about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)6章pp.97-102

同じ年、そしてこのアルバムが、いわばジャレットとアイヒャーの二人の「手元に転がり込んできた」その後で、キース・ジャレットは180度方向転換をして周囲をアッと言わせた。マンフレート・アイヒャーに刺激を受けた彼は、ドイツのウンターアルゴイ郡へ向かった。ドレイファルティゲイトゾルゲルという、オルガンを見にゆくためである。カール・ヨーゼフ・リープがオットーボイレンのベネディクト修道院のために作った2つのオルガンのうちの一つだ。このプロジェクトは、彼にとっては自分のやりたいことが、理想に近い形で達成できたものと思われる。彼は曲作りの最初の一発目の音から、実際の楽器を使って鳴らすことが出来た。この楽器に触れるにあたっては、自らの知識をフル活用できる状態で、瞬間ごとの思いつき、直感、そして彼の音楽的才能の導くがままに、これに臨んだ。2つのコラールのような「賛美歌」が、9つの楽章から構成されるSphere(音楽の天球)」を、取り巻くようにアルバムの最初と終わりに配置されている。。明確な形はなく、音の変化を頼りに、音色を基軸にした曲の組み立て方は、非常に今風の印象を与えるのだが、それでも、ハーモニーが分かる状態に作ってある。 

 

キース・ジャレットがこの楽器魅力として感じたであろうことが、2つある。一つは音量幅。もう一つは音色の数。音色については、このオルガンには50本のパイプがあり、彼は自分の望む効果を出すために、パイプを半分だけ抜き差しするなどしてた。これにより無限とも言える数々の音色を産み出していた。新たなサウンドを開拓しようとする「賛歌」の収録曲は、「ステアケイス」に通じるものがある。「ステアケイス」との違いは、曲、というか「歌」と言っておこう、「ステアケイス」は卓越したピアノが「歌う」様々なニュアンスであるのに対し、「賛歌」のほうは、音色が「歌い方の構造」を決める要因となっていることにある。これら音色を主軸に曲を作るやり方は、アルノルト・シェーンベルクの「5つの管弦楽の為の小品」作品16の、第3曲で、従来の手法によるメロディの作り方ではなく、代わりに音色やリズム、曲想といったものでこれを作ってゆくという方法に、似ている。この手法について、シェーンベルクが「5つの小品」作曲後に語ったのが「和声の変化は、ほんのかすかに。新しく別の音色を持つ楽器が入ってきても、その「入り」は角が立たないように。新たな和声の色合いだけが耳に入ってくるようにすること」とある。この「音色旋律」は、シェーンベルクの考え出したものだが、これが数多くの花実を結ぶのが、この手法を自分の作品全てに使用した作曲家アントン・ヴェーベルンである。対するキース・ジャレットの作品群も、同じ様な音色変化の付け方を踏襲しているが、こちらは調性を持つサウンド作りであり、一つ一つの音色が次々と重なってゆき、音が分厚くなってゆくやり方をしている。醸し出される雰囲気は、特にサウンドの変化があまりにも微小すぎる中でリズムカルな動きが殆ど見られないといとうところが、ジェルジ・リゲティの作品である「ヴォルーミナ」(オルガン曲)や「アトモスフェール」(当時革新的とされた音の多重構造をもつ管弦楽曲)に、極めて近い。古典派・ロマン派の言うところの曲の展開方法は、ここでは全くお呼びでなく、ただひたすら、サウンドが変化してゆくのみである。ハッキリとしたリズムも、この音の風景にある流れには存在しない。休符も、途中で曲を遮るようなことも、「どこへいってしまったの?」と言った具合である。 

 

