Keith Jarrett A Biography (English edition)を読む

ピアノの二刀流、キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)を読んでゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.118-122

この百科事典に載っているもののお陰で、次々と生み出されるレコーディングは、いずれも高い品質なのだ。更には、キャパが大きいことも重要だ。だがこれは、ジャレットが自身の「しきたり/儀礼」を厳格に守った故の結果なのである。殆ど全てのアーティストが、何かしら非常識な日常の決まり事を持っている。そのおかげで、毎日の面倒事に悩まされること無く、高いレベルでの創作活動を続けることができるのだ。部外者から見ると、こういった「しきたり/儀礼」というものは、事情をわかっていたならば、その怪しげな雰囲気を醸し出すことによって、非凡なアーティストがその一流の状態を誇示する、そういう気まぐれな行為みたいなもの、という印象を受けるものだ。だがこういった「しきたり/儀礼」の数々は、猛烈な集中を要する状況下での、筆舌に尽くしがたい心身のストレスに耐える助けとする上で、通常絶対に欠かせないことなのである。キース・ジャレットは演奏会を開く際、当日リハーサルのあとで、本番に使うグランドピアノを3台も用意させたことが、何回かある。他にも、夕方6時前後に音響確認を終えた後、舞台裏へゆき、関係者全員:録音エンジニア、プロデューサー、付き人、それから彼の妻、彼らを伴って食事をとり、1,2杯飲んで、それからソロコンサートでもトリオのコンサートでも始める、といったことをしていた。ジャレットは何年にも亘り、移動の際には自分のベッドを持ち運び、理学療法士を一人同伴させ、マッサージやストレッチを、本番前、本番休憩中、演奏後に行っていた。ヨーロッパへのツアーの際はフランスのニースに通常滞在し、演奏会やレコーディンクのスケジュールを組んだ。そうすることで、仕事が済めば、個人でチャーターした飛行機に飛び乗り、ニースのホテルへ直行し「自分のベッド」で眠ることができるのだ。この「眠る」習慣が人を驚かせた例を一つ、2013年夏のミュンヘンで行われたキース・ジャレットのトリオのコンサートでのことである。この公演は盟友マンフレート・アイヒャーのバースデーコンサートでもあった。この日の締め括りに、ジャレットは3名を代表してマイクを手に取り、「Thank you, Manfred(有難う、マンフレート)」という3つの単語でアイヒャーを労った。演奏会終了後のパーティーにキースは姿を見せなかった。既にニースへ向かう飛行機の座席にいたというわけである。 

 

アーティストが「一番のお気に入りの作品は?」と質問されることがある。優秀な連中はよく、「今、譜面台に乗せて演奏中のもの」と答えるのだ。キース・ジャレットもその一人。最新作が出るたびに、それが彼の最高傑作と感じている。「レイディアンス」か?、はたまた「カーネギー・ホール・コンサート」か?などと聞かれれば、いつでも「今演奏中のもの」と答えるのだ。ジェフ・ダイヤーが秀作「バット・ビューティフル」で記している通り、近年最も印象的とされるジャズは、形式上の境界線上にあるものばかりである。とても「ジャズ」と区分できる音楽ではない。これは「カーネギー・ホール・コンサート」にも当てはまる。この2枚組CDで、ジャレットの演奏は、ジャズの持つありとあらゆる側面を聴く者に届けている。それが特に顕著なのが、2曲目(無題)である。ジャレットの左手が重厚なノリを聞かせる低音のリズムは、聴く者の肋骨を貫通する。その様は、バンブーラドラムを彷彿とさせる。ニューオーリンズコンゴ・スクエアで、かつてアフリカ系の奴隷達が心の慰みに集まって演奏したものだ。ジョージ・ワシントンケイブルの小説によく描かれていることでお馴染みであろう。鎖に繋がれた奴隷達の打ち付けるような音が聞いて取れる一方で、そこを包んで通り抜けるのは、奇をてらわず普通の3度/7度といったブルーノートを駆使した表情豊かで甘美なメロディ。まるで自由解放を賛美するゴスペルのようである。もしアルヴォ・ペルトがピアノ用にノクターンでも作曲していたならば、きっとこんな感じだったろうというのが、CD3曲目(無題)である。後期ロマン派の曲想と、低音部・高音部それぞれが、最低音/最高音を強調しているあたりが、きっと似た感じだったろうと思われる。ここではキース・ジャレットの腕の「魅せ所」、朗々と連続する低音の発信源が、まるでダブル・ベースの木の胴体のようで、金属製のピアノの弦が鳴らしているとは到底思えない。ジャレットのリズムをバラバラに演奏するのを聞いて、中世の音楽技法で、2人の歌手が一音ずつ交互に歌う「ホケトゥス」という演奏方法を思い出した方、そして、ジャレットが思い切り手指を広げて演奏するのを見て、セロニアス・モンクの型破りな演奏方法を思い出した方、あながち的外れではない。「カーネギー・ホール・コンサート」に出てくる古い音楽のリズム、「ラ・フェニーチェ」に出てくるブルースを思わせる音楽、「クリエイション」に収録されている2014年のソロコンサートで聞かせたインプロヴァイゼーションの、天から鐘の音が降ってくるような、そして教則本でも弾いているかのような剛毅さ、これらのいずれかでも耳にしたなら、どんな音でも一旦耳にしたら「これぞキース・ジャレット」というサウンドにしてしまう鬼才のピアノ奏者が、その霊感を遺憾なく発揮し続けていると、誰もが思うことだろう。 

