ビーバップの最初の世代の一人でもあるのです。彼はディジー・ガレスピーのビッグバンドのピアニストであり、優れたアレンジを書き、そして彼自身もバンドリーダーとしてモダンジャズカルテットを率いました。色々な芸術分野の知識を多く持ち、何につけても博学であり、誰よりもブルースとは何かを理解した人です。ところで彼の自己表現からは、ブルースにつきまとう負のイメージを感じ取ることがありません。型にはまらないのがジョン・ルイスミシシッピ州あたりでギターを抱え、他人の女に手を出して、わざわざ人生を台無しにするような輩とは無縁。しかしブルースを知り尽くす彼は、いつでもどこでも、ブルースを表出して見せたのです。 

 

ジョンは真実一路の生き方にこだわりました。率直に、誠実に語りかけ、それはそのまま演奏にも反映されるのです。こんなことを言ったら聴く側は気に入らないかな、と思いつつ言葉を発したなら、彼は必ず相手の返答を待ち、そして彼はそれに対して更に応えてゆきます。時には彼はひとを褒めちぎることもあります。ウソを決してつかない人ですから、本心からそう思ってくれていることが、すぐに分かるのです。 

 

彼は奥様のミリアナさんをこよなく愛しました。本番があれば、彼女の評価が下るまでは、終わったことにはなりません。僕は二人が持つ独特の雰囲気に浸りたくて、よくアパートに押し掛けるのが好きでした。彼は彼女を頼りにしていました。彼女もミュージシャンで、素晴らしい音楽性を持ち、彼女もまた彼をこよなく愛し、そして知的で洞察のあるコメントを彼に与えるのです。二人が一緒にいるところを眺めているのは、なかなか面白くて、お互いに相手を困らせるようなことには関わらず、音楽を愛し、芸術を愛し、お互いを愛する、それがこの二人です。 

 

僕はよく彼のリビングで楽器を吹きました。彼は座って、楽譜を広げると、協奏曲か何かをキッチリと弾くような感じで、あらゆるジャンルの曲を弾きだすのですが、何と広げた楽譜とは全然関係ない曲だったりするのです。彼のサウンドは澄み切っていて美しく、一つ一つが真珠の様でした。本当にその楽譜をしっかりと弾いているかのような素振りに、時々僕は笑ってしまいました。そして彼も弾きながら歌いだします。ある時弾いている彼に、そんなの楽譜に書いてありましたっけ?と訊いてみたら、彼は「ほら、吹き損ねているぞ」といって、すましてスウィングし続けるのでした。 

 

おススメの銘盤 

 

モダンジャズカルテット MJQ 40年 

 

エヴォリューション 

 

エヴォリューションⅡ