about Keith Jarrett and Miles Davis's ensemble

キース・ジャレットの伝記(2020年7月英語版)と、マイルス・デイヴィスの結成したバンドについて、英日対訳で読んでゆきます。でゆきます。

Keith Jarrett伝記(英語版)pp.149-153(最後)

こんなにも極端に正反対の判断が下るのには、ジャレットが予見していたとんでもない誤解の数々が、その根底にあるのではないか、と思われる。「バッハの録音は、ドンピシャのタイミングでやれた気がするよ。」ニュージャージー州オックスフォードの彼の自宅で、1987年の暮頃に、彼と長時間話し込む機会があった際、彼が語ったことだ。彼は更に続けて「今回の『平均律クラヴィーア曲集』の録音は、みんな何かしら驚くだろうね。それは僕も勿論わかっているよ。でも本当のことを言えばね、みんなが騒ぐのなら、その分僕は余計に、「そうじゃないんだ」と演奏で示さなきゃ、と思うんだよね。必要以上なことはしない、そしてひたすら音楽に尽くすのみ。実際僕は、自分がしたこと以上のことは、全部断ってきたからね。」 

 

キース・ジャレットと比べること自体不可能なのだ。グレン・グールドといえば、ピアノの求道者であり、自分自身が結構目先の利く分析をするのに、それを信じることに飽き足らず、とくかく「行間を読む」ならぬ、「音符の裏を読」みたがり、演奏上のルールを勝手に緩め、音楽的には二次的な内容を高めようとし、挙げ句極端なテンポ設定をしてバッハの屋台骨を揺さぶっているのだ。結果、バッハの前奏曲やフーガの、とてつもない強靭さが証明された。対するキース・ジャレットは、節操をわきまえた範囲内に身を置く。なぜなら、彼はその身にかかる外からの要求を怖れたからだ。「なにかエキセントリックなことをやれよ」という要求だ。だが同時に、彼の音楽のキャリアのお陰で、自らの自由意志により、バッハに「普通に接する」よう気持ちを持っていったとも言える。ジャレットは、グールドがバッハの音楽を再現していった結果に対しては、一部高く評価している。だがジャレットと言えば、音楽面では所謂「行動主義者」である。心理学で言う「条件付」をよしとしない。グールドの姿勢は、芸術活動に取り組む上での、欲求不満の現れであると、ジャレットは見ていた。「グールドは純粋な演奏家だ。日頃の音楽活動のせいか、演奏家としては表現の幅が限られている。それに対して僕の土俵は、インプロヴァイゼーションだ。欲求不満になんか、ならないよ。フレーズの歌い方にせよ、人が書いた元々の楽譜に、他の音楽家が何かしら付け加えることによって生まれてくる演奏内容というのは、その音楽家の欲求不満から出てくるものさ。でもね、この2曲(平均律クラヴィーア曲集)は何も足す必要はないよ。この音楽は補修も補強もいらないよ。」 

 