 

音楽の歴史を紐解くと楽曲とその作者の生き様を結びつけて考えようとすることが、繰り返し行われている。だがこの様な短絡的な行為は間違えであり、ジャレットの例もそうである。彼のインプロヴァイゼーションによる演奏を収録したものに「パート1―10」といった簡素な番号を打ってみたり、公演開催地をレコードのタイトルにしてしまったり、このようなことを見ていると、当時の彼の私生活の有り様だの、心理的状態だのを勝手に決めつけられたくないという意図が見え隠れしている。極稀に彼は、収録曲の個人的な背景を匂わせることがある。この例の一つが「ア・マルティテュード・オブ・エンゼルス」。病気直前の作品である。そして回復直後の作品が「アフターザ・フォール」。インプロヴァイゼーション偏重を終えた1996年、そして新たな美的追求を始めた1999年、2つの作品はその印である。2つともリリースされたのは、収録後20年後。随分時間がかかっているが、その分じっくり間をとったとも言える。「パリ/ロンドン」も同じ様に彼の個人的な事情によるところがあり、副題を「テスタメント」(誓約書/財産分与の覚書)としたのも頷ける。パリのサル・プレイエル、そしてロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでの公演後間もない2008年の暮れに、キース・ジャレットの2番目の妻ローズ・アンは、彼に三行半(みくだりはん)を突きつける。結婚後30年のことであった。これが当時の彼にとって何を意味したか、この3枚組CDのライナーノーツを読むと、そのきっかけが掴めそうだ。黒いリボンで束ねられたこのアルバムで、かれはその思いを包み隠さず示している。ビ・バップ風のマンボのリズムにせよ、高揚感のある感情表現にせよ、ジャズワルツだのポップス風の楽曲にせよ、その一つ一つの音が、ローズ・アン・コラヴィートへのオマージュの様に響き渡る。 

 

 

2011年4月リオ・デ・ジャネイロ市立劇場で収録されたライブ音源もまた、ジャレットの生活の一端を聴き手に覗かせる。だが「パリ/ロンドン:テスタメント」と比べると、見え隠れするものは、明るく輝いている。「リオ」の方は、自由な息吹が感じられる音楽であり、気ままな雰囲気のアルペジオを多用し、フランツ・リストの「巡礼の年」第3年に出てくる4曲目「ティボリ・エステ荘の噴水」を彷彿とさせる。のりの良いスウィング満載の音楽は、キース・ジャレットも認めている通り、新しい恋人、ヤマザキアキコという日本の女の子がそのカギとなっている。トリオの東京公演の際に出会い、その後間もなく3番目の妻となる人である。だがここで少し理性的に物事を捉えよう。私生活に関する情報が頭に入ると、作品の聴き方はより音楽的な方向へと向かうことは、これまでも証明されている。頭に入った情報は単に人をその気にさせてしまう可能性もあり、そうなると、実際にどんなサウンドであるかとか、客観的に気づくはずのことに集中することとか、そういったことが結局無視されてしまう羽目になる。こういう現象を完全に排除することは不可能とはいえ、時に外部情報があまりにインパクトが強くなってしまうと、音楽以外の要因に影響されて音楽を聴くことを疑う考え方が、どうしても頭から離れなくなってしまう。 