このように音の振動が続くさなかで、全く止まる気配のない音がいくつか存在し、それらが結果として、オルガンのパイプを一本残らず使い尽くし、音が積み上がった巨大な山と、何層にも重なったハーモニーが生まれる。ジャレットがこの音の層(あるいは音の層が積み上がった山)を動き回る様は、地層調査員か、はたまた魔法使いの弟子が自分の拙い魔法でやらかしたことに途方に暮れつつも、積み上がった音の塔から脱出する出口を探し続けているかのようである。出てくるサウンドによっては、様々なオルガンのパイプを厳正な方法で使用した結果のものもあれば、逆に無謀な方法で使用した結果のものもある。とくに鮮明なのが「賛歌」2曲目の第7楽章で、長い持続音からの始まり方は、ラ・モンテ・ヤングという、最小限の手数で圧倒的な効果を生み出そうという様々な作曲法の、大親分のような作曲家がいるが、ジャレットが弾いているその後ろからじっと見ているかのようである。基軸となる音がいくつか会って、そこにまた継続的に鳴り続ける音が、周りに組み立てられてゆき、ついには、様々周波数に分かれるいくつもの音と、色々な和音がぶつかって生まれた圧とで、ちょっと聴いただけでは理解不能な混沌とした状態が発生する。恐らく、こんなグロテスクな音の積み重ね方を、ジャレットに吹き込んだと思われるキッカケがある。1975年、スイスのベルンに立ち寄った時のことだ。この時ジャレットは、マンフレート・アイヒャーの自家用車で、ローザンヌからケルンのコンサート会場へ向かう途中だった。昼間、街中の教会の尖塔という尖塔から次々と鳴り響く鐘の音、それも倍音(訳注:本来音の5度等上の音が聞こえること)豊かな響きに、ジャレットもアイヒャーも感銘を受けた。キース・ジャレットはこの時、いずれ何かのレコーディングで背景効果でこれを使ってみたいと、興味を示したという。 

 

先程も書いた通り、「賛歌では2つのコラール前奏曲」が、最初の曲、最後の曲として配置されそれが9つの楽章からなる「Spheres」を囲むようになっている。ところで、従来型の「大昔の音楽」が何か絡むのは、「前」座で演「奏」する「曲」としての「コラール(賛美歌)」である、ということの説明、それだけである。他は何も絡まない。前奏曲だの、トッカータだの、フーガだのといった、典型的なパロック音楽の名残が、何かあるかと言えは、全く無い。この音楽が人を感動させないなど、ありえない話だ。この曲の大半は、文字通り、初お「耳」えであり、驚嘆に値するものであり、他に類を見ないものである。だがジャレットの演奏から受ける印象といえば、あらゆる音楽ファンのために、というよりは、自己完結が目的、といったところだ。この手の話は、別の作品についてだが、マンフレート・アイヒャーがかつて言った言葉をここで紹介しようと思う「本作品が届くのは、ファンの心の中までではなく、その手前までである(直訳:この音楽は、聴衆に届くことを期して作られたではなく、この世に存在させるために作られたのである)」。 

 

3年後キース・ジャレット再びオットーボイレン訪れる。ここで修道院のオルガンとソプラノサックスによる、7部構成の「インヴォケイションズ」収録のためである。これは2枚組LPとしてリリースされることになるが、もう1枚が、奇妙な組み合わせとなった。前年にすでにスタジオ収録してあった、5部構成のピアノソロで「蛾と炎」である。今回の訪問は、オルガンサウンドの研究が目的ではなく、自分の持ちネタとして、その音質を利用して明確な曲の構造を作ってゆくために、インプロヴァイゼーションと作曲と両方のために、オルガンを弾くためであった。「賛歌」の時は、ジャレットは、オルガンの持つサウンドの可能性を引き出すことに執心したことは明らかで、「インヴォケイションズ」では、その様々な音色を、形式を用いる曲作りに活かそうとした。「インヴォケイションズ」では、オルガンを補うのがサックスのソロ。役割としては、教会の牧師のようなもので、神の御加護を得て問題を解決しようと、礼拝に集まる人々を励ますようである。どちらかと言えば暗い雰囲気を醸し出すオルガンが奏でる音楽が、時折サックスがかぶさってきながら、2拍子から6拍子で聞こえてくる。この暗い雰囲気は、第2部でも聞こえてくることとなる。ここでは、低音のオスティナート(訳注:同じ様なリズムの繰り返し)が、仏教の寺院に経典が刻んである車輪があるが、それを連想させる雰囲気を創り出す。これをベースとして、サックスは短いフレーズを何度も繰り返し、時折不規則に、歓声を上げるようなモチーフが飛び出す。ほどなく、セメントミキサー車か、あるいは工場を彷彿とさせるような、分厚い音が鳴り、その上に乗るように、強力な主音域によるサウンドが響き渡り始める。次に、形が全く見えないパッセージが現れる。ほとんど性格が変わってしまったサウンドに彩られており、明らかに第5部(全体の中間部)が、それまでと明確なコントラストを付けて入って来れるようにすることを目的にしている。この時、オルガンは、なかなか動き始めないタービンエンジンのようなサウンドを聞かせ、サックスがそこに加わってくるメロディが分裂したものは、ガーシュウィンの「サマータイム」(ポギーとベス)を彷彿とさせる。その後、攻撃的な音の塊が現れ、そしてその塊が崩れ、神聖はオルガンは町中に響くオルガンに堕してゆく。この間サックスは、神様から昇天を約束されたが如く、音の流れに揺られたゆたうようである。 