誤解のないように言っておくが、彼の発言は、バッハの曲は運指が大変なので、音楽的なニュアンスをつけることなど全くできない、と白状しているわけでは全くない。ジャレットの眼目は(そしてこれに則り演奏している)、作品に内在するルールをしっかりと守り、間違っても奏者が力づくに楽曲の彫りを深くすることで、作品の持つ力を世に問う、などということはしない、ということなのだ。これは芸術の世界に存在する綱渡りのロープで、演奏家なら誰もが渡りきらねばならない。ジャレットは演奏家の間に代々伝わるものをきちんと自覚しているので、節度を守った上で、音量変化を構築し、アゴーギクによるテンポの変動を設定し、間違っても、やたらと色々なタッチをしてみたり、サスティンペダルで音を伸ばしてみたりして、ゴテゴテと色付けをしないのである。ジャレットは音楽史に明るい演奏家である。彼はハープシコードに興味を示し、それを「平均律クラヴィーア曲集」の第2集や、「ヴィオラ・ダ・ガンバチェンバロのためのソナタ」(飛び抜けた繊細な演奏をするキム・カシュカシャンとの共演)、「フランス組曲」や「ゴルトベルク変奏曲」の録音に使用している。ジャレットは何ら特定の奏法や、模範とする演奏といったものに絶対のめり込まなかった。そんな彼が音楽的なコンセプトに対するガイドラインとしたのは、作曲家が書いた譜面の研究成果と、それがこれまでどの様に演奏されてきたかの歴史をひもといて得られた知識なのだ。その結果としての演奏は、非常に客観的な形であり、「再現した」としか言いようがないこともある。彼の演奏は、安定感があって、平和で、穏やかなものを聴かせてくれる。ハッハとヘンデルの全ての録音にこれらを全て見出すことになる。バッハの「バイオリンとピアノのための6つのソナタ(BWV1014-1019)」では、ほとんどヴィヴラートをかけていないミシェル・マカルスキーのバイオリンの伴奏に際し、ポリフォニーの技法を解りやすく紐解いている。「平均律クラヴィーア曲集」第2集では、厳格なハープシコードアーティキュレーション(音符の処理の仕方)を、実に良い形で聴かせている。「フランス組曲」では、ゆっくり大股で歩くような感じで、そして絶えず筋道がハッキリわかるフレーズの歌い方をしている。ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル組曲集では、現代のピアノを駆使しつつデリケートに散りばめられたフレーズの歌い方が特筆に値する。そして、バッハの「ヴィオラダガンバとチェンバロのための3つのソナタ(BWV1027 - 1029)」では、ジャレットはエレガントに抑制の効いた演奏をしている。そして、名手キム・カシュカシャンがガット弦のビオラで、自然な力強さをもち、かつ官能的なパフォーマンスをするのに対し、これをしっかりと支えつつ際立たせている。同じことが顕著に現れているのが、リコーダー奏者のミカラ・ペトリの、音楽的に美しい表現の数々の伴奏を、ジャレットが聞かせるヘンデルソナタの録音である。 

 

バッハと同時代を生きたヨハン・アドルフ・シャイベが「ライプツィヒ聖トーマス教会の音楽指導者による音楽の面汚し」とみなしたもの、すなわち、「全てを現実に即した音符で表現しきった」、そして、「音楽の喜びを表す余地をほとんど残していない」、そんな音楽について、キース・ジャレットの解釈に基づくアプローチにより、その良さを再発見することとなった。ジャレットは脚色しない、余計な付け足しをしない、ロマンチックな音楽に勝手にしない、美しさをことさら強調しない、どうしようもない硬直性をもつ対位法を取り除くようなこともしない。彼は「現実に即した音符」、という原則に、あくまでもこだわった。これによって、彼は「バッハの音楽は普通このように演奏する」という姿に、より近づいていると考えられる。バッハの死後、魅力的な演奏時の振る舞いをした数々の演奏家達が、自分自身の美的感覚を全面に押し出すような時代の風潮を反映した演奏をしていたことには、近寄ろうとしなかったのである。 

 

平均律クラヴィーア曲集」の収録後、キース・ジャレットは、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ集」作品87という、バッハの作品群に深くつながる楽曲に、東奔西走の取り組みを始める。これについては、「楽界のお偉方」と称される面々は、驚くようなこともなかったと思われる。ジャレットは、まず「平均律クラヴィーア曲集」の原典版に没頭し、その次に、どちらかというと彼の性分に合っている曲の研究へと進んだ。音楽を歴史の流れに沿って取り組むことを自覚している演奏家にとては、たとえそれが時には重荷を負わされるようなことになったとしても、ピタリとハマった筋の通った取り組み方と言える。ジャレットはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に関連して作曲された2つの曲:ヒンデミットの「ルードゥス・トナリス」と、ラ・モンテ・ヤングの「よく調律されたピアノ(独奏ピアノのための)」に取り組むことを検討していた。これとても、驚くようなことはないだろう。ショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ集」も、複雑な音の響きや、複雑な曲の形式面での構造を備えた曲集だ。そして演奏家が、困難な状況の下、現代のポリフォニーの仕組みの範囲内で、各声部を巧みにギチギチに詰め込んであるものを、解明してやろうという目論見を持つことに、大きく立ちはだかるのである。ショスタコーヴィチの音楽は、フーガの偉大な作曲家として、バッハと並び称される力を持っていることを証明する。そしてキース・ジャレットは、原曲の演奏、そして原曲と寸分違わぬリメイクの演奏の、両方に求められる力を発揮した。 

 

