Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.114-118

1996年春、ジャレットは彼のトリオと共に、10回のコンサートを日本で開催し、その後モントリオールでのジャズ・フェスティバルと、ヨーロッパでの夏のフェスティバルにいくつか参加した。その中でも特に、フランスのアンティーブは、彼らトリオがこれ以前定期的に公演を行っていたところだった。10月になると、4回のソロコンサートがイタリアで行われた。開催都市は、モデナ、フェラーラトリノ、そしてジェノヴァである。いずれも大変顕著な成果を上げるが、その価値が初めて明らかになったのが、2017年にリリースされたライブソロ録音「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」である。ジャレットがコンサートを2部構成にし、それぞれの部はぶっ通しで演奏を行うというスタイルを取る最後の公演である。これより以降の録音すべて、すなわち「レイディアンス」(2002年)から「ブダペスト・コンサート」(2020年リリース)までは、それぞれの部の中で、曲間の間が取られている。 

 

4枚組CD「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」では、初期に作られた数々のライブ音源のように、これまた信じられないほどに複雑な音楽が、聴く者の耳元に提示される。ジェノヴァでのコンサートでは、冒頭で、熟しきった果物のようなサウンドの房が、「バルトークの木」から落ちてくる。更には、濃厚濃縮なビ・バップ風のリズムフレーズの原型が、ムクムクと膨れ上がり巨大なサウンドに成長する。その様は、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」という有名な木版画を彷彿とさせる。いつドバっと崩れ落ちて、何も知らない聴き手に降り掛かってきてもおかしくない状態だ。フェラーラでのコンサートは、第1部で、次々と発生するハーモニーは、どれもすぐには協和音へと解決せず、隙間ごとに、アラベスク模様のような珠玉の音形が、演奏されるというか、飾りつけられている。聴き手の期待がますます膨らむ音楽の始まりである。キースの両手は見事なパ・ド・ドゥを踊り、これに寄り添い続けるのは、足踏みと切り裂くような声だ。面白い4声の対位旋律が現れる。洗練されたポリフォニーを得意としたバロック時代の、超一流の作曲家でも思いつかなかったであろう程の出来映えである。締め括りは、超現実的で、悲しい気分が漂う。ジェノヴァの第2部冒頭と似てないこともないような雰囲気だ。ロバート・シューマンぐらいしか思いつく作曲家は他にいないであろうこの部分は、ケンタッキー州の蒼き草原を歩く気分である。 

 

更に、こういった魅力的なサウンドの数々とともに、あらゆる音楽形式を隔つ壁を全て取り払った上での、自由なインプロヴァイゼーションが、どれほど意欲的な取り組みであるかを、聴き手が、とりわけ特にまざまざと思い知らされるのが、トリノでのコンサートのパート1(演奏時間40分)である。様々な音楽形式を幅広く見てこなしてゆくジャレットの見事な手法とは、音と音の間を広く取り、コード進行を組み立てる上で幅広く和声を用い、モチーフやリズムのパターンを色々なところから採用するところにある。その様は、理想の音楽を求めて宛もなくそこかしこの袋小路に当たりながら彷徨っているようで、ジャレットのみならず彼の演奏を聴く方も、もがき苦しみ、強い気持ちを持ってこそ、その袋小路の数々から道を切り開くことができる。そしてこの点こそが、唯一困難を伴った箇所として。このアルバムに収録されている4つの重要なコンサートを通してジャレットが築き上げた、高々とそびえ立つ音楽の摩天楼の中に存在している。だがそれは、息つく間を取らない「ピアノの降霊術の会」ならではの、心身をすり減らす取り組みであり、キース・ジャレットほどのアーティストでも、いつも思いのままとは行かない代物なのである。「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」が2017年にリリースされた時、このアルバムが何を明らかにするか、そしてこの後に何が続くか、それは、公演時の1996年時点では、誰も想像すらできないことであった。イタリアでの公演後、約3年もの間、人々はキース・ジャレットから何も耳にすることができなくってしまったのである。 