 

 

 

2016年7月14日の夕方のこと。この日フランスは「パリ祭」で祝日であった。ニースに滞在中だったキース・ジャレットと妻は、気分転換に散歩に出る。ほどなく戻ろうということになり、海岸遊歩道の「プロムナード・デ・ザングレ」沿いにある常宿へ向かった(当時はますます行われなくなってしまったヨーロッパでのソロコンサートツアー中の、かねてよりの滞在地であった)。地元住民達はどうしても騒ぐし、観光客も無邪気にはしゃぐしということで、彼らを避けたかったのである。海岸遊歩道は車両が入ってこれないように防御壁が設置されていた。2人が戻ろうとなったその直後、男が一人、白いトラックに乗って、その防御壁へ突っ込んできた。トラックは人でごった返している遊歩道を突っ走り、沿道の家屋番号11から147まで、距離にして1.5マイルを次々人を撥ねながら走行した。これにより21カ国から訪れていた86名が犠牲となる。フランス警察との銃撃戦の末、犯人は射殺された。このイスラム原理主義者によるテロ攻撃は、近年では最悪の事件の一つである。事件の2日後、キース・ジャレットミュンヘンフィルハーモニーホールでのコンサートに臨む。チケットは完売であった。この模様は、3年後にECMからライブ録音としてリリースされ、彼の栄光に満ちたキャリアの中でも、ひときわ輝くものとなる。 

 

公演後キース・ジャレット親しい友人達や仲の良い知り合い達と集まった。。この日の彼はどこか興奮気味だった。ソロでの公演後は大概そうなのだが、この日の夜は、彼の口をついて出てくる話は、殆ど2日前の事件のことばかりだった。自分にも妻にも一歩間違えれば惨劇になっていたかも知れないテロであった。この事件から受けた恐怖心は、依然として彼の表情に現れており、心理的にも、またそれが指先にもくすぶっていた。 

 

ミュンヘン2016」開演後、約14分ほどの録音(タイトル「パート1」)を聴くと、この公演が異様な雰囲気で始まったことが、ハッキリと伺える。明らかに、ジャレットが即座にやりかたったことは、ホール内を音で埋め尽くしたい、ついてはあらゆるサウンドを洪水のように撒き散らし、何らかリズムのきまった形に収まってしまう前に、考えられるコード進行をランダムに全て発信してしまいたい、ということだった。最初の演奏にはありとあらゆる表現を伴う演奏がほとばしっていた。転げ回る音の連続、騒々しいほどの音の塊、全音音階とドシドシと響くコード、それらから次々とモチーフが絞り出され、それぞれの間には、どんなに目立たないほどの音符も、そこに入り込むことが許されない状態だった。実際の処、この演奏には何もかもがごった返しているが、一つだけ見当たらないものがある。それはしっとり感傷的な要素である。演奏を聞いていると、何らかの精神的な混乱と戦おうとしているかの如く、輪郭をハッキリつけよう、音をしっかり決めていこう、と、もがいているのが聴いて取れる。自らそう匂わせたいのか?その可能性もある。だが「パート1」は、この2枚組CDの他の演奏と同様に、ダラダラしたものとパット見可愛らしいもの以外は、あらゆる音楽表現が勢揃いしている。音楽がそんな感じなので、聴く方は明確な形と地に足のついた音楽性に圧倒されてしまいそうになる。 

 