とりわけ、ジャズミュージシャン達といえば、リズムを巧みに駆使する種族だ。このことは、ジャズミュージシャン達が、バッハやバルトークプロコフィエフ、それにショスタコーヴィチのような作曲家達の作品を演奏しようとして、そういった音楽との相性の良さをしっかりと育んできていることを、ある程度は物語る。このことが背景となっていると思われる、映画監督のペーター・ツァデクのコメントを紹介しよう。1980年代中頃のものだ。シュトゥットガルトでマンフレート・アイヒャーに語ったこの一言は、キース・ジャレットバルトークの協奏曲を演奏した後のもので 

前置きとして彼は、ジャズ・ミュージシャンなら誰もがバルトークを好むだろう、とした上でなのだが、「私はキース・ジャレットについては、(バルトークではなく)モーツアルトを弾くのを聞きたいな」と言ったとのこと。 

 

モーツァルトは試金石か、はたまた試験場だとでもいうのだろうか。この発想は、特にピアノソナタとなると、多くのクラシック音楽演奏家達が、諸手を挙げて賛成するだろう。アフルレート・ブレンデルがかつて言っていたが、モーツアルトの楽曲と向き合うと、まずは寂しそうな音符達と対峙する。すると彼らは、どうやってその音符に生き生きとした命を吹き込むことができるのか、それこそ必至で自問自答する羽目に陥るという。これがピアノ協奏曲となると、ピアノ奏者達はオーケストラや有能な指揮者からサポートが得られる分、「必至」の度合いもほどほどになる。デニス・ラッセル・デイヴィス指揮のシュトゥットガルト室内管弦楽団とのピアノ協奏曲集の録音については、キース・ジャレットは依頼を受ける決定をするのに、かなりの時間二の足を踏んだ状態だった。バッハの作品や現代音楽作品と比べると、クラシック音楽を観客が見ている舞台で演奏することは滅多になかったのである。モーツアルトの楽曲を採り上げようとする演奏家達の、多くの者達にとっては、この「二の足を踏む」というのは、これまでもずっとつきまとう話である。モーツアルトの作品を素晴らしい演奏で聞かせたルドルフ・ゼルキンと、ザルツブルクの天才(モーツアルト)との関係は、生涯、常に近くまで迫る状態が続いている、と描かれるにふさわしい。「これから10年、年齢を重ねたら、モーツアルトの音楽は更に私には理解不能になってしまうことは、間違いない。形式とか曲想とかを理解することについては、今でも昔より進化し続けているが、それでもなお(10年後の「理解不能」は間違いないだろう)、という話だ。モーツアルトとは、いわば幻影のようなもので、どんなに努力をしたとしても、結局は無駄になる。」 

 

そんな事を言うと、「もうやめた」と言っているように聞こえるかもしれないが、実際はそうではない。背景にある思いは、あらゆる可能性に対する挑戦の気持ちであり、それはキース・ジャレットの演奏音源にも、「特徴」として感じ取ることのできるものだ。モーツアルトのピアノ協奏曲集を収録したこの2つのCDボックスに、明瞭に際立っているのが、良い意味での世俗的な感覚である。憂鬱さのカケラもない、アダージョのフレーズを片っ端からメロドラマ風に堕してしまうような中途半端な思慮もない。ひたすらに、基本的な表現による、新鮮かつ生き生きとした音楽作りには、己の判断に対する自信を感じさせつつも、一切のひけらかしは存在しない。KV271、通称「ジェノームコンチェルト」(ピアノ協奏曲第9番)にでてくる、短調の色合いのアンダンティーノに通常見受けられる、痛々しいともいえるような落ち着きの無さは排除され、ピアノ(キース・ジャレット)はごく自然体の演奏に対する姿勢で、伴奏であるオーケストラについてゆく。そこには陰鬱さなど出る幕もない。モーツアルトのピアノ協奏曲の中には、熱情的なパッセージを含むものもあるが、これとても、センチメンタルな形まで大風呂敷を敷くことはない。これらの演奏は、彫刻作品を彷彿とさせる。それも、アリスティド・マイヨールやアルベルト・ジャコメッティといった作家のではなく、ロダンの作品のように、見た目若干、仕上げが甘く、「ゲイジュツ感」も薄いという感じ。この特徴は、ジャレットがピアノをオーケストラにとって欠くことの出来ない楽器という意識で演奏に臨むことで、さらに強調されている。ジャレットによるモーツアルトの演奏を称賛した批評家はごく僅かだった。だがその評価をまとめた言葉は「控え目」である。誰一人、ジャレットの演奏を、深刻なほどに不十分な解釈だ、などと評価するものはいない。 