 

キース・ジャレットの沈黙の日々が始まった。そしてその原因が、やれ、創作活動における若干のスランプであるとか、あるいは何らかの経済的な支障であるとか、そんなことではなかったと判明したのは、1999年。トリオで米国内と、その後、あまり乗り気ではなかったが、ヨーロッパで公演を行った後のことだった。ジャレットは「慢性疲労症候群」(筋痛性脳脊髄炎)にかかってしまい、このため彼は、全ての公演活動を取りやめることになる。だがそれだけでは済まなかった。この病気のせいで、彼は完全にふさぎ込むようになってしまったのだ。実はそれ以前から、彼はしばしば極度の疲労に悩まされていた、と、ローズ・アン(2番目の妻)は述懐する。1983年の8ヶ月半におよぶツアー中のこと、経済的破綻を回復すべく無数の本番をこなす羽目になった彼は、ノイローゼ寸前の状態であった。彼は腰痛が収まらず苦しんでいて、完全なる働きすぎであり、自分のための時間も全く取れず、ひたすら自分で体を壊し続けるのみであった。(1983年から)2年後、ついにノイローゼ状態に陥る。朝から晩まで自宅の前に座り込み、ボンヤリと虚空を眺めるのみとなった。彼を救ったのは、いわば音楽による自己治癒力によるものだった。引きこもった先は彼のスタジオ。そこで1ヶ月間、最低限の食料のみを持ち込み、睡眠もそこで取る中で、名作「スピリッツ」を同時に作り上げた。 

 

1996年末時点で、キース・ジャレットニュージャージー州オックスフォードの自宅内に引きこもり状態であり、慢性疲労症候群に苦しんでいることを知っていたのは、ほんの一握りであった。依然としてこの影響により、気力体力は奪われ、ピアノを弾くのは勿論のこと、日々のなんでも無い所作までもが、殆ど不可能になっていた。もう一つの病気の名は「進行性核上性麻痺」。命に関わる病気ではないが、かかってしまうと、揺り椅子にすわって空の鳥を眺めるくらいしかできなくなってしまうというものだ。だがジャレットは、この重荷を逆手に取って、仕事上の利益を生み出してやろうとしたのである。彼はまんまとそれをやってのけた。なぜなら、巧みな引きこもり方により、自身の精神鑑定を試み、常識に則った治療を施し、回復の道を探る自己意識を働かせた。程なく、「慢性疲労症候群」の原因が、活動過多に対する心身の反発からくるものと判明する。 

 

 

 

 

物事に全身全霊をかけるあまり、時に首すじを痛め、泥棒が警察から逃れるように日々の当たり前のことから身を遠ざけていると、ある時点で身体の組織全体が、無理に張り詰めて義務をこなしてゆくことを拒みだすのである。演奏家の歴史を紐解けば、人智の及ばぬ理由で身動きの取れなくなったアーティストは、ロバート・シューマンからレオン・フライシャーまで、枚挙にいとまがない。キース・ジャレットは自分の病気を逆手に取り、普段と真逆に音楽表現を考察したのだ。あらゆる技巧、考えうる対位旋律、音の集め方、モチーフの展開方法、こういったものを使いこなせない心身の状態にあって、代わりにその起源を見出すことになる。純粋に必要に迫られて、彼はメロディとそのサウンド自体についてのインスピレーションと向き合った。このアルバムは1999年にリリースされた。発症3年後であり、計り知れない努力と忍耐の賜である。「ザ・メロディー・アット・ナイト・ウィズ・ユー」は、キース・ジャレットにとっての「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じ。気取らぬバラードの数々は、アメリカで長く歌い継がれる歌の数々から元が採られている。飾らぬ方法で音の追求がなされていて、大げさで節操のないサウンド作りとは無縁である。そしてこれこそが、彼の演奏技術の面から言って、まだまだ伸びしろが残っている音楽の世界観なのである。アルバムを聴くと、ニュージャージー州の山々の麓にある彼の家で開かれた、昼の会に身をおいた気分になる。ジャレット自身によるこの音楽の説明を読めば、このムダのない平易な音符の裏に、その身を潜める自信満々のベテラン楽士が、ヒョッコリ顔を出して、最近の自らの実験の数々を利用し、素材の持つ美しいサウンドと、おなじみの彼の腕前とを併せて、自分のファンに新たな音楽の世界観を創り届けようという願いを育んでいたことがわかる。「元気モリモリな人は多くのことをやってのける。自分はたった一つのことをこなす力しか残っていない。その力は、禅の公案のようである。質素で、気品があり、ムダがない。この録音は、洗練された状態でなくともメロディを演奏する方法を示すものだ。ある意味、自らをジャズのハーモニーという頭でっかちで心が伴わないものから足を洗ったと言えよう。」 