 

このオルガン曲と、ピアノ曲である「蛾と炎」が、なぜ2枚組LPとなったのか、音楽ファンにしてみれば、ハッキリした理由がわからないところだ。おそらく、キース・ジャレットというアーティストがもつ力量の二面性をアピールしようというのだろうが、それならもっとマシな組み合わせがあろうというものだ。なぜなら明らかに、「蛾と炎」つまりピアノの方は、キース・ジャレットのキャリアの中では、ソロの傑作の部類にはいらないからだ。彼の燦然と輝く数多くのライブ音源と比べると、「蛾と炎」は、あまりに異質で、かつその価値も落ちる。この組曲の「パート1」のインプロヴァイゼーションが使用する、変に飾り立てたモチーフは、切れ目なく変化してはまた作り変えられるのだが、めぼしい展開を見せずに終わる。キース・ジャレットの、ライブでもスタジオ録音でも、よく耳にするような、良く言えば極めて親しみやすい、色々なフレーズが次々と飛び出してくる狂詩曲のようなものだ。モチーフがアラベスク模様のようになり、まずはファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」を彷彿とさせる牧歌的な情景を描き出す。そして鋭い切れ味のコードでバラバラになると、「パート5」ではキース・ジャレットの独自性が真骨頂を発揮する。そこまでの間、パート2では民族音楽風で、パート3では突如ジャズ・ロックが入り、パート4になるとそれまでより和声が洗練されてくる。ベートーベンのようにマッチョな骨太で、マヌエル・デ・ファリャのように金細工のように繊細な、そんなピアノが聴きたければ、「パート5」がうってつけである。 

 

2度目のオットーボイレンでのオルガン演奏の前に、キース・ジャレットは、とあるピアノソロのレコーディングを行っている。これが後に、このジャンルでは当時最高のリリース数をはじき出すこととなった。この分野の専門家達は、概ね揃って否定的な反応を示したものの、事実上、キース・ジャレットと、そのプロデューサーのマンフレート・アイヒャーが、独自のレコード制作のカテゴリーを確立する力があることを、証明することとなった。1976年の、キース・ジャレットの日本ツアー中に行われた全5回のソロリサイタルをまとめた「サン・ベア・コンサート」が制作される。音楽業界は、この会社は、自ら「帰らぬ人」となることを選んだと見た。だが音楽ファンとレコード収集家達は、自らを「変える」ことを選んだ。この10枚組LP、後に6枚組CDは、現在まで長きに亘り注目を集め、この大事業の歴史的価値は、誰もが当然であると認めるところである。キース・ジャレットは毎晩でも、ゼロから音楽を紡ぎ出せる、そう認めたくない人も、この5回のコンサートの記録を、客観的な証拠として受け入れればよいのだ。11月5日、8日、12日、14日、そして18日、会場には、伝統的に演者に対して敬意を払うとされる、日本の聴衆が詰めかけていた。そんなホールにて、キース・ジャレットはピアノに座り、場の空気感と、自ら発信する音楽観に、その身を任せることで、自らを刺激し、インプロヴァイゼーションを始める。それは、全てを集中し、一瞬で音楽の垣根を消し去り、常に新しいものを生み出すという、他に比類なき演奏であった。 

 

本収録のスケールの凄さを、いきなり鮮明に示すのが、初日の京都公演の、45分間ぶっ通しの演奏である。まず小さなメロディの断片が、3度のインターバルで繰り返されると、これがインプロヴァイゼーション全体の中心的なモチーフ(ライトモチーフ)となる。これは後に、シンフォニックな様相を帯びてくる。イメージとしては、ベートーヴェンの「運命」や、ブラームスの第4交響曲の、それぞれ第1楽章を思い浮かべていただければよい(少なくとも、音楽の核となるものが、その複合体へと発展してゆく様子のことである)。勿論ここでは、ソナタ形式との二元論については、全く関係ない話とする。一方、大阪公演では、演奏の出だして聞こえてきたのは、アメリカの歌謡曲か何かをひねったものと思わせるもの。だがこれはキース・ジャレットのトリックで、古典派だのロマン派だのといったピアノの弾き方に浸りきっての「惑わし」である。ひとしきり自由に序盤を終えると、京都公演での小さなモチーフが、左手から流れてくる。だが出てくる音楽は、京都公演の時とは真逆。一つの地味なモチーフから、壮大な音楽も、歌謡曲も、両方ござれと、ジャレットが見せつけているようである。ところがここで一転、リズムの重厚な、シンプル極まりないモチーフの数々と、オスティナートへと方向転換する。京都公演に続き二度目に登場のライトモチーフは、ここでお役御免、本番終了まで舞台裏へと消え去った。 