キース・ジャレットは、インプロヴァイゼーションピアノ奏者として長いキャリアを誇っていたが、この日ほど気合の入った演奏は滅多になかったであろう。一人音楽を紡ぎ出し続けるのはお手の物、そして彼の創造力の豊かさは圧倒的であった(たまに演奏している最中のコンセプトとかけ離れた音が飛び出してしまい、行き場を失っていた)。確かに、ジャレットが力を発揮して演奏しだすと、どのコードがどのフレーズの終止形となってゆくのかを、聴き手は正確にはつかめない。彼の通常の演奏スタイルは、いうなれば、音楽の何かしら根本的なことを探し求めたり、未だ聴いたことのない音の組合わせを追求したりすることにあるのだ。時として、ピアノの鍵盤が勝手に意思を持って、自分たちの秘め事を主人であるジャレットに知られたくなくて、「これは立派なものだ」とされるもの中から答えを、必死になって探し始めているようにも感じられる。聴衆はいかなる場合も、ジャレット自身の作業工程の中身がどうなっているかの概観を見れる状況にあった。金属片に音を例えるなら、音の鋼鉄を叩き、つぶし、そして曲げることにより、作り上げた銀装飾のように見事なメロディの数々を歌い上げるのだ。 

 

もしかしたら2016年ミュンヘンでのあの夏の夜は普段と何も変わらなかったのかも知れないだが全てがいつもより一点集中している。キース・ジャレットは感覚を研ぎ澄まし、組み上げたハーモニーを囲む壁をつき抜こうと、次々とコードを発信しては後ろへ前へと動き回り、ついには高音域において不協和音の突破口を見出し、低音域と共に両手で無調性音楽の空間へと躍り出る。だが、彼の和声的な対位法という手に負えないほどにこんがらがった結び目と、果てしなく発展してゆくメロディという正しい道標たる解けた糸との間において、ジャレットが考えついたのは、劇的に高い効果を持ちつつも簡潔な、特徴的な断片の数々であり、それを歌い上げてゆくのは、誰も真似ができない。このように次々と音楽がやってくるのは、実際に体で感じることができる。それらは理性の中でグルグル考えられた挙げ句、回り道をしてやってきたわけではない。まっすぐ心と体に突き刺さってくるのだ。シューマンのようなアラベスク模様を描くことを含めたインプロヴァイゼーション、後期ロマン派風の舟歌、12小節区切りのブルース、これらが誰もが知っている形で、しかも新鮮な歌い方で聞こえてくる。こうなってくると、時間と空間が共に遠くの古代アフリカから霊を呼び出す儀式が再発見され、はるばるミュンヘンフィルハーモニーホールまでやってきたのが全ての原因ではないか、と思ってしまう。キース・ジャレットは、すでにチャールス・ロイドやマイルス・デイヴィスらと共演していた頃から、高い習熟度でのフリーインプロヴァイズを展開し、自力で十分首尾一貫としたメロディを創り出し、それに誰にも真似できないような表情をつけてみせた。それは仮に、素材が時代的に古いもので組み立てたときであっても、である。このことは、彼の音楽家としてのキャリアの中で決して変わらないことである。この行為は、ジャレットにしてみれば(ベートーヴェンも同じ、と申し上げさせていただく)、心に感じることを表現することであり、何かを真似たものを作るだの、他の人が作ったものを再現するだの、そういうことでは全く無い。 

 

このCDには、ライブの終わりに聴衆からかかったアンコールが録音されている。この公演が大成功だったことを詳細に示すものだ。ここではジャレットはいつもの習慣で、昔ながらの鉄板ネタでお客をシンミリさせようとして、地獄の底に収監してあったものを解き放ち、天国に捧げる芸術作品として相応しい価値のあるものへと形を変化させてゆくのである。フランク・シナトラはチャールズ・キスコの1930年の歌「イッツ・ア・ロンソム・オールドタウン」という、作曲してから30年も経っていた楽曲を、最高に心を打つような演奏でレコーディングしたと、長い間考えられていた。だが今や時代は2016年となり、キース・ジャレットにしてみれば、このウットリするほど夢見心地なGマイナーの歌を、聴く者の心をときめかすほどに、完璧にバランスの取れた表現ニュアンスを、そこかしこに散りばめた、夜の情景を描いた元気いっぱいの一品に変えた。かくして聴衆全員の心を動かす、忘れられない一夜となったこの本番が、キース・ジャレットにとって最後のコンサート出演のひとつとなることを、その時は誰一人知る由もなかった。