 

彼の願いは、間もなく満たされることとなる。キース・ジャレットはついにステージに帰ってきた。まず、自殺行為とも言うべき、ソロインプロヴァイゼーションを伴うコンサートはご法度となった。代わりに、古くからの友人たちであるゲイリー・ピーコックジャック・ディジョネットらとのアンサンブル活動のみとして。だが、1999年秋、彼はソロのピアノ奏者としての活動を時々行うようになる。2001年6月の、カーネギーホールでのトリオのコンサートが、正式な復帰とされている。この長い休止の後、音楽活動の最初の試みがいかに受け入れられたかについては、1998年末にかけて収録されたニュージャージー州ニューアークでのトリオの公演を通して見ると、知ることができる。「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」と同じように、このCD(2枚組、アルバムタイトルは「アフター・ザ・フォール」)がリリースされたのは、何と2018年。公演に遅れること20年も後になってのことだった。曲ごとに、あるいはソロのたびに、ジャレットが、始めはためらいながらも、やがて遊び心満載で、ピアノ奏者としての最高の腕前を、改めて披露した様子が、耳に飛び込んでくる。このアーティストがかつて売りにしていたものは、基本的に概ね復活した。それが顕著に感じられるのが、CD1枚目の3曲目に収録されている「枯葉」。ジョゼフ・コズマ作曲のロマンチックなヒット作である。驚愕のピアノの技術、みなぎる創造性、次々飛び出すジャンルを超えたハーモニーやメロディの数々、耳を捉えて離さないリズムの試み、これらが満載である。 

 

それより何より、このCDを聴くと、気合の入った音楽づくりが、さり気なく、自信満々に、矢継ぎ早に行われていて、キース・ジャレットがあたかも底なしの、もしかしたら神がかった力の持ち主かと思ってしまう。素っ気なくも真っ直ぐに耳に飛び込むレコーディングのサウンドは、ここでは功を奏している。キース・ジャレットは「枯葉」をしばしば録音しているが、こんな風に情熱的に、明快に、そして華奢なまでに繊細な演奏の仕方をしているものは、このCDだけである。彼の良き相棒たちである、ジャック・ディジョネットゲイリー・ピーコックも、このジャズの歴史に輝く宝石を、一緒になって磨き上げている。一卵性の三つ子かと思ってしまうような彼らの、感性のバランスが絶妙なやり取りを見せる演奏は、インプロヴァイゼーションによる音楽の歴史上、これと肩を並べるものを探すのは難しい。3人はこの曲を、音符を使い、命の脈打つリズムを与え、この世のものとは思えない形に仕上げ、曲にさりげなく色を当ててゆく。他にも、チャーリー・パーカーの「スクラップル・フロム・ジ・アップル」(題意:ニューヨークのクズ野郎)や、ジョン・コルトレーンの「モーメンツ・ノーティス」のような多くの曲に、彼らの凄さを垣間見ることができる。「アフター・ザ・フォール」は驚愕の作品であり、同時にそれ以上のものでもある。ジャレットが世界の檜舞台に復帰できたことは、実際のところ奇跡と言って過言はない。「基本的にもう一度イチからピアノを練習しなければならない状態だった。それまであった、いわゆる「自分の演奏」は跡形もなく消えていた。そんな練習の仕方は、仕上げに完璧さを求められるような機会を除いては、やったことがなかったのだ。そしてインプロヴァイゼーションによるコンサートの前には、時には2週間ピアノを全く見ないようにして、今までの積み重ねから完全に自分を解放ことさえしていた。回復しだすにつれて気づいたことだが、今までシャカリキになって弾いていなかったということだ。目の前にあるものに集中するのみ。10本の指もそれまでの記憶を取り戻す必要があった。過去の収録曲をいくつか聞いていて思ったことは、自分の演奏を好きになっていなかったということだ。例えば左手で弾く方の話。今はもう、左手に向かって「やめろよ、そんなのやだよ」と言う必要はなくなった。左手は、自分が望む演奏をするようになったのだ。3年間まったく弾いていなかったので、新たな発見をしている気分だった。過去の積み重ねが消えて無くなった分、今や自由に弾けるようになっている。 