 

 

数日後の名古屋公演では、京都/大阪公演でのイントロのことは、すっかりキース・ジャレットの頭から消え去り、代わりに、力強く、分かりやすくて、メロディを軸に据えて様々に展開してゆくというスタートを切る。これに左手で軽く伴奏がついた。京都/大阪公演と比較すると、抑制の効いた瞑想的な音の風景が、展開してゆく。ここでハッキリ聞き取れるのが、ジャレットはその時々の楽器に特有の性能品質を把握するやいなや、自然にそれを活かして、自分の演奏を組み立ててゆく、ということ。名古屋のピアノは、高音域が素晴らしいと判断し、左手から離れた音域でのフレーズや、メロディを構築する際にこの音域を組み入れていくことに集中した。そして彼は演奏に興じるあまり、歌い出す(というか、唸りだす)。そして、会場のピアノの高音域の輝かしいサウンドを駆使し、無調音楽が展開し、演奏が進むにつれて、バルトークの「アレグロ・バルバロ」を彷彿とさせるものとなっていった。気づけば彼は、20世紀初頭の大作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンの「ピアノのための小品」を彷彿とさせるような、といってもその「影」程度であるが、いずれにせよ、彼ならでは、ほんの小さな雫から、一曲仕上げてしまう彼の音楽づくりは、何度考えても素晴らしい。終盤に向けて、冷淡であるも素晴らしいアヴァンギャルド風から、ロマン派のウンと端っこをかすめて、最後は柔らかくシメている。 

 

 

2日後の東京公演は、出だしは更に親しみやすく、そして今までより素っ気なく始まる。今度は全てが内向きで、会場のファンは、ジャレットが、今度は表現も抑えて、卓越した技も封印し、外界をシャットアウトして自分の世界に一人こもった、と思ったであろう。今回は先の3公演とくらべると、大人しめか、と思いきや、後に更に本領を発揮する。いつもは外さない音や、間違えない指使いがあった(あくまで超名人レベルでの話)時だけ、顔に出ている。演奏開始から8分ほど経ったところで(まだ内向きモード)、小さな装飾音符が演奏され、これをキッカケにオスティナートを弾き始める。しばらく弾いた後、いよいよ自分の殻から脱出し、外へと繰り出す。ここからは、いつも通り、多彩で、驚き満載、ジャレットの百科事典なみの頭の引き出しは、先の3公演で実証済みである。そして勿論、彼が絶対に外せないのが、ジャズのルーツへの回帰である(アフリカ系アメリカ人の演奏に見られる、一種の恍惚状態)。ゴスペル、そして働く人の為の歌に盛り込まれた、コテコテのブルーノートに自ら浸るのである。 

 

 

 

 

最終公演は札幌ジャレットのパフォーマンスは穏やかに始まるまるで素朴な昔のお話でも語るかのような感じである間違いなく5会場の中でもっとも「もったいぶた」始まり方であるが、こんな8小節単位で、昔ながらの長・単調を駆使したハーモニー進行が、いつまでも続くなど、誰も思うわけがない。そして間もなく、ジャレットは今まで聞かせたことのない、ひたすら繰り返すモチーフを持ち出して、新しい「お話を語りだす」。そしてすぐさま、この不安定な動機から抜け出す道が目の前に現れると、ジャレットはいよいよ自由に、新しいメロディやハーモニーを拾い集める道へと繰り出すのである。 

 

サン・ベア・コンサートレコードが克明に記録した、次々と飛び出す音楽の様子は、正に内容に底なしの様相であり、思い描くネタを発揮するのに、1秒の1/3もかからない、といったところだ。日本で5夜インプロヴァイゼーションの公演を行った、とうことは、5回全く違うプログラムをこなしたということだ。自分もインプロヴァイゼーションをやってみようかな、と思う人は、きっとキース・ジャレットのマインドの凄さを思うと、憂鬱な気持ちになってしまうことだろう。いずれにせよ、なぜこんな事ができたかと言えば、一介の音楽プロデューサーと、一介の音楽家が、共に手を組んで、こういったレコード制作が全く出来ない市場の仕組みに、反旗を翻したことが全てである。どれだけ多くの音楽が、ちっぽけで、偉大で、あるいは独創的なアーティストたちによってインプロヴァイゼーションによって生まれても、みんな一晩で失われてしまうのは、それをわざわざ残して子孫に伝えようなどと、誰も考えたことがなかった、それだけの理由なのだ。