 

一方で、20世紀の音楽作品の演奏となると、ジャレットはほとんど批判に直面していないのである。逆に、ジャズとクラシックと両方のミュージシャン達はぐるりと方向転換をし、そして偉大なインプロヴァイゼーションの音楽家であるキース・ジャレットは、不毛の時代の音楽に力強いリズムの推進力を与える者としての評価を、頻繁に得るようになる。理由の一つとなっている現実として、アメリカ人作曲家達による20世紀の音楽の多くは、アフリカ系アメリカ人が伝統的に演奏する、フレーズ同士のつなぎが小規模で、複合リズムの仕組みを持ち、サウンドが交互に飛び出してくる作りをしている関係上(ミニマル音楽によくあるパターン)、キチンと演奏できるのは、ジャズの経験に基づくミュージシャンしかいないと思われるフシがある。そして勿論、ジャレットは自身の作品と似ている点を、ペギー・グランヴィル・ヒックスの「エルトリア協奏曲」に見出すことができたと思われる。この曲は、ごく普通の叙情性の持つ瞑想にふけるような静けさが、乱痴気騒ぎのように突如打ち破られたりする。彼は間違いなく、自身の音楽活動に対する考え方に必要不可欠な要素を、D.H.ローレンスの著書「エルトリアの遺跡」に見出した。「エルトリア協奏曲」作曲のインスピレーションとなった本で、「釈迦やイエスが説教した以前に、もうウグイスはその歌声を世に響かせていた」の一節がある。こういう心構えは、キース・ジャレットのアルバム「スピリッツ」にも見受けられる。彼には、自身が身につけた音楽の組み立て方に疑問をぶつけ、苦労を重ねて、「理屈ができる以前のサウンド作り」を再発見した経緯がある。 

 

怪物的な音楽作品、例えば、アラン・ホヴァネスのピアノ協奏曲第1番(トリルや音の繰り返しの「雨あられ」)、それから、ベーラ・バルトークピアノ協奏曲第2番なぞはワイルドな響きのする和声にトーン・クラスター(音数の多い不協和音)、猛烈なスピードで強打される音(ジャレットはこの作品を、独自のニュアンスを持つ弾き方で内容を膨らませている)、こういった曲は、指・掌・腕が発揮する技術という面から見れば、キース・ジャレットという半端なく何でもできるジャズのインプロヴァイザーにしてみれば、さほどの大事ではない、というわけだ。ジャレットは「ミクロコスモス」でピアノを学んだ。ということは、バルトークは彼の守備範囲ということになる。バルトークのピアノ協奏曲第3番は長年ジャレットの持ちネタであり、ドイツのザールブリュッケンでの公演も収録された。この音源を、マンフレート・アイヒャーは、サミュエル・バーバーのピアノ協奏曲作品38と合わせてリリースした。キース・ジャレットへのギフトとして、2015年5月8日、それは彼の70回目の誕生日である。 

 

広範囲で多面的なインプロヴァイゼーションの「知恵と心」、そして表情豊かなジャズのリズムの数々、これらを備えたジャレットにとっては、ルー・ハリソンがジャレットのために特にあつらえたピアノ協奏曲が持つ音楽観へと踏み込んでゆくことは、容易いことであった。雰囲気に富む変化の数々、二の腕で発するトーン・クラスター、狂ったように殺到するような天井知らずの猛スピード、様々な音の世界に対して心を開く態度、「民族の違いを超えた」曲のキャラ、こういったものは、ジャレット自身の「良い音楽とはなにか」という哲学に完全に一致するものだ。1980年代、ハリソンとジャレットの両者の音楽観がドンピシャであることを物語る、ちょっとしたエピソードをご紹介しよう。キース・ジャレットが、ルー・ハリソンの「バイオリン、ピアノ、小管弦楽のための組曲」を、パリで公演するべく現地の出演者達と準備をすすめていた。この曲はジャレットが、ドイツでの初演を、1984年にザールブリュッケンで既に行っていた。演奏会終演後、ハリソンはジャレットに言った「君のために書いた作品だと言わんばかりの演奏だ」。ジャレットはサラリと応えた「僕のためでしょ?」。