 

キース・ジャレットが復活後、大きな変化が一つあった。レコーディングスタジオを使用しなくなったことだ。チャーリー・ヘイデンとのデュオのセッションと、バイオリンとピアノのためのバッハのソナタ集を除き、彼のレコーディングは、以後、全て公演の実況録音となった。1964年、32歳にしてライブ・パフォーマンスを一切やらなくなり、1982年に亡くなるまでスタジオ収録のみに勤しんだグレン・グールドとは、正反対の方向に舵を切ったのである。復帰後にジャレットがリリースした8枚のソロアルバムは次の通り:「レイディアンス」「カーネギーホールコンサート」「ラ・フェニーチェ」「パリ/ロンドン」「リオ」「クリエイション」「ミュンヘン2016」そして「ブダペスト・コンサート」。45分間ぶっ通しのサイコスピリチュアルの実践のような本番は無くなった。その代わりに、演奏時間は5~10分。ごく稀に長短はあった。にもかかわらず、依然として自由なインプロヴァイゼーションによる演奏であり、そして、仮にジャレット自身が違うと言っても、今までと同じ演奏技術が散りばめられている(更に熟成されているかも)。そして確かに、決められた割合で区分けされた中に、特定の構造を作り上げてゆくことに、更に注力がなされている。 

 

 

レイディアンス」他、前記8つのアルバムは3年間隔でリリースされたものだ。自由なハーモニーの展開の仕方、ドラマチックな曲の盛り上げ方、そして中心となるモチーフを殆ど決めないという方針を含め、もどかしいほどに掴みどころのない演奏方法に、まずは出くわすことに成る。ヘルマン・ヘッセの「ガラス玉遊戯」の主人公のごとく、様々な展開を経て高みへ向かうこの演奏は、数分間の後に終わり、ジャレットの演奏の多くにお馴染みの、音の世界の扉が開きだす。全体の仕上がりはコンパクトにまとまっていて、演奏に隙がない。そして現代のピアノの技法をすべて詰め込んだものとして、彼の初期の作品よりも更に多様性を感じさせる。ドビュッシースクリャービンが生きていたら曲を作らせて聴いてみたいと思ったら、セシル・テイラーが連発する短く切った音にはメロディっぽい核となる部分がほしいと思ったら、ビル・エヴァンスもいないしレニー・トリスターノは「ターキッシュ・マンボ」とチャーリー・パーカーへのトリビュートである「レイクエム」しか遺していないしと悲しみに暮れるなら、プロコフィエフの力強いピアノの奏法は実はもっと圧を高くやれるのではないかと思うなら、そもそもピアノはどんなことを表現できる楽器なのか知りたいと思うなら、ミニマリストのミュージシャンがよくやるような衰え知らずの音のバリエーションをひたすら繰り返し弾き続けるのをウットリ聴いていたいと思うなら、それとも、これら全部を、あるいはそれ以上をお望みなら、「レイディアンス」を聴けば良い。これこそ、「キース・ジャレット百科事典」ともいうべき作品だ。